以前、私の家の猫が雀を捕まえてきた。


当然半殺しの状態である。


娘は、その雀を見て「かわいそう」と言った。


その時に私が娘に教えた事は、ヒューマニズム精神が旺盛な人が聞けば首をかしげる物だろう。


私が言った事は「確かに可哀想かも知れないが、それは必然、自然の摂理だから、猫を怒ってはいけないし、雀を助けようとしてもいけない」


これは、視点によって答えは一つではない事を教える教育でもある。


ヒューマニズムの視点で見れば、猫にやられて死にそうな雀を助ける事は美しい事に見える。

しかし、自然の摂理と言う視点で見れば、天敵に襲われる事は必然、それで自然界のバランスが保たれている。

人が、ヒューマニズムで手を加えれば自然界のバランスを崩す事になる。


しかしどちらも間違いではない、答えは立場によって異なり、一つではない事も教えなければならない。


この教え方は、昔から行ってきた。

三角形の証明を学校で習ってきた時も同じような事をやった。


意地悪な問題を出してやった。


学校の校庭に書いた大きな三角形も、三角形の定義が当てはまるのか?と言う質問から、その三角形をもっと大きくして北極点を頂点に赤道まで至る直角三角形にも三角形の定義が当てはまるか?


当てはまるはずは無い、球面になった事でユークリッド幾何から非ユークリッド幾何に変わっているからだ。


せっかく覚えた学問を、わざわざ混乱させてやった。


全ての三角形に三角形の定義は当てはまらない、三角形の定義は平面上だけでしか有効ではない。

しかし世の中平面とは限らない。

校庭というレベルでは平面に近いし平面に見える、しかしその校庭も地球と言う球面の上にあり、平面と思っていた世界の延長が球面と言う違う世界であると言う世界観も教えたかった。


この教え方の狙いは何処の視点でも物事を考えられる様にする事と、その中で状況に合わせて正しい答えを導き出す力を養う事だ。

この力を養えれば、立場の違う相手の事も理解できるようになると思う。




集団ストーカー―盗聴発見業者が見た真実 (晋遊舎ブラック新書 001)/古牧 和都