こんにちはゆうです。
ブログに訪問してくださってありがとうございます。
日本はゴールデンウィークだそうですね。
皆様さまお休みは何をされますか?
素敵な時間をお過ごしください。
心理学やスピリチュアルな精神世界のお話しに興味を持ち始めると、なんだかわけわからないですよね?
現実世界に日々いろいろなことが起こったり、5月病のように
「何のために生きているのか」
「私は誰なのか?」
などと感じたり・・・
「私の使命は何だろうか?」
「私の価値は?役割は?何ができるのだろうか?」
そんな思いが沸いてきて、それらを探し始めたり・・・・・
私たちってずっと何かを探し、求めているように思いませんか?
自分を向上させるために頑張ることも同じように、もっと違う自分を探しているのですよね?
愛されたい、認められたい、幸せになりたい
なども同じようにいつも何か形が変わっても探し求めています。
そしてそれらを探し求めてゆくなか、現実というのは、どうやら今まで信じてきたことを違うのかもしれない。
体験を通してそんな思いともに、心理学やスピリチュアルに興味を持ち始めますよね?
(実際は現実世界で何かを努力することも、スポーツや音楽、そしてスピリチュアルでの努力も同じように何かを探している作業であり、現象は違っていても同じことをしているようです)
自分が信じていることを通して世界を認識しているだけで、実は隣にいる人にとって見えている世界と私の見ている世界は違うのかもしれない。
そんなことが分かり始めますよね。
これは本当にワクワクするし、世界を変えるのは自分だという可能性が見えてきます。
少しずつ観念に気づき手放してゆくことで、現実がどんどんどん変化を始めるという体験が起こり始めます。
しかし、上手く進んでいるときはいいけれど、やはりこの世界は2元の世界であり、よいことだけではなく、望んでいないことも起こります。
自分軸を持つことで世界が変わり始めたように体験したけれど、まだ何かベールがかかっているような納得しきれない感覚をにどこかで感じます。
なにか根本的に何かがズレているのかもしれない、他の方法があるのかもしれない、気づきたい何かがあるのかもしれない。
どこかでそんな感覚を感じ始めます。
幻想世界というこの2元の相対の世界の中にいる間、どれだけ観念を手放してもこの相対という性質上どうしても「よいことと悪いこと」を体験することになりますものね。
マイナスに見えていたことを視点を変えることでプラスに見えてくる世界なので、当然なのですよね。
この作業によって沢山の愛や感動を受け取ります。
そんな素晴らしい体験をしながら、少しずつこのプラスとマイナスというのは相対の分離の考えであり、観念を手放すという作業は永遠に続くことが分かり始めます。
そして、この分離の考えそのものを、根本的に見つめてゆくことが大切であることが分かり始めます。
このとき、私たちが何かを探し求めている間、真に欲しいものが見つからない世界であり、
もっと違う私、もっとよりよい何かを求めてしまうことが分離意識を強めてしまい、欲しのものを遠ざけていたことが分かり始めます。
この根本的に信じている分離という考えで認識して成り立っている世界のことを幻想世界と呼んでいるのですが、
この分離という幻想を信じていることで全ての問題と感じることが起こっていることが分かり始めます。
目覚めとかアセンションとかワンネスとかいろいろな言葉がありますよね。
これらは全てこの分離という考え(概念)の終わりであることが分かり始めます。
そして、それは、幸せになるのに、自分を肯定することとか、自分を愛することと言われますが、
その「自分」と信じている「自分」がそもそも違ったことが分かり始めます。
でもここで思い出したいのが、何かを求めることが問題ではなく、向上したいといいう思いも、何かを達成したいという夢も、何かを望むことも、何も悪いことでもなく、執着することが悪いことでもない、ということだったのですよね。
ただ、それらの先にあると信じている何か?というのは、
実は今私たちがすでに常に持っているものであると気づいていることができたとき、
何をしていても、どんな行動をしていても、全く違う体験が始まります。
夢をもって行動を起こすとき、そこに恐れや不安を感じることがなくなってゆきます。
正直に自分の情熱に生きれるようになります。
そして何もしていないとき
何も起こってないように感じるとき
まったくやる気が起こらないとでさえも
そのままあるがままでよいと知っていて、世界の完全性が輝いているかを感じ平安を感じててゆきます。
これらは全て分離という概念の錯覚に気づいてゆくことで起こります。
分離の錯覚がないとき、全てが自然に起こっていることを目撃し始めます。
愛を与える、愛を探すというよりも、ただ自然にそこに愛があるのを感じます。
感謝をしようとしたり、感謝できることを探したりというよりも、ただ自然に感謝がそこにあるのを感じます。
何かを操作する必要が何もなく、ただあるがままの日常の中で、この瞬間のきらめき、情熱、愛、喜び、感謝が自然に起こっているのを感じます。
肩の力を抜いて、自然に起こる出来事をあるがままであることを許可してみませんか?
私たちは何かをしなければいけないと感じ、自分の使命や役割は何かを探し求めますが、あるがままであることを許可してゆくと、
人生そのものが答えであることに 気づきはじめます。
私たちが何かを必死で探さなくても、
人生があなたを導いてくれます。
なぜなら人生と私たちは分離していないからなんです。
探すことで、本当に知りたい答えが見つからなくなってしまっていたようです。
探しているとき、自分の考えに焦点が当たり、答えがここにあるのに見えなくなるからのようです。
探していないとき、いつも必要な時に必要なこをが起こっていること、必要なインスピレーションが自然に浮かぶという体験をし始めます。
だから肩の力を抜いて安心して今この瞬間を生きてみませんか?
何の操作もしないで「ただそのままであることをあるがまま起こすことで」
自然に沸き起こるインスピレーション・きらめきや情熱に出会いはじめ、自然に道なき道を人生が導いてくれていることに気づきはじめるかもしれません。
この瞬間のきらめきとともに平安の中で喜びを感じられますように。
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