イリノイ大学の実験で生後7ヵ月半の赤ちゃんに、最初にテーブルの上を左右に物体がすべる映像を見せる。
その物体は、テーブルの無い所までスライドして、あたかも空中を飛んでいるように見えるのだが、赤ちゃんは何の驚きの表情も見せない。
次に、その物体に人間の顔を付けて同じ実験をすると、赤ちゃんは不思議そうに困惑した表情を見せる。
つまり、日々の観察から赤ちゃんは人間が空を飛ばないと言う事を理解している。
オレゴン大学の実験では、生後11ヶ月の赤ちゃんにタオルを拾いタオルかけに掛ける映像を見せる。
次に、同じ画像をモーションキャプチャーの画像の様にしてタオルやタオル掛を写さずに行為だけが見られる画像を見せる。
これは「タオルを拾う」と「タオルを掛ける」と言う2つの動作である。
この映像を、タオルを拾った所やタオルを掛けた所で止めても、赤ちゃんは不思議がらない。
しかし、タオルを拾う途中や、タオルを掛ける途中で映像を止めると、赤ちゃんは困惑して何度も画像を見直す。
つまり、赤ちゃんは映像を観察する事で一連の行為は、タオルを拾うという行為と、タオルを掛けるという2つの行動である事を認識し、それらの行動には初めと終わりが有る事を認識していると言う事である。
また、4つの組からなる単純な行為を三つ組み合わせたパターンを飽きるまで見せる。
そして、赤ちゃんがパターンに飽きたらパターンを変えて見せる。
すると、赤ちゃんは集中を取り戻す。
これは、パターン化したことを認識して、次に何が起こるかを予測していると言う事で、パターンが変わった事で新しいパターンを覚えようとしている訳だ。
これらの実験から分かるように、人間はいくつかのパターンを認識して、そこから予測していると言う事である。
人間は観察によってパターンを覚え、そのパターンによって予測している。
つまり、統計的確率を持って予測している。
統計学でランダムサンプリングと言う物がある。
数量と色の違う玉を混ぜ合わせて、サンプリングを取り違う色の玉の割合を導き出すと言う物だ。
ランダムサンプリングは、一回では誤差が大きい。
その誤差を少なくする為には、多くのサンプリングを取れば誤差は少なくなる。
それと同じだ。
人生に於いて、そのパターンとは経験であり、経験が少ないと困惑してしまうと言う事である。
以前にも書いたが、交通事故系のオレオレ詐欺などは一度でも交通事故を経験していれば、簡単に見破る事が出来るが、交通事故を経験していなければ困惑してて引っかかってしまうのは、この事によると思われる。
そして、ニュースなどで注意を喚起されても、引っかかる人がいる事は、オレオレ詐欺が有る事は知っていても、自分の身に起きると困惑してしまうのだろう。
また、これも以前に書いた事なのだが、ワンクリック詐欺の相談サイトを開いていて、無視しなさいとアドバイスしていた人が、自分に来たワンクリック詐欺のメールを無視できずに、心配になって私に相談してきた事も、この経験の無さから来る困惑による物だろう。
つまり、知識と経験のバランスが取れていないと言う事である。