今回は私が行なった育児法なので、お受験など英才教育を目指す人には不向きです。


私が娘に小学2年~3年の頃から、20歳になる今に至るまで一貫してやらせている事がある。

それが、朝は自分で起きて自分で学校へ行く事と、ご飯炊きである。


それまでは、夜更かしして寝坊したり、睡眠不足から授業中に眠くなったりしていた。

また、学校に遅刻すると、「どうしてもっと早く起してくれなかったの!」と親を責めたりする。


そこで「学校は親の為に行くんじゃない、自分の為に行く物だし、勉強は自分の為にする物で、親の為に勉強する訳では無い」と教えた上で、「これからは自分で起きて自分で学校へ行け」と言い渡した。


遅刻して怒られても自分の責任、怒られるのが嫌なら寝坊しなければ良い。

寝坊しない為には、夜更かしをしない事。

つまり、自分で自分をコントロールしなければ寝坊してしまう。

親に頼っていては自主的に自分をコントロールしようとはしない。


実際にやってみると、夜は自分から寝るようになり、遅刻は年に二度程度だった。

何よりも「誰かのせい」と考える事が無くなった。


但し、保護者会の時に先生から遅刻の事を注意されるが、その時は娘にこう言った。

「皆勤賞を取っている子の皆勤賞は親の皆勤賞で、その子の努力ではない、例え遅刻しても自分で起きて自分で学校に行っているお前の方がよほど偉い」


こうした事の意義は結構大きい。

例え皆勤賞を取れなくても、自分で努力した事に対して評価する。

自分の努力でもない事に対しては評価しない。



極端な例が、秋葉原事件の加藤被告である。

「親の書いた作文で賞を取り、親の書いた絵で賞を取り」

親に手伝ってもらって賞を取っても、子供の自信にはならないし、親に手伝ってもらって賞を取って自信を付けたなら自信過剰になってしまう。

どんなに下手でも、自分の作品は自分で作らなければ、自分の自信にならない。

賞を取れないのは自分の努力が足りない、賞を取りたければ自分で努力する事、努力しても賞を取れなければ自分に才能が無いだけの話。

進学したければ勉強すればよいし、進学したくなければ勉強しなくても良い、全ては自分で行なった行為の結果でしかなく、全ては自己責任で誰のせいでもない。


親に言われた通りに勉強して、親の進めるままに大学に入り、社会に出た時に、親の語った未来と違っていれば親や社会に不満を持つだろう。

しかし、自分のしたい事を自己責任でやらせてやれば、誰にも責任は転嫁されない。

責任を誰にも転嫁出来なければ自分で努力するしかなくなる。


親が経済的援助をしていなければ、社会で叩かれても引き篭もる事も出来ず、自分で働かなければ食べてはいけない。

それを「当たり前の事」と感じていれば、選択肢に引き篭もりは無くなる。

当たり前の事と感じさせる為には、子供の頃からそう言った環境で育てる必要がある。

全ては、「どうしてもっと早く起してくれなかったの!」と言う感覚の延長腺で、自我が強くなる前から自己責任を教え込んでいれば、当たり前の感覚になるが、自我が強くなってからでは、逆に親の責任転嫁と受け取り、反発する様になる。

ご飯炊きは、自己責任と家族の一員である事の認識。

ご飯炊きを忘れると、皆がご飯を食べられない、皆がご飯を食べられなければ責任を感じる事で責任感が芽生える。

家庭の中で、家族の為に自分が仕事をする事で、家族の役に立っている事を感じる。

ご飯炊きは多少の熱があってもやらせた。

社会に出たとき、多少の熱があっても、やらなければならない時がある。

その延長で、遊びに行ってもご飯を作る時間には自主的に帰って来た。

どうしても遅くなる場合は、必ず連絡する様になった。


ちなみに門限は、小学生の頃は「暗くなる前」、中学の時は「18:00」高校の時は「20:00」高校卒業後は「22:00」そして20歳で門限無し。


高校の「20:00」と言うのは、名古屋のお店やデパートは20:00で閉店で、その後は夜の街に変り酔っ払いが出没する。

20:00までに帰れば酔っ払いに遭遇する確率は低くなる。

20歳までは酒は禁止なので、門限を定めておけば酒を断る理由にも出来るので22:00、20歳になれば酒も飲む事になるだろうし、大人として扱う為に門限は無し。

しかし、それまでの習慣があるので、遅くなりそうな時には18:00までには必ず電話してくる。



中学三年の進学指導の時に言った事は「学費は自分で稼いで学校へ行け」

基本は、小学生の頃から言い続けている「勉強は自分の為にするもの」

親の意思として学校へ行かせるから勉強しなかったり、不登校になったりする。

自分が「学びたい」と思って学校へ行けば、成績は別にして自分から学ぼうとする。

その為には「親に頼る」と言う意識を捨てた方が良い。


しかし現実的には働きながら学校へ行くのには金額的には難しい。

とりあえず、入学金だけは出して学費は自分で稼げと言い渡し、嫌なら進学するなとも言った。

「それで、お前が非行に走るのも自由だし、それで人生を棒に振るのも自己責任で誰が悪いのでもない」とも言った。


これも、親が学費など全てを出していれば、それが当たり前だと思ってしまうし、親が出す学費の重さを理解しない。

自分で稼いだお金を、学費に出せば残ったお金は少なくなり、自分の欲しい物を買うことに使えない。

それは親の立場を経験させる意味合いで、親の立場を理解すれば親の気持を理解しやすくなる。

こうした意識は、自分の家族関係を見るよりも、友人の家族関係を見る事に役立っているようだ。


友人の話を聞いて「あの子は親の気持ちを分かっていない」とか「あんなワガママを言っていたら親が可哀想」と言うようになり、それを反面教師にしている。


今、娘は声優になる夢を持って、声優養成コースのある学校に入る為に、学費を稼いでいるのだが、私は反対はしないし、声優になれるとも思っていない。

まずは、自分の可能性を精一杯追求してみる事だ、目標に向って努力していれば、自分の適性を自分で知るだろうし、そこから新しい道も必ず見つかる。

それもまた自己責任。


先日、娘は面白い事を言っていた。

進学した高校の同級生が、学校を辞めてしまったのだが、その事について「やっぱり自分で学費を払わないとダメなんだね」と言っていた。





集団ストーカー―盗聴発見業者が見た真実 (晋遊舎ブラック新書 1)/古牧 和都