先日、報道特集で自衛隊で内部告発した人の特集が組まれていた。
退官するまで昇進も無く、村八分状態で、基地内で監視されていた事を伺わせる書類もあるという。
この内部告発、事の良し悪しは別にして、人間と言う動物の習性からすれば、こうした村八分は当然の結果と言える。
人間の社会性の基本は「信じる事」であり、信じられなくなれば社会は崩壊する。
仲間を信じていれば、仲間に背後を任せて目前の敵に立ち向かえるが、仲間が信じられなければ背後を任せられず、全面の敵に立ち向かえない。
それはその集団の死を意味する。
故に、人間は裏切りを嫌う。
それは集団で生きて来た人間の習性であり、習性で行った行為はを非難する事は、犬が尻尾を振る事を非難する事に等しい。
内部告発は、この人間の習性に反している。
故に、不正を正そうと正義感を持ってやったとしても、仲間から相手にされなくなる。
告発の理由にどれほど正義が有ろうと、内部告発者が賞賛される事は無い。
人は誰でも大なり小なりズルをしている物だ。
ズルをした事のある人は、自分も告発されるのでは?と不安を持ち、告発される危険のある人物には近寄ろうとはしなくなる。
この内部告発と言う行為は、行為としては「独裁国家の秘密警察への密告」と変わらないのだ。
では不正を知ってしまった時にはどうしたら良いのだろうか?
人間の習性から考えれば「正々堂々真っ向勝負」だろう。
正々堂々と戦う者は、敵からも賞賛される。
例え負けても、卑怯者とは呼ばれない。
しかし、最初は孤独な戦いを強いられる。
負ける確立の方が多いだろう。
孤独と言う面では内部告発と変わらない。
しかし、内部告発は何時までも認められることは無いが、正々堂々と真っ向勝負を挑んだ物にはやがて理解者や協力者も出てくるだろう。
そして、その行為が賞賛される事も有るだろう。