エルフェンリート(1) | 私、BABYMETALの味方です。

私、BABYMETALの味方です。

アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

新シリーズ「君とアニメが見たい」の前回、「父親失格」は、あまりにも生々しくて、限定公開にしてしまった。「全員に公開」できるレベルで、ざっと内容を書いておく。
オリジナルを読んでみたいという方は、アメンバー登録をお願いします。
ぼくは、東京から特急で1時間ほどの田舎町に住んでいて、2014年まで、認知症の母親と、外国人の妻、三人の幼い娘からなる家族がいた。
小さな教育コンサルタント会社を経営していたぼくは、ある専門学校の経営に関わり、留学生の募集活動のために海外出張が多く、家をあけることが多かった。母親は、特養待ちのリストには載せてもらっていたが、入所はできず、デイサービスとショートステイに通っていた。
会社の売り上げは、妻と出会った頃に比べると減っていて、資金を貯めて母国で暮らすという約束が果たせずにいた。それどころか、保証のない自営業で、将来の不安もあって、妻は、数年前から、昔やっていた夜の仕事を再び始め、2014年には、介護施設職員の資格をとるための学校にも通い始めた。
専門学校では、前理事長との訴訟や、新経営陣内の対立が起こり、ぼくは、色々不審な点のある事務局長や経理担当者を批判して、理事会から締め出されてしまった。
同じタイミングで、妻が、家庭裁判所に離婚調停の申し立てを行った。
子どもが三人もいるのだし、これまで、彼女が国に残してきた二人の連れ子の生活費や学費もぼくが出してきたのだから、よく話し合えば解決できるとふんでいたのだが、彼女の離婚の意志は固く、2014年7月に調停離婚が成立した。ぼくには大きな非がないから、慰謝料は払わない、結婚後の預貯金の増額もないから、財産分与は、彼女の国で買ったコンドミニアムを売却して、それを折半する。ぼくが出した条件を、彼女はあっさり承諾した。
三人の娘のうち、小学校三年生の長女は「パパと暮らしたい」と言ったのでぼくが、幼稚園の次女と三女は彼女が引き取ることになった。
ちょうど市内に認知症専門のグループホームの空きが出たので、母親はそこに入所した。
ところが、そのあとになって、元妻の不行跡がいろいろ出てきた。ショックを受けたぼくは、うつ状態に陥った。引き取った9歳の長女も登校拒否になってしまい、いろいろな方にお世話になったのだが、結局、2015年1月に児童相談所の方が、「このままの状態では、子どもの正常な発達を阻害する」という理由で、強制的に連れて行き、児童養護施設に入れてしまった。
無力感と絶望感で、何もやる気がなくなったぼくは、ひきこもりになった。
どちらかといえばきれい好きのぼくが、掃除もせず、風呂に入ることすら億劫になった。
そういえば、長女はアニメが好きだった。幼稚園のころは「プリキュア」が好きで、カトリック教会のパーティでコスプレをしたこともある。ぼくがベトナムのショッピングモールでお土産に買った「犬夜叉」CD12枚組を、擦り切れるほど見ていた。二人で暮らした短い間、買い物帰りには必ずレンタルビデオ屋さんに行って、「銀魂」を借りた。借りてきたアニメを見終わってしまうと、ネットにつないだテレビで、YouTubeを見ていた。
それまで、ぼくは、マンガとかアニメとかアイドルとか、いわゆるサブカルには一切興味がなかった。だから、長女とアニメの話をしてやることもできなかった。
ひきこもりになったぼくは、一日中ベッドに寝転がって、YouTubeで、オタクがすなるアニメとやらを見ることにした。
最初は主に深夜アニメだった。タイトルにして200本は見たと思う。アニメを見ていれば、何も考えなくてよかった。アニメが途切れると、悔恨や、元妻へのどす黒い感情が体中をはい回るのだ。
見ているうちに、ぼくが知らなかったサブカルチャー用語とか、価値観が、だんだんわかるようになった。なぜ、長女と、もっと一緒にアニメを見なかったのだろう。
そのうちに、ももクロを知った。我ながら気持ち悪いが、打ちひしがれた汚い中年男が、ももクロの歴史を知って涙した。「コノウタ」を聴いて、今のぼくじゃ、この女の子たちに恥ずかしいと思った。
2015年11月。ぼくはYouTubeで、初めてBABYMETALを見た。ブレブレの海外ライブのファンカム映像だった。なんじゃこれは、と思った。
それからBABYMETALをいろいろ調べてみた。「BABYMETALの楽園」というサイトで、彼女たちの歴史を知った。
SU-が「ヘドバンギャー!!」で、「ら」と「れ」を区別して歌っているのをYouTubeで発見し、歌詞を確認して、何か、体中から血が噴き出てくるような感覚を覚えた。
「Road of Resistance」のオフィシャル映像で、SU-が「かかってこいやあ!!」と叫んでいる映像を何度も見て、へろへろだった足に力が入った。
2014年のSONISPHEREのオフィシャル映像を見て、ぼくは、日本人であることをあらためて感謝した。今のぼくにできることは何だろう、と考えた。
ぼくは、中学二年生の時、クラスでイジメにあい、毎日早く帰宅して、部屋にこもって自分が悲劇の王子である「夢の国」の地図や、架空の歴史を書いていた。中二病だったのだ。
中三になって、友達に誘われてバンドを組んでから立ち直り、女の子ともつき合った。高校時代はハードロックバンドをやりながら、女の子20人の中の男1人の演劇部にも所属して、脚本を書いていた。ラブコメみたいだった。
大学時代は、劇研で作・演出を担当し、主役の女優の女の子に手ひどい振られ方をした。
ぼくはハードロックが好きな「書く人」だった。
BABYMETALを見て、ぼくは、久しぶりにノートパソコンを開けて、書いた。
2016年1月から、ぼくを見捨てないでいてくれた取引先の私立中学校との、年に一度の季節仕事をしながら、その間も書き続けた。一章を書くたびに力が湧いてきた。
2月初旬にその仕事は終わった。ぼくは、自宅へ戻って部屋の掃除を始めた。
家具の配置を変え、たまったごみを全部捨てた。10年間たまった、いらない服を全部捨てた。
子ども部屋に残る長女の服を、コインランドリーへ行って全部洗濯し、たたんでクローゼットに収納した。残っていた元妻の服や思い出の品を、全部捨てた。
家の中がひととおりきれいになった日、ぼくを心配して、度々訪ねてきてくれていたカトリック教会の年長の仲間が家へ来て、伸び放題になっていた庭や家の周辺の樹や草を刈り取ってくれた。
2月中旬、専門学校の理事長から電話があった。事務局長の不正が明るみに出て、経理担当者ともども解雇した、職員の聞き取りをしてみたら、まともに仕事をしていたのは、ぼくだけだったという証言が出てきたという。復帰して、海外募集の仕事をしてくれと言われた。
同じタイミングで、ぼくが最初に就職した大手塾の創業者が、二部上場後、株式を譲渡して代表権を奪われたのだが、この冬から、もう一度新しいコンセプトの塾を立ち上げたと聞いたので、電話してみたら、ぜひ一緒に仕事をしようと言われた。
2月17日、ぼくは、このブログを立ち上げた。
ぼくは、BABYMETALのおかげで立ち直りつつある。
今、児童相談所の担当者に、長女を取り戻す段取りを相談している。すぐに、というわけにはいかないらしい。
この「君とアニメが見たい」シリーズでは、「私、BABYMETALの味方です」のサイドストーリーとして、BABYMETALにたどり着くまで、ぼくが1年間に見たアニメの紹介をしながら、日本のサブカルチャーの持つ価値観について書いていこうと思う。
この中で、ぼくの自分史や、教育コンサルタントとしての仕事、そして長女を取り戻す進行状況についても書いていく。
この物語は、現在進行形だから、見通しも予定もない。どうなるかはわからない。
だが、ぼくはいつか、このブログに、長女、次女、三女の三人の娘たちと、一緒に笑っている写真を掲載するだろう。
タイトルは、もう決めてある。
「ぼくのBABYMETAL」だ。