2月22日にテレビ撮影の収録を行います。


お相手は神田うのさんみたいですが、

当日にならないと分からないそうです。


お話の内容は、

もちろん、生体ミネラル「希望の命水」。


希望の命水を使った『見えないチカラ』も披露します。


さて彼女は、どんな反応を示すやら。。

きっと驚かれると思います。


収録時間は5時間、

でも、実際に放映されるのは3分くらい。


ドキュメンタリーですが、広告も兼ねているので、

完成したら放映前に、

皆さんにもお見せできるかと思います。



さて、昨日はJES本社セミナー。

たくさんの方が来場されました。


いつもは、生体ミネラルを使った実験やレシピでしたが、

今回は過激バージョン。


スタッフが久々に、僕の話す時間を多めに取ってくれました。


タイトルは、

「全ての病気の原因はマッカーサーにあった?」


サブタイトルは、

「あなたの集中力・記憶力を無くし、

さらに認知症を招く犯人は、ずばりコン○○!」


…過激です(笑)。


人はどうも過激な内容に興味があるようです。


僕は決してマッカーサーが嫌いなわけではありません。

むしろ、戦後の日本を救ってくれた、

『大恩人』だと思っています。



講演で話さなかったことを述べたいと思います。。


終戦時において、

天皇に対する占領軍としての料理の仕方は、四つあった。


一つは東京裁判に引き出し、これを絞首刑にする。


一つは共産党をおだてあげ、人民裁判の名においてこれを血祭りにあげる。


三番目は、中国へ亡命させて中国で殺す。


また第四番目は、闇から闇へ、

一服もることによって天皇を葬り去ることだった。


いずれにしても、天皇は殺される運命にあった。


マッカーサーはこう思っていた。


「天皇は馬鹿か気狂いか、それとも偉大なる聖者か、

今はいつでもつかまえられる。

かつては18,000人の近衛師団に守られたかもしれないが、

今や全くの護衛を持たずして、無防備で二重橋の向こうにいる」…と。


追い詰められていた天皇の割腹自刃の計画は、三度あった。


皇太后は侍従に、

「陛下から目を離さないように」と命じた。


じつに一番悩まれたのは、天皇自身だったのだ。


1945年9月27日、陛下がただ一人の通訳を連れて、

マッカーサーの前に立った。


マッカーサーは、二個師団の兵力の待機を命じていた。


「ついに天皇をつかまえるべき時が来た」…と。


マッカーサーは、

「天皇は命乞いに来たのだ」と勘違いし、

あのトレードマークであるマドロスパイプを口にくわえ、

ソファーから立とうともしなかった。


天皇は直立不動のままで、

国際儀礼としてのご挨拶を終え、こう言った。


『日本国天皇はこの私であります。

戦争に関する一切の責任はこの私にあります。

私の命においてすべてが行なわれました限り、

日本にはただ一人の戦犯もおりません。

私には絞首刑はもちろんのこと、

いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟はあります』


弱ったのは通訳だった。

その通り訳していいのか…しかし天皇は続けた。


『しかしながら、罪なき8000万の国民が、

(※当時は6600万人だったはずなのに、天皇は水増しした?…)

住むに家なく、着るに衣なく、食べるに食なき姿において、

まさに深憂に耐えんものがあります。

温かきマッカーサー閣下のご配慮を持ちまして、

国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように…』


天皇は世間が、やれ軍閥が悪い、やれ財界が悪いと言う中

『一切の責任はこの私にあります。

絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処せられても…』

と、淡々として言ったのだ。


マッカーサーは驚いて、

スクッと立ち上がり、今度は天皇を抱くようにして座らせた。


そして部下に、

「陛下は興奮しておいでのようだから、コーヒーを差し上げるように」と。


慌てたのは通訳。

「陛下、お飲みにならないでください…」

そっと天皇にささやく。


しかし天皇は、

毒が盛られている危険性を察していながら、

そのコーヒーをすすった。


するとマッカーサーは、

今度は家臣のごとく、直立不動で陛下の前に立ち、

「天皇とはこのようなものでありましたか!

私も、日本人に生まれたかったです。

陛下、ご不自由でございましょう。

私に出来ますることがあれば、何なりとお申しつけ下さい」…と。


天皇はスクッと立たれ、

涙をポロポロと流し、

「命をかけて、閣下のお袖にすがっておりまする。

この私に何の望みがありましょうか。

重ねて国民の衣食住の点のみにご高配を賜りますように」… と。


米国大統領からは、

「日本に1000万人の餓死者を出すべし」と命令が来ていた。


マッカーサーはそれを裏切り、

当時の日本人の実数は6600万人だったのに、

8000万人の食糧を確保した。


よってマッカーサーは、連合国司令官を解任された。


後にマッカーサーは、天皇との対談で、

「大きな感動が私をゆさぶった。

死をともなう責任、それも私の知る限り、

明らかに天皇に帰すべきでない責任を、

進んで引き受けようとする態度に、

私は激しい感動をおぼえた。

私は、すぐ前にいる天皇が、

一人の人間としても、日本で最高の紳士であると思った。」

(※マッカーサー回顧録 1963年)



以上、とても素晴らしい美談です。

しかし、実はこの話には不可解なことがあります。


一つは15分の面談の約束が35分に伸びていること。


一つは、陛下が手荷物を持っていたはずなのに、

そのまま持ち帰ったと言うこと(どうも重い石のようなものらしい)。


一つは、コーヒーをすすった後に、

5分間だけ通訳が席をはずし、2人きりになっていること。


そして、通訳が戻ったときには、

マッカーサーが五体投地 の状態に変化していたこと…です。


それ以上に、決定的な疑問があります。


連合国がなぜ、

決まっていた分割統治をしなかったのか…です。


天皇が紳士だったという理由だけで、

また、マッカーサーが感動したからと言って、

天皇を殺さず、

敗戦国の分割統治を止めるようなアメリカや連合国でしょうか?


過去の戦争の歴史から見たら、あり得ないことです。



それでは歴史の真実を言いましょう。 



蒋介石の孫に当たる方が、

マッカーサーとの通話記録を持っていました。


蒋介石もマッカーサーも、二人とも熱心なクリスチャンです。


マッカーサーと天皇が会見した数日後、

マッカーサーから蒋介石への電話での会話記録がありました。


蒋介石が、

「それは本当ですか?

閣下!

もしそれが真実だとしたら、我々が神を背く民になる!」

…と答えていることです。


たったこれだけですが、

この言葉は何を意味しているかです。


果たして先ほどの美談だけで、

蒋介石がこのようなことを言うでしょうか?


アメリカは日本に対して、

正義の戦争だと思っていました。


悪者は明らかに日本です。


真珠湾攻撃が事前に傍受されていたとしても、

先制攻撃、先にけんかをを仕掛けてきたのは日本だからです。


それなのに、先ほどの会見内容で

蒋介石もマッカーサーも、

「我々のほうが悪になる・・・」と言っているのです。


何があったらこんなことが考えられるでしょうか?


天皇を拘束するでもなく、

殺すでもない。


また、連合国で日本を五分割に分けて、

各国がそれぞれ支配する予定だったのに、

それさえ断念するなんてことは、

世界の戦争史上、まったく考えられないことです。


よほどのことがあったに違いありません。


その空白の五分間に…

それも通訳なしで。。。



※実はこの秘密はかなりのタブーです。


日本人のルーツに関わることで、

世界中の人が震撼します。




では、今日の「希望を叶える言葉」8。






落ち込んだ時、

顔はどこを向いていますか?


地面ですか?

横ですか?

後ろですか?…


ところで、

今日は何回空を見上げましたか?


ほら、ずっとあなたを励ます声、

あなたに力強いアドバイス、

暖かい声を投げかけていますよ。


背筋を伸ばし、

堂々と天を見上げましょう。


そして大きく深呼吸。


苦しい時こそ、

思い切って天を仰ぐのです。