私は、仕事がら色々何との相談を受ける。

そして、ほとんどの人が現状に付いての相談をして来るのだが、ほとんどの場合、幼年期に根本の原因がある場合が多い。

その中で多いのが、親との確執だ。

しかしその事は本人も気付いていない場合が多い。

例えば、親から受けた折檻で心に傷を負う場合や、しつけ問題で心に傷を受ける場合も多い。

逆に愛情過多などの場合も多い。

あくまでも一つの例なのだが、幼年期に親から受けた暴力によってPTSDを発症している場合がある。

その場合、親に対する恐怖心か「作った自分」で接する事になる場合がある。

それは「好きだけど甘えられない」「甘えたいけど我慢する」などの、解離的な性格になる。

つまり、欲求に対する「ダム」が形成されてしまう。

幼年期から成長して学校へ入るのだが、そこで孤独に陥る人が多い。

それは、友人などの話せる人が出来ると「心のダム」が決壊する為だ。

そこには、相手の事を考える余裕など無い。

ダムが崩壊すると、事情を知らない人は「異常」と思う。

具体的には、自分の事だけの主張、自己顕示欲、相手の都合はお構い無し、最大の欲求は「私を見て」になる。

すると友人たちは、距離を置くようになる。

つまり孤独の始まりだ。

そして、その事を自覚出来ないでいる。

そして、友人は注意をする。

しかしそれは「いじめ」になってしまう。

しかし、その子は現在の状況しか理解できない。

トラウマの原点を理解していないし、理解できない。

そして孤立したまま大人になる。

学校と言う閉鎖社会から開放されれば、人間関係も新しく構築する事が出来る。

しかし、根本は何も変わってはいない。

本来なら、高校までの間の友人関係で、相手への思いやり、相手の立場での物の考え方、遠まわしな表現などを学ぶのだが、それが出来ていない。

つまり、コミュニケーション能力が欠如して成長している。

その為に、同じ事を繰り返す。

話し相手が出来れば、又心のダムが決壊して、自己主張の洪水が始まる。

現在ならば、メールと言う物がある。

そこで、連続送信をしたり、夜中でも電話をしたり、自分を抑制できなくなる。

しかしそれはストーカー行為と同じである事に気が付かない。

心にゆとりが無いのだ。

そう言った人の文面は、字で埋まる事が多い。

文章を書く時、その人の精神状態が非常によく判る。

改行も無く、字で埋まった文章は、読む人の事を全く考えていない文章だ。

文章を書いている時に「読む人が読みやすいように」と言う、相手への配慮が無い。

つまり、自分の事を伝えたいと言う気持ちだけが噴出していると言える。

孤独は、一人である。

孤独は、自分だけの世界に浸っていると言っても良い。

早い話が、自己中心的な世界観を育成している。

それが、その人の世界観である為に、それがその人の常識になる。

一般的な常識を持った人から見れば、非常識な人と見えて、常識としての注意をしても、その人にとっては非常識な中傷と写る。

そして、自分の異常性に気が付かずに同じ事を繰り返し、孤立していく。

往々にして、そう言った人は幼年期の核心部分に触れると、色々な拒否反応が出る。

人によっては、全身硬直、心拍上昇、極度な緊張感、口ごもり、局所的な失語等等。

しかしそこに有る物は「親に対する愛情の欲求」である場合が非常に多い。

厄介なのが、そう言った精神的な問題は原点が「親」であるのだが、親にも自覚が無く、原点の親の付き添いで診察を受ける事になる。

しかし、原点で有る親の前では、真実は語れない。


そして、この問題を解決するのには、時間がかかる。

普通は、生まれてから十数年の時間をかけて育成される感覚を、数日で取り戻せるはずが無い。




集団ストーカー―盗聴発見業者が見た真実 (晋遊舎ブラック新書 001)/古牧 和都