私が幼年期から娘に行った意識の植え付けがある。


コレもテレビを利用した方法なのだが、幼稚園の時などに一緒に動物番組を見ている時に植え付けた。


具体的には、エリマキトカゲがエリを広げて逃げる姿や、親鳥が怪我をした真似をして気を引こうとする映像を利用する。

そう言った映像を見ると、子供は笑う。


最初は一緒に笑っていればいいのだが、笑い終わった後で「でもあの姿は必死な姿なのだよ」と、一発目の刷り込みを行う。

次に「人間も同じで、必死になっている人は滑稽に見える、でもそれは余裕が無いから、だから滑稽に見えても笑ってはいけない、その人の必死な思いを汲み取れる心を持とうね」と教え込んだ。


そして、その後に応用を教える。

それが、人の見分け方だ。


カッコいい人は、余裕を持っていて必死ではない。

何をやってもカッコ悪い人の方が、真剣。


そんな教え方をしたせいか、男も顔で選ばないし、女子の前でカッコつける男を初めから相手にしないようになった。

いじめに対しても同様で、人をいじめて笑う行為に対しても、嫌悪感を持つようになった。


スネる事を見通して、わざと喜ばないプレゼントをして、送った人の気持ちを汲み取れるように指導した事もした。


「相手の気持ちを考えられるように」と言う事を念頭に教育していけば、少なくとも「いじめっ子」にはならない。

そして、心ならずも相手を傷付けてしまったら、ごまかさずにすぐに「謝る」と言う事も、同時に教えた。





集団ストーカー―盗聴発見業者が見た真実 (晋遊舎ブラック新書 001)/古牧 和都