昨日のバンキシャで、いじめ問題を取り扱っていた。


それを見て、色々と「?」マークが付く内容に思えた。


無視されると言ういじめを受けたと言う親。

二転三転する学校側(小学校)の態度に不信感を抱いたと言うのだが・・・


先ず番組の録音の紹介の仕方だが、先ず最初に母親と校長の会話がテロップと共に流された。


母「昨日、いじめって認めたじゃないですか


校長「いや、イジメじゃないです」


そして「小学生の娘が一ヶ月にわたり、無視されるいじめを受けた」とテロップが出る。


まずここで、テロップの「いじめ」だけが赤字で表示されている。


こうした手法は、脳に「いじめ」と言う言葉を印象付け、視聴者に先入観を与える効果がある。



そして「ICレコーダーには、学校側と母親とのやり取りが録音されていた」として、担任との会話の録音が流される。


母親が、担任に娘が「無視」されていたかを聞くと


担任「昨日までは仲良くしていたけど、今日はあの子とは遊ばないとか、そう言う事は良くあった 何人か気になる子はいたんですよね。 だから、様子を見ていた状態でした」


テロップでは、無視されていた事は認めたが、いじめかは分からず様子を見ていた」と説明する担任と、テロップ付きでナレーションが流れる。



まずはここまでの流れに付いて少し考えてみよう。


まず、ここまでの内容を姉に見せたら「無視はイジメじゃないのか?」と腹立たしくつぶやいていた。


まあ、推測通りの反応。


そこで、私は姉に質問をした。


質問1 「無視はイジメなのか?」

すると、無視するのもいじめでしょう! と予想通りのお答え。


そして一つのケースを想定して聞いてみた。

「小学生の頃って、遊んでいる時などに仲違いして、「もう遊んでやらん」とか、「もう話してやらん」とか、そんな事無かったのか?」


すると、それは有るけど・・・


続けて質問。

「それって、いじめ?」

すると、言葉を詰まらせていた。


実はこれも、一つのマインドコントロールである。


先に赤字等で「いじめ」と言う先入観を与える。

いじめと言う先入観を持って見ると、「無視されていた事は認めたが、いじめかは分からず様子を見ていた」と言う部分に、「いじめと認めないのかこの教師!」と腹立たしさを覚える。


腹立たしさを覚えた時点で、冷静な判断力が失われている訳だ。



さて番組の話を続けよう。


その一ヵ月後として、校長との会話の録音が流される。


校長「無視する時間の事は、学校で把握しているのは大きく3回あると」


母「3回であったとしても、それはいじめですよね


校長「「そうですね、1回はいじめとしてちゃんと指導したと言う事なんですね」

「女の子二人が、ちゃんと認めたのでその場で指導しました


ここで番組は、担任と校長の話しの違いをテロップ付きで指摘する。


担任「様子を見てた」

校長「1回はいじめとして指導した


確かに話しに違いは有る。

しかし、担任と校長の話には一ヶ月のズレがあるし、別々に聞いている。

しかも、校長が直接指導した訳でもないだろう。


校長なんて物は、担任からの話を聞いて話しているだけだろう。

で、なんで校長なの?直接生徒を見ている訳でもない校長に聞いて、何が分かると言うのだろう?


担任では話にならないから校長なのか? それとも「責任者出せ!」と言うやつか?

少し校長の肩を持つなら、質問で「いじめですよね」などと言われると、人間はその言葉を反復してしまう習性がある。



そして翌日


校長「無視が3件と言う話をしていましたけれども、それをいじめとは認識していなかったので」


母「昨日いじめって認めたじゃないですか」


校長「いや、いじめではないです」



この親は、学校に不信を募らせ娘を転校させたと言う。




何と言うか、率直な感想を言えば、せっかくの学習の場を親が奪ってしまった様な気がする。

小学生時代の子供は、友達との仲違いや仲直りを繰り返して人間関係(コミュニケーション)を学んでいる。

子供が、せっかく良い勉強をしているのに、親がこれでは子供は人間関係を学べない。


転校は、子供も同意しての事だったのだろうか?


転校させるって事は、1から友達を作らなくちゃいけなくなる訳だし、転校先で受け入れられるかは子供次第だし、子供に取っては不安であり、寂しい事ではないのか?


番組は煽ってるし、この親はモンスターのようにも見える。

そもそも、何でこの家族が取り上げられたのだろう?


取材に行った時には、録音が存在していた事からすると、この家族がTV局に持ち込んだのか、それともヤラセ?

何と言うか、リビングで撮影されている映像に、子供の物が一つも見当たらない。

取材が来るから片付けたのか?それにしても殺風景と言うか、子供のいる家庭にしては潔癖症かと思えるほど生活感が無い。



まあ、批判だけしていても仕方が無いので、私が実践してきた事を書こう。


私の娘は一人っ子。

なので、小学生の頃はマイペースだし、我ままだし、協調性が無かった。


その為、友達と仲違いする事は日常茶飯事だった。

その度に、お互い無視する事など度々あった。


私は、娘が友達を家に連れてきた時のやり取りを出来る限り聞き、仲違いが始まっても何もせず、成り行きを見守っていた。


そして友達が帰った後、何が悪かったのかを話し、逆の立場ならどう思うか?と、相手の気持ちを考えさせた。


それを何度も何度も繰り返しながら教えて来た。


コミュニケーションを子供に教えるには、問題に直面させて、それを自分で解決させなければ学べる物ではない。