報道特集NEXTで「「保育園で・・・わが子はなぜ死んだ」と言う特集を見た。


1歳6ヶ月の子供が認可外保育園の手洗い場で溺れて亡くなった事故の特集だった。


この事故の報道を見ていると、何か違う気がする。

確かに、保育園には過失がある。

可愛い盛りの子供を失った親は被害者への同情。

裁判になると二転三転する園長の証言に対する苛立ち。


恐らく、あの特集を見た視聴者の大半はそこに共感していただろう。


しかしこの事故は、過失とかそんなレベルじゃなくて、もっと根本的な所が間違っていると思う。

それに気付かない人は、それが当たり前だと思っている訳だ。


保育園に預けると、保育士は危ない事はさせない。

危ない物から遠ざける。

危ない物は置かない。

そこに落ち度が有り事故が発生すると、過失責任を問われる。



しかしそれは、危険認識を持たせずに育てると言う事。


今の世の中、保育施設は過失責任を問われてしまうので、少しでも危ない事はさせられない。

子供に危ない事をさせられるのは親だけ。

親の目の届く所で危ない事をさせて、少し痛い思いをさせなければ危険認識は育たない。


危険認識は自己回避能力で、一度体験した危険は自分から近付こうとしなくなるが、危険認識が育たないと危険に自分から近付いて行ってしまう。

小さな危険認識の積み重ねが大切で、その積み重ねで「経験知」が作られ、その「経験知」から「経験測」が生まれる。


経験則は経験知を元に行う判断。

経験知が少なければ、危険を過小評価してしまう。


その危険の過小評価の一つが、大麻や覚せい剤などの薬物の使用である。

一流校に広がる薬物汚染、危険に対する経験知が低いから容易に手を出してしまう。


その出発点が、「子供を保育園に預ける」と言う所から始まっている。






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