今回は「探す」という事に付いて。

集団ストーカーやガスライティングと言う物は、基本的には「噂」の心理である。
検証する前に「噂」なる物を検証してみよう。

何故、人は噂を信じてしまうのだろうか?

まず、人間は聴いただけの話は、鵜呑みに信じない傾向が有る反面、体験した物は信じる傾向がある。
聞いただけでは「信じらんない」とか「そんなこと有り得るの?」と懐疑的に聞く傾向がある。
しかし、噂を聞くとその噂は心に残る。

噂を聞いた人が、その噂に関する事に遭遇した時に、「怪しい」と思える物を探そうとしてしまう。

そして「怪しい」と思える事を探し出すと、「体験した物は信じる」と言う傾向により、その噂を信じてしまう。

しかし「怪しい」とは一体何なのだろう?
怪しいとは「知らない事」である。

つまり、自分の知らない事が全て怪しい事になる。
それは技術的な事であったり、理論的な事であったりする。
そして、人間が最も知り難い物が「他人」である。

他人の行動や考えは、その人の事情なり、その人の環境なり、境遇なりが分からなければ理解する事は難しい。

逆に言えば、その人の事を理解していれば、その人の行う行動を「怪しい」とは思わない。

また「体験した物は信じる」と言う傾向が、「噂」に尾びれ背びれを付けて行く。
自分が聞いた噂に、自分で探し出した体験を付加して人に話して行くのだ。
そうして噂は瞬く間に広まって行き、風評被害を生む。

つまり、広まった噂とは、人々の「知らない事」の集大成でもある。

こうした事を踏まえて、UPされている映像を見て見よう。

これも知らない事なのだろう。
http://www.youtube.com/watch?v=B8BU0kxWVcg&feature=related

黒煙がダンプの嫌がらせと思っているらしいが、あの黒煙は大型自動車に付いている「排気ブレーキ」の黒煙だ。
排気ブレーキはアクセルを緩めると作動し、アクセルを踏むと解除される。
仕組みは、アクセルを緩めると排気ガスの弁が閉じて、排気ガスをエンジン内に逆流させてエンジンに強力なブレーキをかける。
アクセルを開けると、弁が開放されて排気ブレーキが解除される。
その時に、溜まった排気ガスが黒煙となって排出される。

この映像を見ると、横断歩道で黒煙を上げている。
つまり、横断歩道までは横断者を予測して、止まれるように排気ブレーキをかけて減速し、横断者がいなかったので、アクセルを踏み加速しただけの話である。

排気ブレーキは、4t以上の車にしか付いていない為、乗用車にしか乗った事が無い人には「知らない事」であり、怪しい事になる。

これも「探している」
http://www.youtube.com/watch?v=pmwSxv-JDQs&feature=related
ビデオを映しながら探している。
そして「危ない」とテロップを出しているのだが、危ないのはこの人。
映像を見る限り、かなり前からブレーキランプは点いており、急ブレーキではなくこの人がビデオを回しながら「探している事」による前方不注意でしかない。


探し始めると何でも怪しく見えてしまう。
http://www.youtube.com/watch?v=WwEA96iZ_vA&feature=related
この映像を見る限り、相手の車は直前まで見えていない。
と言う事は、相手の車からも自分の車が見えていない訳で、ブレーキをかけるのは当たり前だ。
しかも、交通量が少ない道である事も、この映像で分かる。
こう言う道であれば、通常は減速するだけで、車がいなければそのまま行こうとするだろうし、いつもならそのまま行ける所に、この人が通りかかったからブレーキを踏んだだけの事だろう。


この映像は、論理的思考ではなく感情的思考を表している。
http://www.youtube.com/watch?v=ccV2H7j3d3E&feature=related
前を走る車が追突事故を起こし「わざとらしいな」と言う言葉を吐いている。
目の前で、わざわざ事故を起こして、事故を起こした人に何の得があると言うのだろう?

そこが理解出来ずに、「わざとらしい」と思えるのは、論理的思考が出来ていない事を表していて、感情を言葉にしているだけである事が分かる。


これが、集団ストーカーやガスライティングを信じる人の特徴でもある。
早い話が、左脳、特に左脳前頭葉の機能低下である。

左前頭葉の機能が低下すると、オカルトなどの荒唐無稽な物を信じやすくなり、非論理的な話を信じやすくなってしまう。
この特徴は知る人ぞ知る「ジャングルの王者」にも見受けられた特徴でもある。
かの「ジャングルの王者」も、集団ストーカーを声高に叫ぶ前は、オカルト的な物に傾倒していた。

左脳は論理的思考、右脳はイメージや直感を司る事は良く知られている。
論理的に考えれば、目の前で事故を起こす事に何の得があるのか?と考えるのだが、左脳の機能が低下して、右脳の直感で考えるから「わざとらしい」になる。
その直感やイメージと言う物は、感情に左右され易く、感情に左右されやすいと言う事は、扁桃体の影響を受けやすいと言う事でもある。

それは左前頭葉の機能低下を意味している。
左前頭葉の機能が低いから、集団ストーカーやガスライティング等と言う非論理的な概念を信じてしまう訳だ。

そして、左脳の機能が低いと言う事は、もう一つの可能性を示している。
それは、コミュニケーション力も低いと言う事である。

前頭葉を活性化させ、発達させるのは「相手の顔を見てする会話」である。
そして、論理的な思考を可能にするのは、質問形式による会話である。

言語は思考の道具である。
ジュースが飲みたい時「ジュース」とだけ言っていれば、ジュースが飲みたいのだろうと相手が解釈する事で伝わる事は伝わる。

しかし、それは思いついた言葉を口にしているに過ぎない。

ジュースがどうしたの?と質問すれば「飲みたい」と答え、どうして飲みたいの?と質問すれば「のどが渇いたから」と答える。
そうしたやり取りで、体系立てた論理的思考が培われる。

こうした能力が養われていなければどうなるのだろうか?

例えば「山に登りに行く」を例にしてみよう。
自分が山に登りに行く時に「山に行く」と言った場合、人にはあまり伝わらない。
山に登りに行くのか、山を見に行くのか?

もし「山の空気は美味しいし、高山植物も綺麗、そして山は涼しくて気持ちが良く、雲海から登る朝日は絶景、それが見たくて山に登る」と言えば、相手に自分の事を理解してもらい、自分が好きな山を理解して貰う事が出来る。

「山に行く」とだけ言う人は、相手が察してくれなければ何も伝わらなく、それは自分が理解されない不満にもなり、理解されない孤独も感じる。

それでは他人とコミュニケーションが取れず、他人とのコミュニケーションが少なければ他人を理解する事が出来ない。

他人とのコミュニケーションが少なく、上手くコミュニケーションが取れなければ、他人は「知らない物」の一つとなり、他人の行動は「怪しく」見え、その怪しい事を探せば全てが怪しく見える。

結局、集団ストーカーやガスライティングと言った物は、左脳(左前頭葉)の機能低下(機能損失)でしかなく、左脳の機能が低下している為に、イメージや直感の右脳に偏り、その為、論理的な話を理解する事が難しくなり、論理的な話は感情的に否定する傾向が現れ、イメージの合う物には同調する傾向が強くなる。

その為、彼らのUPする映像やブログには、本人としては論理的に書いているつもりが、理論的を装った、感情を言葉にしただけの文章になり、論理的証拠としてUPする映像は、自分で探しているだけの映像になってしまったり、知っている人から見ると馬鹿げた映像ばかりになってしまう。


集団ストーカー動画の検証」で取り上げてきた映像は、全てこれらの要件を満たしている映像ばかりで、取り上げなかった映像も全てこの域を出ていない。

あの宗教団体が槍玉に上げられるのも、公安が槍玉に上げられるのも、朝鮮が槍玉に上げられるのも、全てこの「知らない」事の域を出ていない。

その前頭葉の活動を奪うメカニズムもある。
それが「前頭極」の働きである。

前頭極が働き出すと、前頭葉から理性を奪い扁桃体主体の脳になる。
前頭極は不安を感じると働きだすのだが、前頭極が働き出すには自分に該当するキーワードが必要になる。

つまり、自分の身に危険が迫っている時に、考えて行動していたのでは遅れてしまう為、瞬時に本能的に危険を回避する為のメカニズムである。
その行動原則は危険からの離脱、つまり闘争か逃走。

集団ストーカーやガスライティングと言う思想に触れる事が、この前頭極を働かされてしまう事になる。
「アンカリング」や「ストリートシアター」などの概念は、日常当たり前の事を「犯行の手口」とする概念である。
そうした日常の当たり前の事を「犯行の手口」と意識誘導されてしまう為、日常当たり前にある事全てが、前頭極が働き出すキーワードになってしまい窮鼠と化してしまう。

だからこそ、集団ストーカーやガスライティング妄想を外す方法も見える。
その方法とは、まず前頭葉を活性化させ、そして左脳を鍛える事であり、左脳を鍛えて論理的な思考を取り戻すには、質問形式の会話をする事であり、知らない事に対して正しい知識を身に付けさせる事である。
そして、前頭極を活動させない為には、経験によって理解させる事である。

しかし、その大前提となる事が、本人が自覚する事であり、本人が自覚しない限り、こうした事を学ぶ事は出来ない。

そして、家族や周囲の人の犯し易い間違いもここにある。
言葉で説得しようとしたり、言葉で納得させようとする事だ。

「経験していない事は信じ難く、経験した物は信じる」
つまり、「噂」の原理で、怪しいと思ってしまった事を探し出す事で「自ら経験」している事を、言葉だけで説得しようと試みても、信じる事が出来ない。

信じさせる為には、自らの経験を持たせなければ、納得できる物でもない。

私に相談してくる親御さんもそうした傾向が強い。
私は、相談に乗り、技術的な事を包み隠さずお話しする。

すると、調査も何もしないで説得しようとする。
そんな事では失敗するのは目に見えている。

私が調査に行く最大の理由は、自ら体験させる事である。
調査をして、何も出ない事の体験だけではなく、実際の盗撮カメラの映像を使って様々な実験をしたり、コンクリートマイクの音を聞かせて、思っていた事が実際に出来るかどうかを体験させる。

そして何より、目を見て話をする。
目を見て話をする時には、前頭葉は活性化されて少しでも理解しやすくなり、実験で経験させる事により、自ら答えを導きやすくなる。

何の機材も知識も持たない親が、聞きかじった知識だけで理解させる事等不可能に近い。
それが出来るのは愛着が育まれている親子だけであり、愛着の育まれている親子であれば被害妄想は持っても、集団ストーカー妄想に至る事はまずない。

つまり、経験させて学ばせる事はせずに、知識だけを学ばせて来たと言うか、子供を信じていないから経験させないと言う事でも有り、子供を信じていない親に正しい愛着は育たない。

昔から「可愛い子には旅をさせろ」と言う諺がある。
子供が旅に出るのを認めるには、子供を信じていなければ、心配で認める事が出来ない。

そうした親に、グッズを勧めたり調査を勧めたりしても、商品を購入したり調査を依頼してくる事はまず無い。

グッズや調査を勧めるのは、経験させる事が抜け出す近道なのだが、まずそんな事は信じない。

結局、その親も社会性の基礎である「信じる」と言う事が出来ていない訳だ。
自分でも持っていない社会性を、子供に伝える事等出来るはずもない。

と言う訳で、そうした親がどんなにあがいても、子供を集団ストーカーやガスライティング妄想から抜け出させる事は出来ない。

子供を立ち直らせたいのなら、まずは親が変わる事だ。



盗聴器・盗撮カメラ発見と防犯の情報ガード


集団ストーカー―盗聴発見業者が見た真実 (晋遊舎ブラック新書 1)/古牧 和都