私は娘に対して、小学3年の頃から未だに続けさせている事が2つ有る。


それは、朝は自分で起きて自分で学校へ行く事と、毎日のご飯炊きだ。


遅刻をしても自分で起きて自分で学校へ行く。

これは、自立心や自己責任を学ばせる為である。

親が起して学校へ行かせる。

そこには、親への依存心と親への責任転嫁の心が芽生える。

成長してからでは、その依存心がスタンダードな世界観になる。

大きくなってからでも、自分で起きる事は出来るようになるが、自己責任と言う物はなかなか身に付かない。


娘は、何度も遅刻をした。

遅刻をする度に、学校で怒られた。

それ自体が、経験である。

自分が寝坊して遅れる、自分が悪い、だから怒られる。

自分が悪い事を素直に認めて、素直に謝る。

そんな些細な経験を、大人は軽視しがちだ。

しかし、子供の成長過程に置いて、それは人格形成に多大な影響を与える事だと思う。


最初の頃は、親が起してくれないという思いもあっただろう。

しかし、それは責任転嫁である事を、身を持って教えなければならない。

そんな時には「誰の為の学校だ?自分の為の学校じゃないのか?」等と、小学3年の頃から教えてきた。

勉強にしても「勉強しろ」と言った事は殆ど無い。

私が言っていた事は「大きくなったら何になりたい?なりたい物になる為に必要な事は勉強しろよ」そして「今勉強せずに、将来自分がなりたいものになれなくても、それは自分の責任だからな」とだけ言っていた。


遅刻をして、学校へ行き辛くなり学校を休んだ事もあった。

学校からの連絡で、すぐに家に戻ったら・・・「いた!」

しかし私はあまり怒らなかった。

私が言った事は「良かった~!家に居た!先生から連絡が来たよ、何で休んだの?」と聞いただけだ。

その時「学校へ行く途中に忘れ物に気が付いて、家に戻ったらあまりにも時間が遅くなったので学校に行きづらくなった」と娘は答えた。

私は「アホ!前日にちゃんと確認しておかないからそう言う事になる、学校へ行っていると思っていたのが、学校に来ていないと先生から電話があれば、心配するだろ!あまり心配させるなよ」とだけ言った。


子供は、私が帰ってきた時には、怒られると覚悟していただろう。

そんな事は顔を見れば分かる。

つまり、自分で分かっているのだ。

そこで、追い討ちをかけるように怒る事はよろしくない。

迷惑をかけた事や、心配させた事を自戒するように持って行った方が良い。

私の子供の頃を思い出しても、一番嬉しかった事は「親に褒められた時や、親が自慢していた事を知った時」で、一番悲しかった事は、親に「そんな奴だとは思わなかった」と言われ、父の信頼を失ったと思った時だった。

そんな時は、父に怒られるよりも母の優しい言葉の方が効いた。


毎日のご飯炊きにも、理由がある。

人間毎日しなければいけない家事などは幾つもある。

まあこの事を考えるに至った経緯は、私の家内にある。

私の家内はフィリピン人であり、国際結婚は異文化交流の最たるものである。

家内は、7人兄弟の下から2番目で、高校卒業後にすぐに日本に出稼ぎに来たジャパユキさんだ。

その為、家事をした事が無い。

家族の為に働くと言おう意識は有っても、家事をした事が無いのだ。

その為、家事はメイドがやる事で、私はメイドじゃないという意識を持っていた。・・・違うだろ!

家事は、家族でやる物で、金持ちが人を雇って家事をやらせるのが、メイドだろう!

貧乏人が、メイド雇ってどうすんだよ!・・・とは思うのだが、フィリピンと言うお国柄を考えれば、アメリカナイズされている訳だ。

フィリピンは長い植民地の歴史を持っている。

家内はアメリカナイズされている世代であり、意識は「バイ・アメリカン」である。

TVもアメリカンで育っているので、メイドと言う意識が強いのだろう。

更に「向こうの料理は口に合わない」し、家内に日本食を強要するのも文化の強要みたいで嫌だ。

そこで、「お互い食べたい物を自分で作って食べる」という事にした。

これで、メイド問題も解決するし、口に合わないものを食べなくて済む。

そう言う生活の中で、お互いの食べ物や文化に少しづつ慣れて行けば良い。

まずは、お互いの文化を知り、認め合う事である。


そんな中で、娘は好きな方の食事をすればよい。


しかし、問題があった。

そんな家庭環境では、娘に通常の家庭を体験させる事が出来ない。

もう一つ、私も経験してきた事なのだが、家の仕事を子供が手伝うのは大切な事だと思っている。

家の仕事を子供にさせる事は、家族の一体感や「親の信頼」を感じる為にも必要なことだと思うし、家事を子供の頃から毎日手伝えば、それが当たり前の事と言う意識を持たす事が出来る。


そこで思いついたのが、ご飯炊きだ。

これは、家族の為に子供が働くと言う向こうの文化とも合うので、家内の反対もなく出来た。


そして、厳しいようだけど、多少の事では止めさせない。

風邪だろうが、テストだろうが、熱で寝込む以外は必ずやらせた。


これは、厳しいように見えるが、社会人としては当たり前の事である。

その事を、子供の頃から体験させれば、大人になってから違和感を感じずに済む。

そして、自分がご飯を炊かなければ、皆がご飯を食べられない・・・つまり責任感を持たせる事にもなる。


今では、学校から帰ってきたらすぐにご飯を炊く事が習慣になっているし、美味しいご飯を炊くと言う向上心も出ている。



多分、今の社会ではこう言った教育は流行らないだろうとも思う。

先日、TVで責任について放送されていたが、その中で言われていたのが「責任回避社会」である。

行政も教育も責任回避に向っている。


私が娘にしてきた教育は、責任を果たす教育だ。

私が親から受けてきた教育も、同じような教育だった。

私に限らず、昔は家の仕事を手伝う事が当たり前だったのだが・・・・・



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