ようこそ、初めまして!!


るるお ( ̄▽ ̄メ )の部屋へ訪問されたブロガーへ


るるお( ̄▽ ̄メ ) ルーム 携帯から見られない部分を添付しました


るるお ( ̄▽ ̄メ )の人生の一部です。


1964年2月京都府京都市伏見区生まれ。父親がタクシーの運転手をしていた。当時、ひき逃げ犯人を捕まえ京都府警賞を貰う。


生家は宝酒造の近所にあり、京都独特の伝統・地蔵盆では豪華なおやつが出て来た。


生家は父親の兄貴である伯父さんと隣同士だったが、伯父さんと意見が食い違い毎日のように兄弟喧嘩をしていた。


産みの母親の実家は京都映画の撮影所近所 「太秦」。


幼稚園年少 


少しでも言う事を聞かなかったら玄関前に立たされた。


近所のおばさんが
「るるおちゃん今日も立たされたんか?ほんならおばちゃんがなんとか言うたるさかいちゃんと謝るんやで」何回も助けられる。


そんな時も親父の兄貴である伯父さん一家は「るるお父のガキなんかほっとけばええんや」と何も分からない幼稚園児の るるおに当てつけるような言葉を言っていた。


この伯父さんは京都刑務所に勤めていた人だった。遺産相続でお爺ちゃんの財産を全て奪う為に、父親含め4人の姉弟(5人兄妹)を実家から追い出した。


父親と伯父さんが壮絶な兄弟喧嘩をし絶縁宣言の上、父親生家を出る決意。


同じ京都市内でも生家からは離れた土地(六地蔵)に一軒家を買う。


るるおは幼稚園から保育園に転園。


父親もタクシーの運転手から材木を運ぶ運送業に転職、ある人に応援をしてもらい10トントラックを3台購入。 


近所の駐車場に駐めてある「るるお商店」と書いてあるトラックを見て、友達が「すげぇな」と言ってくれたのが、るるおと妹には自慢であった。


同時期に材木運搬で出入り先の材木商の倅が、るるお商店の従業員で働きに来ていた。父親が長距離運搬で留守がちな家を見計らかって、この従業員と母親はデキてしまう。


これを知った父親は激怒し壮絶に母親を殴った。


るるおの記憶では、今でも母親が鼻血を出しながら「助けて~や」と言っていたことを覚えている。


親父が仕事に行った日には、材木商の倅と母親が一緒にいたいがために、るるおと妹に「何か買っておいで、その代わり6時まで帰って来たらあかんで」「あとなぁお父さんに何も言うたらあかんから」。


何回もそのようなことがあったのを見ているので幼心にも「なんやろ」と疑問を持っていたので助けるような言葉が出て来なかった。るるおと妹に父親が出かける度に八つ当たりを少しづつするようになった。 

   
小学校1年 


父親が材木商の社長である親父と合い色々な協議をしたと子供心に思う。材木商の親父が一度るるおの家に来て「ボン、はんまにスマンな」と何も分からない るるおと妹に説明していた。


両親が離婚し、父親がるるおと妹を引き取る事になった。最後の別れの日に「必ず迎えにくるからな」三宮駅で言われた。材木商の倅と子供を作りその気持ちが無くなった事をやがて知る。二度と会うことは無かった。


るるおは 離婚を話合いの時期に母方のお婆ちゃんに電話で「あんたの子はウチの財布を持ち逃げしたんやで」と親父に連絡して来た。それを聞いた父親は るるおの前で包丁を持ち出し「ほんまやったら腹を切るで」腹を出して包丁で切る仕草をされる。「神様に誓っても何もしてへん」必死に弁解するも、お婆ちゃんは「るるおが犯人や」とるるおの弁解も聞いて貰えず、親父は「もうお前らはどうでもせい」と全て投げる言葉を聞いた。るるおは恐怖に驚きながら 後に濡れ衣を着せられた事を知る(本当に刺されるかと思った)


小学校2年 


気狂いな先生に暴力を振るわれる(記事参照)毎日ザリガニやヤゴを取りに行った。近くに田んぼにいた蛇を捕まえ尻尾を持ち振り回し遊んだ。ネズミ取りに引っかかったネズミやカエルを蛇に良く食べさせた。


小学校3年 


担任の粋な計らいで授業中に阪神×巨人有名な「昭和48年の戦い」を見せらて熱烈な阪神ファンになる。当時クラスメートで作っていた野球チーム「ブラックタイガース」に誘われる。一番下手であったが優しい友人は試合で出してくれた。同じ時期に人気アイドルだった、アグネスチャンのファンで学校の下敷にしていた。


小学校4年


父親が再婚 継母が生みの母親が生活していた住まいが気に入らずに引っ越しを勧める。近くに悪友もいたので父親は転校を決意。


小学校5年 転校

転校したてのクラスメートに「野球やるんやったら公園で一緒にやらへんか?」誘いを受た。友達作りに必死の、るるおは、電車で野球のベースを3個運ぼうとしていた最中、乗換の駅で違う学校の同学年くらいの男子に「お前アホやろ!」と言われ激怒。ホームで喧嘩寸前までいくも近くの大人の人に止められた。


公園で待ち合わせていたクラスメートにも驚かれ「お前ホントに好きなんやな」と直ぐ仲間に入れて貰えた。るるおは凄く嬉しかった!


その頃親父の商売(タクシーから貿易商に起業していた)が軌道に乗り女遊びが始まり、それを知った 継母が切れだし、るるおと妹への暴力が始まった。段々エスカレートし虐待になる。父親が留守になるととたんに人が変わったようになり、好き放題にされ「ほらおっぱい触ってみいや」「お前ら見たいなアホは早く死んでしまえ」ことある度に因縁をつけられ暴力を振るわれる。


イスに座ってご飯を食べている最中にいきなり「死んでまえ」と言いながら殴りかかり、思いっきりぶたれイスごと後にひっくり返り机の角に後頭部をぶつけ大量の出血した。あまりのも酷い出血に、継母は「大丈夫か?お父さんには黙っててや」と医者にも連れていかず、何もなかったことにしようとした。さすがに親父も、るるおが頭に包帯を巻いているので「どうしたんや」と聞いてきたが、すかさず継母が「いやな、るるおちゃんが自分でイスにもたれた拍子に倒れたんや」と言った。るるおは口裏を合わせるしか無かった。るるおと妹もまた父親がいなくなるとどうなるか分からない怖さで何も無かった事にした。今でも頭の後に傷が残っている。


父親の弟である叔父さんが何かにつけ、心配してくれ奈良からよく来てくれた。妹がその叔父さんに継母の事を相談、父親に事実を伝える。叔父さんが間に入り話し合いを幾度もした。そんなある日に父親・るるお・妹で天橋立1泊2日出掛けた際に、継母は荷物を持って逃げた。知らないウチに離婚していた。親父が「もうあの女は帰って来ないからな」告げられる。その話を聞いた、るるおと妹は安堵した。この継母は一年くらいだったと思う。


阪神ファンだった、るるおが唯一楽しみにしていたのが、中村鋭ちゃんのラジオ・おはようパーソナリティ。阪神が勝った翌日は毎朝聞き必ず「六甲おろし」を一緒に歌っていた。


パジャマは縦縞の阪神タイガースのユニフォームと同じものを愛用。パジャマの背番号は掛布選手の「31」学校に通学するときの帽子は藤田平「6」


江夏が8回までノーヒットノーランの試合を巨人軍の末次選手に逆転サヨナラ満塁本塁打を打たれた時は思わず悔しさから泣いた思い出がある。確か中村鋭ちゃんも翌朝のラジオで泣いていた、それを聞いた、るるおも貰い泣きをした記憶がある。


その後も父親のギャンブル好きは治らなかった。競馬好きなので、るるおと妹を一緒に京都・淀競馬場に連れた。砂場で「ここで待っとるんやで」るるお妹と2人でよく待たされた。

小学校6年


父親・二度目の再婚。相手は20歳のお姉さん。京都の祇園で遊んでいた時知人の紹介で知り合ったみたいだ。偉いベッピンさんなので、参観日に友達の父親が友達を通じて「あれはるるお君のお姉さんかね?」と聞いていたが、明らかにオヤジの目線で見ていた。継母が腹違いの子を出産。その当時は差別扱いは無かった。

父親の博打(競馬・野球賭博)好きから家計が苦しくなる。負けが込むと何かにつけ当たり散らした。るるおと妹は黙って見ているしか無かった。継母は相変わらずの生活感でお金が苦しいのに好きな物を買い捲っていた。


中学校1年


るるおの進学した中学の野球部は京都ではシゴキでは有名な学校であったが、小学校時代に絶対野球では勝てないと思っていた同級生より野球を上手くなりたいと思い京都新聞の配達を始める(家の経済的な苦しさもはじめた理由の一つではある)

そのお陰で家の苦労を忘れ野球を励みながら新聞配達中にあるおばちゃんから優しさを教わる(記事参照)

テニス部の0ちゃんに初めて恋を教わる(2月14日バレンタイン記事)。しかし新聞配達など野球への努力は怠ることは無く、小学生時代に勝てないと思っていた友人に追いつけると実感していた。

   
中学校2年


テニス部の0ちゃんにバレンタインで逆マシュマロマンをする(記事参照)。父親借金の為苦しくなり、るるおの新聞配達の給料を取り上げるようになる。毎日借金取りみたいなのが出入りすつようになり、東京へ夜逃げ、今まで頑張って来た野球等の未練で勇気を持ち「京都に残りたい」と進言。親父は「ほんならお前1人でどっかいってまえ」言われ、仕方なく着いて行くことになる(この時に生まれて初めて死を考える)。


大阪に一週間くらい滞在。その後、親父のお姉さんのいる東京に向かう。東京の中学校に転校。東京の中学校は制服がブレザーと言うのに驚く。学ランの珍しさと関西弁が治らないタメに最初の一ヶ月くらい馬鹿にされる


転校後も毎日新聞と朝日新聞配達を続けた(一カ所だと給料が安いタメ)。野球部に入部するも京都の学校との野球に対する情熱の差がありすぎて失望の中で部活を続けた。


その辺りから継母の性格が変わり。腹違いの妹の子守の仕方が悪いとの理由で虐待が始まる。特に妹に対して激しかった。抱っこの仕方が悪い、泣いたのは妹の責任だ等。るるおはさすがに妹を助ける意味で進言するも「お前達は母親が違うからだろ!」と人間が変わってようになる

中学校3年


継母がお金を稼ぐタメに水商売の道を歩み出す。そこで男を作り、るるお、は違う男が家に出入りした所を目撃。親父には隠すが、タクシー運転手の関係で継母が違う男とスナックに入るのを目撃、継母は「ただの付き合いや」と最初は逃げていたが、親父の張り込みでラブホに入る所を目撃され、家に帰るなり、「おんどりゃ!どういうことや!」と殴り倒した(相手はその待ちではうるさいヤクザであった)


父親の暴力が毎日加速したので、継母は自分の子を連れ京都に逃げ帰った。その頃に京都で野球賭博により作った借金取りが東京の住まいに押しかけ、親父は連れていかれた。るるおにもその借金取りは「京都の方がええやろ」と言っていたが拳銃みたいなものをちらつかせていたので、何も返事が出来なかった。


結局、借金取りの知り合いで東京・江東区にある運送会社に勤め、給料から少しずつ返金するようになる。借金取りは親父の負けた金で京都の京極と言う地区にビルを建てた。


中学に通っている間は妹が弁当を毎日作ってくれた。中学時代は悪では二流の、るるおも一応高校受験を受ける。駄目元でも都立で一番強い学校を受験するも、当然落ちる。滑り止めの高校に合格も私立なので金銭で進学は出来ず断念。そこで一大決心をする。


妹は都立高校卒業後、父親の影響を受け男を信じられなくなり北海道に行く事になった。今も消息不明。最後に、るるお妻と10年くらい前に連絡が偶然取れるも札幌近辺にいるとの話だけで終わった。


中学在籍当時「成り上がり」と言う本に出会い影響を受け卒業と同時に家を飛び出し、友人Oの近所の知り合いであるオジサンのアパートの一間に寝させていただく事になった。仕事は、ロッテリアに行きながら「ハイサンキュー」と15歳で2ヶ月程で全ての業務を覚えやがて店長になれるぞと進言されるも、その店長とアルバイトの高校生が店長の部屋に遊びに行き、不純行為をしているのを知り、真面目な性格の、るるおは「おかしい」との思いで辞めた。


その後、世田谷のショーボンドの下請け会社に面接に行き前借りをさせて頂き、初めて自分の城である6畳一間のアパートを持つことになる。その後も友人のいた電気工事屋で電気工・募集広告を見て府中の分配河原で水道工・職業安定所で自衛隊にスカウトさせるも断り道路舗装を専門とする会社で働く。


働きながら喧嘩が強くなりたい理由で片道1時間半かけ極真空手本部に入門・緑帯まで行くが社長と空手と仕事をどちらにするのか選択を迫られ空手断念・その後、地元を離れ渋谷で住み込み(二段ベット)甘栗販売のアルバイトをする。駒場東大前駅の前に合った喫茶店でのコーヒーが一番の楽しみであった。


センター街等で、ヤクザに何人かスカウトされるも魅力のある男がいないので、全て断る。そんなこんなでで社会の厳しさ等を教わる。突然、ある商売に出会し100円均一や青果・生鮮魚等の販売をした。一番の思いでは熊本のスイカを北海道まで運び1ヶ月で80万儲けた時(札幌ラーメンの味に感激や儲けた金をばんえい競馬で使い切った) その商売で生計は充分立てられるも自分の生き方に疑問を感じる。


そんなある日、ある親分に出会す、「これだ!」と侠を感じ、土下座して「お願いします」と組の片隅に置いて貰いヤクザの道に歩んだ、数々の厳しい下積みを経験、修羅場もそれなりに潜り、親分から功績を認められ他の先輩の意見を押しのけ一本立ちの許しを受け組を名乗る。


若い衆を持ち、男を売り出している最中に、子供を出産後に妻(るるおと一緒になったがために実家・兄妹や親戚から絶縁されていた)の度重なる過呼吸症で救急車で病院に運び原因を考えたりしているウチに、実父の脳梗塞・るるおのC型肝炎治療のインターフェロン治療と度重なるプライベートでの出来事によりヤクザ道を全う出来ないと、考え悩んだ末に堅気になる決意。


堅気になってから、株でほとんどの財産を失ってしまう。


昨年落ちぶれた、るるおに昔世話になったY君に「暇潰しにブログでもやったらどうですか?」と進言(記事)をけ受け「アメブロが一番良いですよ」と言われ始める


今の主夫兼子育てするしがない男の日記です。


元ヤクザ者なのに子供がイジメに合い(記事参照)、アドバイスを送ったり試行錯誤で親のあり方勉強。


少しでも興味がありましたら拝読よろしくお願いします。



スキー大好きなるるお ( ̄▽ ̄メ )です 

30歳からはじめたスキーは八方尾根一級まで頑張りました。

日韓W杯は日本戦全戦+ブラジル対イングランド・ブラジル対トルコ・ブラジル対ドイツをスタジオにて観戦。

劇団四季の会員でよく主催の舞台を観劇しに行きました(オペラ座の怪人は5回見に行きました)

現役時代に、研ナオコのディナーショーで「意外といい女じゃん」と感激し5回行きました。


他にも思い出し次第追加で書きます、ヨロシクです。


少し訂正しました。日時5月6日




お勧め記事一覧


アメブロとの出会い

東京拘置所=意外に人気でした

哀川翔との出会い②

今日の朝勉とるるお ( ̄▽ ̄メ )のバナナジュース 

漢字検定準二級とブログへの想い

インフルエンザの恐ろしさ

寂しさ漂う大都会地下鉄編

新聞配達の思い出④

兄ちゃんのイジメ4年生⑦

兄ちゃんの誕生⑨

イケメン変質者 

愛犬の報告 

るるお( ̄▽ ̄メ )遠山桜

「和紙一筆」の凄い男

オヤッサンとの会話④

映画HEAT・ヒート 

映画・ショーシャンクの空に

矢沢永吉

WBCイチロー

TOYOTAへの失望②

茂木健一郎

るるお( ̄▽ ̄メ )U・S・Aに入る

OKマートの価格③   




るるお ( ̄▽ ̄メ ) わんわん  あわせて読みたいブログもよろしくお願いします(携帯は見られません)


ブログパーツ アクセス解析       あわせて読みたいブログパーツ