今回は「お小遣い」に関してだ。


私は、今まで子供にお小遣いをやらずに来た。

欲しいものがあれば親に言え。


そうやって育てて来た。

それが良いのか悪いのかは分からない。


しかし、高校3年まで何の問題も無くやって来た。


この利点は色々ある。

一つは子供の趣味、欲しいものなどが分かる。

普段からお金を持っていなければ、たかられる事も無い。

我慢する事を覚えさせる事が出来る。

他人から金を巻き上げて欲しいものを買って、お金を貯めて買ったと言う言い訳が出来ない

無駄遣いが無く、贅沢を覚えない


などである。


とは言っても、お年玉などはあげる。

お金の使い方は、そのお年玉を如何に有効に使うかで覚えさせれば良い。


これは、子育てでも結構重要な事だと思っている。


なぜなら、省庁でも金を持っている「大蔵省(現財務省)」が一番権力を持っていた。

子供に、多額の小遣いを与える事は、親の言う事を聞かない子供になる可能性が高いと言う事である。

また、自分の汗が染み込んでいないお金には、有り難味が無い。


まあこれも、国際結婚で学んだ事なのだが、当時のフィリピンはかなり貧しかった。

その為、出稼ぎに出てお金を送るのだが、一旦お金を送り出すと、向こうの人間は働かなくなる。


送金するまでは、生活する為に、どんなに安い給料の仕事でもしていた家族が、送金を始めると途端に仕事をしなくなる。

「仕事をしろよ」と言っても、「給料が安い仕事しかない」などの理由を言って、仕事をしなくなってしまう。

そして、送金を止めると「病気になった」とか「怪我をした」だから金を送れ!と言って来る。

なのに、贅沢三昧をしていた。

フィリピン版ニートだ。

人間は、一度贅沢を覚えてしまうと、なかなか元に戻れるものではない。

それは、フィリピン人だからという問題ではなく、日本人も例外ではない。


子供の小遣いも同じだ。

働かなくてももらえるお金、それが当たり前と言う感覚は与えたくなかった。

学費は自分で稼げ!と言う方針も、学ぶ事への意識改革以外にも、この事に関係した理由がある。


自立して生活すると、食費や光熱費など生活に必要なお金がかかる。

実家で生活していれば、そう言った生活費は要らないので、バイトで稼いだ金を好きな事に使ってしまう。

それは、贅沢を覚えると言う事であり、そこに金銭感覚のズレが生じる。

まあこれは、私が大学へ行っていた時に、親と喧嘩して家を出て、一人暮らしを始めた時に実感した事でもある。

それまでは、親の保護下でバイト代は全て自分の好きな事に使っていたし、それが当たり前だと思っていた。

一人暮らしをするまでは光熱費や食費が必要であると言う事は知っていても、いくらかかるのかまでは知らなかった。

実際に光熱費などを支払う時に、物凄く損をした気持ちになった。

それが、どれだけズレた感覚だったのか、自覚できないでいた自分を思い知った。

親に反発して、一人暮らしを始めた訳だが、一人暮らしが自分の愚かさを知る事になった訳だ。


そんな感覚を自然と学ばせる為には、必要経費を払って残った金しか自由に使えない状況にするのが良い。

その必要経費も自分の為になる訳だから、一石二鳥である。


これは江戸時代の参勤交代を子育てに応用した。


自営業は、山あり谷ありで、儲かる時もあれば思いっきり金に困る時もある。

金に困っている時に、高校生の娘が「ハイ」と言ってバイト代を全額渡してくれたりする。

さすがに、高校生の娘から金を受け取る訳にはいかないが、そんな気持を持つ娘に育ってくれた事が嬉しい。


これも、今までしてきた教育の成果なのだろうか?



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