1999年2月大学4年生の時の話です。
いよいよ初めてのインドへ!!
バンコクで乗り換えてデリーの空港に着くとまずは4万円分両替した。
(9日間で4万?多い!!)
「ちゃんと迎えに来てくれてるのかなぁ・・・」
と不安に思いながら外に出ると、ちゃん私達をホテルまで送り届けてくれるガイドさんが来てくれていた。ホッ。
インドの交通ルールはめちゃくちゃで、
ブッブ~~!!!ブッブ~~!!とクラクションは鳴らしっぱなし、車間距離なし、
完全な車優先で人を轢きそうになりながら無事ホテルまで到着した。
こわーーーーーーー!!!
ホテルは四つ星の
ロビーでガイドさんと明日の打ち合わせをして1:30頃ヘトヘトで寝た。
翌日。
朝食はカロリーメイト。(めちゃくちゃ沢山持って行った記憶がw)
まずはコンノートプレイスに向かって歩いていると、
男の学生二人がしつこくしつこくついて来て、あまりにもうっとうしくて日本語で激怒
うざ~~~~~~~い!!
インディアンエアラインズにリコンファームをしに行った直後、
ドーーーーン!!!
と言う大きな音が聞こえて、人々が次々に公園の方に集まって行った。
えっ??何??爆発??
まさかテロじゃないよね?
結局何かわからなかったけど、しょっぱなからめっちゃビビった
やっぱりインドこわ~~~~~!!
取り敢えず観光行こう、とオートリキシャを捕まえて、世界遺産のフマユーン廟へ。
ムガル帝国の第2代皇帝フマーユーンの墓廟。
インドにおけるイスラーム建築の精華のひとつと評され、その建築スタイルはタージ・マハルにも影響を与えたといわれる。
画像お借りしました。
チケットを買っていると、見るからに貧しそうな小さな女の子が近寄ってきた。
そして何度も何度も何度も何度もバク転をしてみせた。
悲痛な面持ちでバク転をし続ける彼女が気の毒になって、バクシーシとお菓子をあげた。
親からやらされているんだろうな。
かわいそうに・・・
フマユーン廟にはリスや九官鳥みたいな鳥や生き物が沢山居て可愛かった。
(建物や歴史の感想、ゼロ)
その後はお昼ご飯を食べる場所を探しながらインド門を目指して歩いた。
交通量が多いし、車は止まってくれないから、なかなか道を渡ることが出来ない。
でも、信号や標識が可愛いし、子供たちも可愛くて、楽しく歩いた
インド門の前でジュンと地球の歩き方を見ていると、
日本料理と中華料理のお店を見つけてそこに行ってみようってことになった。(初日に日本料理?)
でも歩いても歩いても見つからない。
さすが地球の迷い方。
仕方なく道端に座ってまたカロリーメイトでお腹を膨らませる
今度はプラーナキラーに行ってみよう!
16世紀半ばに建立、ムガル帝国第2代皇帝フマユーンが城として使用した城跡。
画像お借りしました。
オートリキシャを捕まえると、おじさんは日本人の女の子のプリクラを見せて、
「ニホンジントモダチ。一人50RSでどこでも案内してあげる。」
と言った。
ジュンと二人で怪しいよねぇ~~??って言いながらも取りあえず乗った。
プラーナキラーはとてもきれいだった。(それしか感想なし?)
おじさんは「日本人は写真ばっかり撮ってクレイジーだ。」と言っていた。
私達がお昼ご飯を食べていないと言うと、
「連れてってあげる。僕が毎日行ってるインド人用のお店と、観光客向けの高いお店どっちがいい?」
と言われ、インド人が行くような所に連れて行って貰うことにした。
とても小さな食堂で、チキンカレーとチャパティを食べた。
初めてのインドのカレーはちょっと辛かったけど美味しかった
チャパティはどんどん持って来てくれるから3枚も食べてしまった。
昼食を食べ終えて再びオートリキシャに乗り込むと、おじさんはあるところに止まった。
言われるがままに降りて、
「え?ここどこだろうね?」と言いながら案内されたその建物に入っていくと、
「ここは政府観光局だ。」
と言われた。
中には3人くらい男が居て、ちょっと怖い雰囲気だった。
そして、高いツアーをしつこく勧められたけど、
「うーん、でもうちら日本のツアーで来てるからねぇ。」
って言うと、あっさり解放してくれた。
何年も後に「あっ、あの時のアレは!!」って気が付くまではここは本物の政府観光局だったと思い込んでいたけど、
偽物だった!!沢山の旅行者がここに無理矢理連れて来られて、
法外な値段のツアーを組まされたり、トラブルに巻き込まれている超有名な詐欺に危うく私達も引っ掛かる所だった
ここに連れて行くと、リキシャの人が彼らにコミッションを貰える仕組みらしい。
私達がツアーを組まなかったからか、おじさんは急にうっとうしい感じになって来たから、
「一旦ホテルに戻って。」と言うと、降りる時になって
「1人500RSだ。」と言う。
「一人50RSって言ったじゃん!!」
「ノーノー!!時間長いね。」
約束が違う!!!キーッ!!と私たちが激怒すると、
「オー、イッツ ア ジョーク。」
と言って、それ以上は言って来なかった。
約束通り一人50RSずつ払うと、おじさんは私達のほっぺに無理矢理チューをして去って行った。なんだそれ!
少し休んでからまた出掛けて歩いていると、別のオートリキシャのお兄さんに、
「今そっちに歩いていったら危ない!ポリティカルラリーがあって警察が沢山集まってる。」
って言われて「えっ?怖いね。」と乗せて貰うことにした。
(これも超有名な詐欺の手口。まんまと引っ掛かってる)
5RSでコンノートまで行ってくれると言ったのに、
「要らない。」って言うのに途中で何度も何度もマーケットに連れて行こうとするから、
(マーケットに連れて行くとコミッションが貰えるから)
また二人で激怒したら諦めてコンノートで降ろしてくれた。
その人は、
「その公園は危ない。入っちゃいけない。カバンも前に掛けなさい。悪い人が沢山居るから本当に気を付けなさい。」
と言って、5RS以上請求することなくあっさり去って行った。
あらら。
この人はいい人だったのかしら??
ただちょっとコミッションが欲しかっただけだもんね・・・
家に電話を掛けようと電話屋さんから電話をすると、ずっと話し中だった。
話し中だったのに25RS取られた。何で?
今日は怒ってばっかりだったし歩き過ぎてヘトヘトだった。
あーインドって疲れるな。
コーラだけ飲んで、19:30には寝てしまった
余談です。
昨日のブログを読んでジュンが連絡をくれたんだけど、彼女はこの時の旅程表をまだ持ってた!!びっくり。
そもそも何でインドにしようってなったのか、
どっちがインドに行こうって言い出したのか二人ともはっきりとは思い出せず。
でも、私は「死ぬまでにガンガーを見てみたい」って言ってたらしいから、
もしかしたら言い出しっぺは私???
あと、大学時代に大好きだったKULA SHAKERって言うめちゃくちゃかっこいいイギリスのバンドがいて、
そのボーカルがインドにかなり傾倒していて、色んなインドの楽器を使ったり、インドっぽい旋律の曲を作ったりしてたから、
その影響もあるのかもねーってジュンと話してた。
インドに行く前から持っていたインド=妖しくて神秘的なイメージは、KULA SHAKERの世界観から影響を受けたような気がする。
当時はオアシスやブラーなどUKロックをよく聴いていたけど、中でもKULA SHAKERがダントツ好きだった
もうずっと聴いてなかったけど懐かしくて昨日めっちゃYouTubeを見てた。
インドの楽器シタールやタブラ、
ヒンディー語のマントラ?が使われている曲。
これもインドっぽい。
これはインドっぽくないけど多分有名。
おしまい。