統合失調症は遺伝性があると医学書で読みましたが、統合失調症の人の子育てを見るとその事に疑問を感じます。
またウィキペディアでは「一卵性双生児研究において一致率が高い(30 - 50%)ことなどから、遺伝的要因と環境要因両方が発症に関与していると考えられている。しかし原因は未だに不明である。」
とも書かれていますが、今まで見て来た統合失調症の子育てを見る限り、環境要因ではないかと思えるのです。
そして統合失調症の親に育てられる事で遺伝性と錯覚しているのではないかと思えるわけです。
まあそんな事は医者に任せておく事なので、ここでは見たままの事を記述し、そこから学ぶべき点を書いていきます。


統合失調症の人の子育てには一種独特の物があります。
それは「被害妄想」から来る物ですが、「見られている、監視されている」と言う強迫観念から、生まれたての子供を、雨戸やカーテンを閉め切った部屋に明かり見つけずに寝かせ、滅多に外に連れ出さない親。
子供との会話を「聞かれているから」と筆談で話す親。
普通に話をすると「聞かれていたらどうするの!」と言って、小声で話す事を強要する親。
何処かに遊びに行っても、「あの人は怪しい」などと言っている親。
自分が勝手に犯人だと思っている人の事を、子供に「あの人には気をつけなさい」と教え込む親。
そんな環境で育てば「被害妄想因子」を植えつけられながら育つのは目に見えています。
これは「子供を守ろう」と言う親心で「良かれ」と思ってやっている事なのですが「自分の間違った価値観を押し付けている」のです。


でも、目線を「お受験」に向けると、同じような事をしていませんか?
親の価値観を子供に押し付けている事には変わりないと思います。
親の価値観を押し付けられた子供は迷惑な話です。
そのお受験教育の中で、勝ち組だとか負け組みだとか、人格形成過程で親が将来的に精神ストレスを発生させる「心的因子」を植え込んでいるのではないでしょうか?


ここで、少し話は変わりますが、昔ソビエトのミグ25の戦闘機パイロットが千歳空港に強行着陸して、アメリカへ亡命した事件がありました。
そのパイロットはめでたくアメリカに亡命出来たのですが、その後ソビエトに逆亡命した事をご存知ですか?

この話、これまで書いてきた事と何の関係も無いと思えるのなら、少し目を覚ました方がいいと思います。


このパイロットが何故アメリカへ亡命し、そして夢をかなえたのに、またソビエトに帰っていったのか?
当時の社会主義のソビエトには自由が無く、自由を求めてアメリカに亡命したのです。
そして「自由」を手に入れたのです。
しかし、そこで一つの問題にぶつかります、それが「自由って何?」と言う事です。
どんな仕事をするのも自由、何処に住むのも自由、何を食べるのも自由、何を買うのも自由、全て自分で決める事が出来るのです。
しかし、ソビエトでは仕事も住む場所も国が決め、ショッピングも物が無いから選べる状態ではありません。
つまり、自分では何も決める必要が無いのです。
仕事の内容でも「これをしなさい」と言われた事をやっていれば良いだけの国から、常に自分の判断を要求される国へ来たのです。
そんな国から、何でも自分で決めなければならないアメリカに来たそのパイロットは、その生活に耐えられずにソビエトに帰って行ったのです。


この話を「お受験」の子供に当てはめて見て下さい、同じ構図なのですよ。
つまり「家庭という社会主義」の世界から「社会と言う自由の世界」へ出て行くのです。


自由を知らない人にとっては「自由は不自由な世界」なのです。

その「自由と言う名の不自由」に精神的が耐えられなくなる事もあるのです。


この自由と不自由のイメージを的確に表しているアニメがエバンゲリオンの最終話?です。
何も無い空間に浮かんでいる自分、そこには何処へでも好きな所へいける自由がある。
でも、どうしてよいのか分からない。
そこに地面と言う不自由を与えると、何処へでもいける自由がなくなる代わりに、その地面と言う不自由の上を立って歩けるようになると言う内容でした。


お受験に代表されるような子育ては、こう言った結果もあると言う認識も持つべきだと思います。




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