昨日、娘と昔(小学生時代)の話をしていた。
その話の中で、家内の雀の死体の処理の話が出た。
その雀は、まだ子供で飛べずにいた所を持って帰ってきて世話をしていたのだが、箱から逃げ出して何処へ行ったか分からず諦めていたのだが、ソファーの下で死んでいるのが見つかった。
その死体を家内はコンビニ袋に入れてゴミ箱に捨てた。
娘は「命」あるものは「土」に埋めて埋葬したかったらしい。
娘には「日本と外国では習慣が違うから仕方が無いよ」と言っていたのだが・・・
実は少し違う。
家内の母国、と言うより家内の育った時代のフィリピンでは「食料」としての感覚で、食べれなくなったら「残飯」としての感覚だ。
結婚当初、家内が言っていた「フィリピン野良犬いない!野良犬歩いていたら皆食べる、だから野良犬いない」・・・
公園で、鶏が歩いているのを見て「フィリピン、こんな所に鶏いない、皆食べる」・・・
当時のフィリピン(庶民)」には「ペットと言う感覚は無かったようだ。
いや、家内の友人は「クロコダイルに残飯食わせて大きくなったら食べた。」と言う話も聞いている。
そのクロコダイルも、トイレ(水上生活)で頑張っている時に、気を付けていないと人を食うらしい。
なんとも、食うか食われるかの世界・・・か?
そう言えば、家内は川の近くの道を歩いていた「カメ」を見つけて「持って帰る~!」と騒いでいた事が有ったが、カメスープでも作るつもりだったのだろうか?
正しい知識を教えてもらった事もあった。
昔のモスラの映画を見ていた時、インファント島に生えている植物を見て一言「実はパパイヤだけど木が違う、パパイヤこんな木じゃない」・・・なるほど。
パイナップルを食べた後、パイナップルの葉が生えている所を、プランターに埋めていた。
パイナップルはこうするとまた生えて何度も食べられるそうだ。
そかし、時期は冬、そのまま枯れた。
ママは凄いんだぞ!と娘にこの話をしたら「熱帯の果物が冬の日本で育つと思っている所がママらしい」と言われ、ホローにならなかった。
集団ストーカー―盗聴発見業者が見た真実 (晋遊舎ブラック新書 1)/古牧 和都