テネシー・ワルツ(仮題) 第3章 | 『Go ahead,Make my day ! 』

『Go ahead,Make my day ! 』

【オリジナルのハードボイルド小説(?)と創作に関する無駄口。ときどき音楽についても】

 親不孝通りという名前は、この通りの北端に予備校が二つ向かい合って建っていて、この全長四百メートルほどの通りがそこへ通う浪人生たちの通学路であり、同時に彼らの遊び場だったことから名付けられたものだった。

 一時は大人の中洲と若者の親不孝通りという区分けが出来るほど栄えた繁華街だったが、東京資本の大手予備校の進出や少子化の影響などからランドマークだった予備校が相次いで倒産してしまい、時を同じくして若者向けの店が賃料の安い大名や今泉、警固へと移転してしまったことから、徐々に廃れてしまった。

 現在は空き家の増えたテナントビルに中洲周辺から流れてきた風俗店やスナックなどが増えて、街の様相は変わってしまっている。ちなみにこの通りの名称は、最初の親不孝通りが「イメージが良くない」という理由で<天神万町通り>に変えられたのだが、関係者の思惑とは裏腹に全く定着しなかった。現在は苦肉の策で<親富孝通り>と表記されているのだが、いざ、書けと言われるとほとんどの人間が素で昔の名称を書いてしまう。福岡YAHOO!JAPANドームを<福岡ドーム>と呼び、ソフトバンク・ホークスを<ダイエー>と言ってしまうのと同じで、慣れ親しんだ名称というのは、そう簡単に変えられるものではないのだ。

 木戸に聞いた<アクア>というその店は、今でもマリア通りと呼ばれる、かつて<マリア・クラブ>というディスコが建っていた通りの近くにあった。

 狭い土地に無理やり建てたペンシルビルの六階で、コンクリートが剥き出しの内壁に、クリスチャン・ラッセンのポスターが数枚飾られている。

 店全体が海の底を連想させる碧い照明で統一されているのは、店名に因んだもののようだった。天井から吊られたBOSEのスピーカーからはレゲエもどきの落ち着きのないリズムの曲が流れていた。壁際に塗装の剥がれたサーフボードが立て掛けてある。カウンターの奥に、若い頃のジャン・レノの顔を大写しにしたポスターが貼ってあった。<グラン・ブルー>のワンカットのようだったが、どのシーンかは思い出せなかった。

 陽に灼けたタンクトップの男がその前に立って、軽快なリズムでシェイカーを振っていた。

 碧いライトのせいでネガに映った人物のような肌の色に見え、白目や歯が不必要に浮かび上がっていた。小鼻と両耳のピアスが男を若く見せていたが、実際にはわたしとそれほど変わらないだろう。マリンスポーツで鍛えたらしい引き締まった体格の割には、妙に不健康な印象が拭えない男だった。

 客はわたしの他には、まだ未成年と思しき少女の二人連れと、それに声をかけている同じ年頃の少年の三人組だけだった。

 少年たちは申し合わせたようにTシャツの上にブカブカのNBAのレプリカユニフォーム、トランクスが見えそうなほどずり下げて履いたカーゴパンツという出で立ちで、金属製のアクセサリをジャラジャラとぶら下げている。

 少女の方は一人が胸にラインストーンの入ったキャミソールにデニムのショートパンツ、もう一人がオフショルダーのカットソーとミニスカートと方向性の違いはあるが、同じくらいの面積の肌を露出させている点では一緒だった。

 どうやらこの後、少年たちの車で海ノ中道へ遊びに行こうと誘っているようで、少女は年齢に似合わない巧みさで、それをはぐらかしていた。彼らはカウンターの男にテーブルに移っていいか、と訊き、男は薄笑いを浮かべてどうぞ、と応えた。

「すいませんね、ガキばっかりで」

 少年たちが移動すると、カウンターの男が声をひそめて言った。

「いつもこんな感じなのかい?」

「そうですねぇ。オープンしたときはもうちょっと上の年代を狙ってたんですが、どうも、あんなのばかり来るんですよ」

「おたくがこの店のオーナーなのか?」

「ええ、まぁ。どうしてですか」

「いや、アルバイトもおかずに全部一人でやってるみたいだから。結構大変なんだな」

「バイトを雇うくらいなら、その分、自分でやった方がいいですから」

「内装もおたくの趣味?」

「これでもサーファーなんですよ。海が好きなんでね。何にします?」

 レパートリーには期待できそうになかったので、わたしはジントニックを頼んだ。男は案の定、安堵したような笑みを浮かべた。ロング・アイランド・アイス・ティーを頼んでいたらどんな顔をしたか想像してみた。おそらく断られていただろう。材料を入れてステアするだけのカクテルなのだが、レシピがかなりややこしいのだ。

 男はギルビーのボトルから氷を入れたゴブレットにジンを注ぎ、何処のブランドか分からないペットボトルのトニックウォーターを炭酸を撒き散らしながら豪快に注いだ。マドラーでかき回すようにステアし、タッパーから取り出したレモンスライスを飾ると、わたしの前にコースターと一緒に置いた。

「どうぞ」

「ありがとう」

 わたしは礼を言ったが、口をつけただけでほとんど飲まなかった。いい加減な仕事に飲む気が失せたわけではなかった。目立たないから、というあまり主体性のない理由で乗っているMAZDAファミリアのヴァンを長浜埠頭の倉庫通りに停めているからだ。

 男はカウンターとつまみを作る為の小さなキッチンを往復しながら、テキパキと仕事をこなしていた。時折、愛想と猜疑心が同居した小さな目がわたしを値踏みするように動いていた。テーブル席の少年が大声でビールを頼んだ。男は小さく舌打ちしてからビールサーバの方へ歩いていった。

 わたしは店内を見回しながら、浦辺康利の痕跡のようなものを探していた。個人の趣味というものはあるが、メニューや雰囲気、客層の面から考えても四十二歳の男が好んで出入りするような店ではなかった。木戸の話によると浦辺はここを事務所代わりにしていたということだったが、強請り屋に事務所でするような仕事があるかのどうかは甚だ怪しいものだ。おそらくここが浦辺に連絡を取りたいときの窓口になっていたのだろう。後ろ暗い、恨みをかうような仕事をしている人間は、他人が自分のテリトリに入ってくることを極端に嫌う。身の安全を確保する必要があるからだ。

 男はテーブル席にビールを運ぶと、音楽に合わせるように小さく身体を揺らしながら戻ってきた。カウンターに入り、冷蔵庫からZIMAのボトルを取り出した。キャップを捻って一口飲み、カウンターに手をついてわたしの方に身を乗り出すような体勢になった。

「お客さん、ウチのこと誰に聞いてきたんですか?」

 男が訊いた。わたしは曖昧な笑みを浮かべた。

「知り合いに聞いたんだ。何でそんなことを気にするんだ?」

「いや、気にしてるわけじゃないですけど……。お客さんの着てるものが、あんまりこの辺を歩いてる人の格好じゃないから」

「へぇ、どの辺にいそうな感じに見える?」

「中洲――じゃないな。西通りとか、あの辺りですかね。この辺はガキばっかりで、ヒップホップ系とかいう例のだらしない格好ばかりですから」

 男はテーブル席の方にあごをしゃくった。

「でも、あんなのでも来てくれなきゃね。金曜の夜だって言うのにちょっとしたゴーストタウンですからね、この辺。昔に比べれば、ですけど。俺らが学生の頃は賑わってたんですけどね。お客さん、俺と同じ年代でしょ。ご存知ですか?」

「居酒屋で酔い潰れて、長浜公園で寝てたクチだよ」

 男は嬉しそうな笑みを浮かべ、当時の親不孝通りに関することを語り始めた。わたしはしばらくそれに調子を合わせた。男は貝原と名乗り、わたしの名前を訊いてきた。わたしは藤田と名乗った。ジントニックはノンアルコールかと思うほどジンの味がしない代物だったので、ゆっくりと飲んだ。車は明日にでも取りに来ればいい。貝原がお替りを勧め、わたしはもう一杯同じものをオーダーした。貝原は空になったグラスを引こうと手を伸ばした。

 貝原の太い上膊部に入っているタトゥーが目に留まった。灼けた肌と照明のせいでそれまで見えていなかったのだ。髑髏を意匠化した特徴的なデザインで、空洞のはずの眼窩に描かれた丸い眼がわたしの記憶のどこかをくすぐった。

 思い出すのにそれほど時間はかからなかった。

 この男を最後に見たのはわたしがまだ警官だった頃のことだ。暴力団関係には属さない、大麻やLSDを捌いていたグループにいた男で、不法所持の現行犯で二回、売った相手が検挙されて芋づる式にアジトに踏み込まれたのが一回。最後の逮捕の時にはグループ内の粛清絡みの傷害と不法監禁、青少年保護育成条例違反(クスリ欲しさの女子高生を連れ込んでいたのだ)と余罪がテレビ・ショッピングのおまけ並みについて、結構長いこと別荘に入れられていたはずだった。

 わたしは貝原は雇われの身で、この店の実質的なオーナーは浦辺ではないかと見当をつけていた。本当に自分が好きでやっている店ならたとえ常連でも強請り屋に事務所代わりに使わせたりはしないだろうし、わたしが知っている貝原はいくら賃料が下降しているとはいえ、自分で店を構えるだけの資金を貯められるような堅実な人間ではなかった。

 貝原の回顧録が途切れたところで、わたしはトイレの場所を訊いて席を立った。

 テーブル席の横を通ると、どうやらこの場では決着がつかずに次の店での延長戦にもつれ込むことになったようだった。少年のうちの一人が代表してカネを払うことになったようで、小声で後で取り立てる旨を念を押しているのが耳に入った。わたしは吹き出しそうになるのをこらえてトイレに入った。用を足し、彼らが出て行くまで外の気配を伺った。

 眠気と酔いを醒ますために顔を洗い、ペーパータオルで滴を拭った。わたしは延長十二回まで付き合うつもりはなかった。仕事柄、他人の話を聞かされることは苦にはならないのだが、それはあくまでも調査の進展に関わる場合の話だ。

 トイレを出るとBGMが止まっていて、店内はエアコンの唸りが聞こえるほど静まり返っていた。

 貝原はテーブルの上を片付け、大量のグラスをカウンターの奥へ運んでいた。わたしは自分が坐っていたスツールに戻った。グラスが新しくなっていて、さっきよりは少しだけマシなジントニックが入っていた。

 トレイの上に積み上げられた食べ残しを無造作にバケツに放り込むと、貝原は流しで乱暴に手を洗った。

 わたしは直球を投げることにした。内角高めのブラッシング・ボール。

「最近、浦辺は来たかい?」

「誰ですって?」

 貝原はタオルで手を拭きながら、わたしの前に戻ってきた。

「浦辺康利。常連だろ」

「なんだ、知り合いってヤスさん――浦辺さんなんですか」

「いや。教えてくれたのはまた別の知り合いだ」

 貝原の表情に暗い陰がよぎるのが見えた。意識的に無表情を装おうとして、かえって表情が強張ってしまっている。

「誰です、その知り合いって」

「誰でもいいだろう。ここは紹介状がないと入れないのか?」

「閉店時間だ。帰ってくれ」

「よせよ、最近のキレやすいガキじゃあるまいし。貝原――確か、下の名前は龍二だったかな」

「……何で俺の名前を知ってるんだ」

 声に怒気がこもって、それはすぐに消えた。見た目ほど荒っぽい男ではない。最後の逮捕のときも必死でその場を逃れようとする仲間たちを尻目にさっさとお縄についた諦めの良さが際立っていた。やればそれなりに喧嘩もできるのだろうが、そういう気概と言うか、気迫のようなものがこの男には決定的に欠けていた。

「俺はこういうものだ」

 わたしはライターの肩書きを印刷した名刺を出し、カウンターを滑らせて渡した。

「あんた、藤田って言わなかったか?」

「どっちかは本名で、どっちかは偽名だ。好きなほうで呼んでくれ」

「どっちでもいいよ。ヤスさんなら今日は来ないぜ」

 貝原はプツンと言った。

「この店はヤツのものなのか?」

「ここは俺の店だ。カネは出してもらったが」

「なるほど。それで、ヤツがここをアジト代わりに使ってたわけだ」

「知らねえよ」

「ヤツの寝ぐらは何処だ?」

「知らねえよ」

 まったく同じ口調で繰り返した。わたしはもう一度店の中を見回した。目の前の男の襟首を締め上げてもよかったが、そうまでしてこの男から何かを訊き出せるか、あまり確証めいたものはなかった。わたしはスツールを降りた。

「いくらだ?」

「……何がだ?」

「ジントニック二杯分の値段さ。ジンは一杯分しか入ってないような気がするが」

 貝原はじっとりした眼差しでわたしを睨んでいた。やがて吐き出すように千二百円だと言った。わたしは財布の中で邪魔になっていた弐千円札をカウンターに置いた。

「浦辺なら、明日も来ないぜ」

「どういう意味だ?」

 わたしは答えずに店を後にした。

 

 翌朝、わたしは懇意にしている東京の探偵社に電話をかけた。十二年前の駆け落ちの事情とその顛末を説明し、連絡を取りたいという家族の依頼でその後の足取りを辿って欲しいと頼むと、経営者の女性は二つ返事で引き受けてくれた。

「別に暇なわけじゃないのよ。あなたの仕事だから引き受けるの」

 声にまでシナを作ったような甘ったるい話し方だった。わたしは苦笑が漏れるのを必死で堪えた。

「ありがたいですね。依頼人は多少、余計に費用がかかっても構わないと言っています。大至急でお願いしますよ」

「まったく、あなたって相変わらず堅苦しいのねぇ。あなたは東京には来ないの?」

「わたしは福岡で別の調査をやらなきゃならないんです。だから、そちらに頼むんですよ」

「まぁ、そうなんでしょうけど。その前回の調査報告書は?」

「ファックスで送ります。写真はメールに添付して。十二年前のものですから、どれだけ参考になるかわかりませんが」

「ないよりはマシかしらね」

 彼女は報告する事が出来たらその都度、携帯電話へメールを入れる、と言った。わたしはそうしてほしい、と答えた。彼女はもっと話を続けたそうな口ぶりだったが、三日分の調査料を振り込むことを伝えて電話を切った。わたしとて好意を寄せられて嬉しくないことはなかったが、自分の母親と同い年では流石に守備範囲に入らない。それに一応、わたしには妻と子供がいる。

 デスクトップのパソコンを立ち上げて、事務所に来る前にカメラ屋でCD-ROMに焼いてきた原岡佳織の写真の中から人相のはっきりしたものを選んでメールで送った。それから調査報告書をファックスに差し込んで、送信ボタンを押した。一枚ずつ読み込まれていくのを横目に見ながら、インスタントコーヒーをカップに入れて電気ポットの湯を注いだ。

 コーヒーを啜りながら漠然と考えを巡らせていると、電話が鳴った。

 ナンバー・ディスプレイには”六”で始まる見覚えのない番号が表示されていた。電話番号は保持したまま移転できるので必ずそうだとは言えないが、基本的には福岡市周辺では市外局番の<〇九二>に続く先頭が四なら博多区、五が南区、六が東区、七が中央区、八が西、早良、城南の三区、三が前原市と糸島郡、九が春日、大野城、筑紫野、大宰府、糟屋郡、那珂川町といった具合に周辺の市や郡という割り当てになっている。

 わたしは受話器を取った。

「村上調査事務所です」

「こちらは森島法律事務所です。弁護士と代わりますので、少しお待ち下さい」

 女が言った。抑揚のない、必要以上に取り澄ました話し方だった。受話器を切り替える操作の音がして、音楽が聞こえてきた。曲は<禁じられた遊び>だった。クラシックギターの音色ではなかったので、何ともいえない違和感があった。

「――君が村上君かね」

 不意にメロディが途切れて年配の男が電話に出た。良く通る太いテノールで、”先生”という尊称で呼ばれる人間特有の自信たっぷりの話し方をする男だった。

「そうですが、あなたは?」

「失礼、弁護士の森島という者だ。横尾先生から連絡をもらったよ。高田伸輔の起訴前弁護を引き受けたのは私だ。何か事件について知っていると訊いたが」

「申し訳ありませんが、特に何か知っているというわけではないんです。むしろ、こちらが教えていただきたいことばかりです」

「話が違うな」

「話をしたのは横尾弁護士です。わたしじゃない」

「それはそうだな。だが、何も得るものがないとなると、君に電話したのは無駄だった、ということになる」

「そうかもしれません。でも、二人で話をすれば、あなたがこの件について考察するのをお手伝い出来るかもしれない」

 森島は小さく笑った。

「探偵よりも営業マンのほうが向いているんじゃないのか」

「たまに言われます。実はわたしが捜している女性が、その事件に関わりのある可能性がありましてね」

「と、言うと?」

「県警の藤田警部をご存知でしょう。今回の殺しの捜査本部に入ってる」

「ああ、あの背高ノッポか。弁護の件で話をしたが、若いのに妙に貫禄があって、中央署の捜査課長とどっちが上役なのか分からなかったな」

「その藤田警部がその女性を捜して、彼女の実家を訪ねているんです。事件の四日後に。彼女は十二年前に家を出て、東京で暮らしている筈だった。慌てた父親がわたしに娘を捜すよう依頼した、というわけです」

「なるほどな。しかし、それが即、事件に関わりがあると判断するのは早計じゃないかね」

「その女性と高田伸輔に接点があるとしても?」

 森島は含み笑いのような吐息を洩らした。

「やはり、君は営業マンの方が向いているよ」

 わたしは十二年前の駆け落ちと、その顛末を説明した。ついさっき東京の探偵社相手に話していたので整然と説明することが出来た。森島はその間、一度も口を挟まずに聞いていたが、説明が終わると重々しく口を開いた。

「非常に興味深い話なんだが、どう判断していいのか難しいな」

「どういう意味です?」

「仮定の話が多すぎるということさ。その原岡という女だって、まだはっきり事件に関係あるとは言い切れないじゃないか」

「それを調べるのがわたしの仕事です。あなたも協力して戴けませんか? わたしがその辺りのことをはっきりさせるのは、あなたにとってもマイナスにはならないはずです」

「……まぁ、仕方ないな」

 森島はいかにも不承不承という感じで言った。協力することの損得感情ではなく、単に話を訊くことには慣れていても、訊かれることには慣れていないだけだった。電話の向こうでジッポの石を擦る音がした。わたしもタバコが吸いたくなってポケットを探ったが、昨日、最後の一本を喫ってしまっていて中身は空っぽだった。わたしはパッケージを丸めてゴミかごに放り込んだ。

「被疑者は殺害の動機は何だと言っているんですか?」

「金銭トラブルだ。まだ裏づけは取れていないが、高田は被害者の浦辺に多額の借金があった」

「殺さなくてはならないほどの?」

「思い詰めてしまう金額なんて人それぞれじゃないかね?」

 夕べ、木戸からも同じ台詞を聞かされたことを思い出した。

 それからしばらく、森島は浦辺のこと――その人となりや商売のことだ――を話してくれた。内容は同じく木戸から聞かされたことを詳しくしたものだった。新しい情報としては、浦辺が一応は認可を受けた貸金業者だったということくらいだ。とは言ってもやり口は法律スレスレで、場合によっては天地神明に誓って違法なこともやっていたらしい。二課(経済事犯担当)が出資法違反で内偵していたという話もあった、と森島は締めくくった。

「しかし、よく浦辺の事はご存知なんですね」

「……知り合いなんだよ。もちろん、いい意味じゃないが。以前にヤツに借金ダルマにされた男の自己破産を扱ったときに、ウチの事務所に脅迫紛いの電話をかけてきた事があってな。もともと、破産事件を扱う弁護士の間では有名な男なんだ」

 わたしは電話の相手が何者なのか思い出した。森島は人権派弁護士として名高い人物で、刑事事件だけでなく、社会的な事件にも多く顔を出している。消費者金融問題では支援団体の全国組織に名を連ねていて、テレビでコメンテータをやっていたこともあるはずだ。ちなみに福岡は全国に先駆けて当番弁護士制度が発足したところだが、それに尽力したとも聞いている。わたしも県警にいた頃に、逮捕した容疑者に呼ばれたこの弁護士を見たことがある。

「浦辺の身元はどうやって割れたかご存知ですか? 新聞では、ルポライターの名刺以外は身元が分かるようなものはないような話でしたが」

「ああ、そのことか。何のことはない、死体の指紋とヤツが何かの事件でパクられたときに採られた指紋がヒットしただけさ。どうでもいいが浦辺の名刺の名前がふざけていてな。”綾小路秀麿”というんだ。ホストクラブの源氏名じゃあるまいし」

 確かにどうでもよかった。

 

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えー、連載再開ではないので念のため。(笑)

実は下の記事で「みんなのテーマ」を辞めることにして、過去の投稿を削除していたところ、書いただけでアップしていなかったコレを発見したのですね。

まあ、いまさらこんなモンと思わなくもないのですが、懐かしくなったのでアップしてみました。