私の著書に出てくる人達は「見られる」事に対して強い嫌悪感を抱いている。
この事自体が、昔と今では感覚のズレがあるようだ。
私が子供の時によく言われた言葉がある。
「お天道様はいつも見ている」「分からないと思って悪い事をしても神様はいつも見ている」「誰に見られても恥かしくないように」などなど。
昔は「いつも誰かが見ている」と言うのが、一つの教えであった。
だから悪い事をしてはいけない。
「誰かが見ているのは当たり前」と言う感覚で育った物だ。
ALWAYSと言う映画が人気を呼んでいるが、私が生まれた時代の映画だ。
あの映画の時代、よく見かけたのが家の前に椅子を置いてステテコとシャツだけで座っているおじさんだ。
そのステテコの横からサトイモが見えていたりする事もしばしば有った。
しかし、サトイモが見えていたからと言って、恥かしがったりしなかったし、ワザワザ見ようとしたり注意したりする人もいなかった。
当たり前の光景だった。
私が何処で遊んでいるかなど、何も言わなくても親は知っていた。
それは近所の人が「あそこで遊んでいたよ」と勝手に教えてくれたからだ。
自分の幼少の頃を思い出してみると、自分の心の変化が有った時期を思い出す。
それは、家を新しくして「自分の部屋」を持った時だ。
それまでは自分の部屋など無かった。
だから隠す物なども無い。
しかし、自分の部屋を持った時、色々と隠し事も出て来た。
まあ早い話が「エロ本」である。
エロ本と言っても「週間プレーボーイ」とか「平凡パンチ」程度の物なのだが、そんな本を隠して見るようになった。
それまでは、友人の家でこっそりと見ていた。
その時の自分の心境の変化を自分で分析すると、物理的な個室化は心の個室化につながっている事が分かる。
それが良い事なのか悪い事なのかは分からない。
しかし、大学時代の下宿体験は、個室化のとても良い勉強になった。
私が下宿アパートに住み始めた時、他の部屋の住人同士は全く交流が無かった。
丁度今の集合住宅の隣人関係と同じで、隣の部屋の奴がどんな奴なのか誰も知らなかった。
最初はそんな下宿アパートだったが、翌年卒業して出て行ったやつの変わりに新入生が入ってきた。
その時、同時に何人も入って来た為、挨拶大会の様になってしまった。
それを切っ掛けに、他の部屋の奴とも仲良くなった。
それからと言う物、全ての部屋の奴がドアを閉めなくなった。
向かい同士でドアを開けていると、1メートル程度の廊下を隔てて部屋続きになる。
ドアが閉まるときは寝る時か、外出する時、そして彼女が遊びに来る時だけだ。
テレビもそれぞれが見たいチャンネルで見ていて、面白い場面になると「これ面白いぞ~」と誰かが言うと、自分の部屋で見ればいいのに、そこの部屋に行って皆で見ていた。
プライバシーなど何も無い生活だった。
エロ本は全員の共有物と化し、新しいエロ本が回覧板のように回ってきた。
それぞれの地域の物産も集結した。
それぞれの実家から物産が届くと、そいつの部屋で酒盛りが行われた。
真夜中に下宿の皆で、近くの書店の駐車場へ行き「はないちもんめ」をやる事もしばしばあった。
そんな下宿生活を体験する事で、部屋の壁が無くなれば心の壁も無くなる事を知った。
私の娘にも個室は与えているが、以前のマンションの時には「襖」は開け放ちだった。
しかし、これは私が開け放っていたのではない、娘が自分で開け放っていた。
幼児期から開け放ちが当然と言う感覚にすれば、開け放ちが普通の感覚になる。
その為か、今の家では私の部屋と娘の部屋は離れているのだが、娘はいつも私の部屋に来て、色々な話をする。
集団ストーカー―盗聴発見業者が見た真実 (晋遊舎ブラック新書 1)/古牧 和都