上方を代表する女性漫才師、今くるよさん(本名・酒井スエ子=さかい・すえこ)が27日、膵(すい)がんのため、大阪市内の病院で亡くなった。
所属の吉本興業が28日、発表した。
76歳だった。高校時代の同級生で、15年5月に亡くなった今いくよさんと、70年に島田洋之介・今喜多代に弟子入り。「お嬢ちゃん漫才」とやゆされながらも、懸命に腕を磨き、女流第一人者となった。通夜は5月30日午後7時、葬儀告別式は31日午後1時、大阪市北区天神橋4の6の42「公益社 天神橋会館」で行われる。
生涯の「心友」だったいくよさんが亡くなって、この日が丸9年。1人になっても「(今)いくよ・くるよは解散しない」と強く言い、看板を1人で背負ってきたくるよさんが力尽きた。いくよさんの命日だった5月28日の発表となった。
くるよさんは一昨年4月、大阪・なんばグランド花月(NGK)で開催された吉本興業110周年特別公演「伝説の一日」に出演し、約3年ぶり舞台復帰。悪者グループの「あねさん」にふんし、車いすながら「どやさ」「どやさ」と、大声で連呼。両腕を前後させながら、おなじみのポーズを繰り出してわかせた。親しい関係者によると、以後は静養に努め、表舞台へ出ることはなかった。
14年9月に胃がんが発覚し、15年5月にいくよさんが亡くなってから、しばらく気力を失っていたが、宮川花子、シルクら後輩が連日連夜、日替わりで励ましの電話。
女性芸人だけの公演をプロデュースするなどして舞台へ戻り、テレビ出演も続けてきた。
97、09年に心筋梗塞で倒れ、不整脈に加えて心臓疾患も抱えていたが、1人になってもしばらくは、レギュラーラジオも継続。19年以降は、府内の医療施設で心身の回復を図りつつ、仕事も継続。「いつも会えば『どやさ』。しゃきっとしていた」(親しい関係者)といい、最後まで芸人魂を失うことはなかった。
2人は、女性コンビの「鑑(かがみ)」だった。京都・明徳商(当時)ソフトボール部時代からの仲で、初舞台を踏んだ70年当時は、男性上位だった。所属の吉本幹部や、先輩芸人から「お嬢ちゃん漫才」とやゆされ、当時を「悔しかった」と振り返り、「下手を自覚」して猛練習。やせ形のいくよさんと、ぽっちゃりくるよさんは、対照的なスタイル。互いをいじり合う芸風を確立した。