いつも読んで頂いてありがとうございます。
毎回読者登録、イイね連打、コメに感謝致します。
まだまだ残暑厳しいですが、ほんの僅か秋の気配がどこかしら…のような気分ですが、読者の皆様はお変わりありませんか。
体調にはくれぐれも注意願います。
私事で恐縮ですが、昨日ひとつ歳を重ねました。
56回目の誕生日を迎えさせて頂きました。
皆様に心から感謝申し上げます。
生まれてから約20450日…。
最初の1500日位はほとんど記憶が曖昧なのですが、いざ、こう書いてみると途轍もなく長いような気もする。
シワも増えました。
老眼にもなりました。
体力も無くなりました。
嬉しくて歓んだ事もありました。
ツラい別れも経験しました。
傷付けられもしました。
泣きました。
かと思えば、傷付けた事もありました。
けれど、その分魅力的な人との出逢いも有りました。
これが実に大きい。
このブログも最近は更新頻度が落ちてはきましたが、何やかやで6年半以上続いております。
これだって魅力的な人達が居てくれるからこそ私のモチベーションを支えてくれているからこそ続けられる事を最近痛感している。
そう思えばまんざら悪くないと思えてくるし、明日の活力にも繋がる。
今更であるが、感謝はたくさんの事を教えてくれる。
今日は命について少し書いてみたいのでお付き合い下さい。
うちの読者様で、こんな人が居る。
まずお父様を亡くされ、その後まもなくたったひとりのお姉様を亡くされ、そのほとぼりも覚めないうちに義理のお兄様も亡くされた…。
言葉も無いのだが、現在は病気のお母様を介護。
アタマが下がりますな。
私ならおかしくなってしまうでしょう。
以前にも書きましたが、飼い猫を亡くしただけであのザマの私です。
この生命…奇しくも「平等」には出来とらん。
だからこそ命を軽く見てはならん事をこの歳になると否が応でも知る事となる。
特に50代…これは親が弱ってきたり、急に亡くしたり、人生の儚さを思い知らされる歳とも云えるのでは無かろうか。
大切な人の死、或いは大事にしていた動物の死、これらは平常心と日常を大きく奪い去る威力を秘めている。
それまで会話が出来ておったにも関わらず、それが一切出来なくなる。
こんな悲しい事があろうか。
だからこそ命は貴いし、誰もが真剣に考えねばならん事なのだと思う。
いくら長く生きたいと願えど、こればかりはどうしようもならん。
「あんなに良い人が何故…」
こんな事は少なくないから酷である。
こんな諺だってある。
「憎まれっ子世に憚る」
摩訶不思議ではあるが、当たっているフシはあるからまんざら迷信でも無いようだ笑。
けれど、こんな事はどうでも良い。
確かに世の中、幸運、不運は避けられん。
読者様の話に戻ろう。
この読者様は不運と云えるであろうが、立派なのは思いやりに生きておられ明るい事なのだ。
これをつくづく感じる。
まさに「笑う門には福来る」
これを地でいっておられるように思うのだ。
私も大いに刺激を受けた。
私はれっきとしたオッサンではあるが、考えようによってはここまで生きてこられただけでも儲けモノであるようにも思うのだ。
ある意味、老いには感謝せねばならない。
自分のシワ、老眼などとも向き合っていく…笑。
不運を呪っても仕方ない。
だからこそ人間ときには開き直りも必要であるし、どん底の経験だって必要だ。
何故か…。
もうそれ以上堕ちないからである笑。
あとは上がるのみ…。
今更であるが、気持ちを切り替えていく事の方が大切だと知った。
出逢った人を大事にする。
他人には思いやりを…。
裏切られたとしても、他人は裏切らないようにする。
義理人情は特に大事にする。
…こんな事の積み重ねこそが人生を彩っていくのではあるまいか。
起きてしまった事からは避けられない。
そこからの軌道修正を考える。
そして実行する。
それらの試練を乗り越えた上でこそ大らかな気持ちに行き付くのではあるまいか。
こんな事を思って今年の歳を重ねてみた。
ステキな読者様に恵まれている私はこの上ない幸せ者であります。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
今日も訪問に感謝致します。