心に病を持つ人を見ていると、共通点がある。
それが「自己認識が上手く出来ていない」と言う点である。
「自分の価値は他人が決める物 」や「監視妄想の発生メカニズム 」で書いた実験にも関係して来るのだが、他人の目を異常に気にする人が多い。
「自称集団ストーカー被害者」のUPしている証拠映像
が代表的な物なのだが、ビデオカメラを持ち歩き、通行人を犯人ですと言いながら撮影する行為。
その行為は、他人から見れば異常である。
こんな実験 がある。(動画)
生後15ヶ月程度の子供に、広げたバスマットを結びつけたショッピングカートを押させる。
すると、子供はバスマットの上に乗って押さなければならない為、ショッピングカートは動かない。
色々と原因を調べる子供もいるが、原因をショッピングカートやバスマットに求める。
つまり、空間の中の自分の存在を認識していない。
この自己認識が備わるのが生後18ヶ月と言われている。
しかし、この自己認識も「走って転んで怪我をさせながら育てる 」で書いた危険認識と同じ様に、色々な場面を経験してアップデートを続けなければ自己認識は育たない。
今まで見て来た心に病を持つ人は、この自己認識が極端に偏っているか、育っていない人ばかりだった。
先の、自称集団ストーカー被害者のUP映像 を客観的に見れば、実験映像の子供 と同じである。
一つの例だが、幼年期から人付き合いが苦手な人は、あまり人付き合いをして来ない。
人付き合いが少なければ、集団の中の自分の存在の認識が薄くなり、自己認識のアップデートが行なわれずに成長する。
その為、実験映像の子供の様に、原因が自分であることに気付かずショッピングカートやバスマットに求めるのと同じ様に、原因を他者や社会に求める。
大半の連続殺傷事件を起す犯人にも、こうした構図が見られるが、「お前が悪い」的に育つと自己認識に偏りが生じ、自分が悪いと自分を責め続ける傾向が出る。
主に、そうした人は幼少の頃に同年代の子供や年の近い兄弟との「ごっこ遊び」が少ない。
子供は36ヶ月になるまでに「ごっこ遊び」を通して、社会性を学ぶのだが、心に病を抱える人にはその部分が欠落している人が多い。