前々から思ってたのよ。
これは書き残しておこうってね。
とは言え、決して消えない記憶だから、
いつでも書けると思ってたりもしてた。
 
書くにはちょうどいいきっかけ。
このブログを読んだから。
この父親目線は愛情と不器用さが
入り混じっててちょっと切なくなる。
 
今から遡ると気が遠くなるような春。
あたしにも就職という節目があったの。
 
当時、ホテル仕事をドラマ化して人気だった。
心理的に影響あったのか無かったのか、
就職先は大阪の梅田にあるホテルで、
阪急の池田にあった寮に入る事になってた。
 
うち、母親は美容師でね。
でもって父親は友禅染の職人。
お父ちゃんは自宅の工場で仕事してた。
コウジョウじゃなくてコウバね。
一方、お母ちゃんは外で仕事。
 
4月1日の入社式に向けて実家を立つ日。
あたしは慣れない安物のスーツを着て、
足元は安物デザインのパンプス履いた。
肩から下げてるのは巾着型のカバン。
いろいろ終わってたバブル期終焉。
 
大きな荷物は事前に送ったと思う。
それでも手持ちの荷物はそれなりあったはず。
自宅から駅までゆっくり歩いても10分。
あたしが生まれた頃、その駅は出来た。
死んだおばあちゃんが感謝してたのを思い出す。
 
そんな短い距離だからさ。
あたしは1人で駅に行くつもりだったの。
 
したらさ。
 
「今から行くんかあ?」
お父ちゃんが工場から出てきたのよ。
おもわず「え?」となったの覚えてる。
「ほな、駅まで一緒に行ったるわ」
 
お父ちゃんは仕事着の汚い格好なまま、
自転車を持ち出した。
手荷物をカゴに入れて運ぶつもりのよう。
自転車に乗るわけじゃ無かったようで、
駅まで初めて2人で並んで歩いた。
 
なんかやたら気まずくってね。
そもそもお父ちゃんは口数が少ないから。
それだけが理由だと思ってだ。
 
今思えばよ。
ひょっとしたら工場の中で、
ずっとアンテナ高く待機してたのかも。
その日の生活音は絶対に逃さないくらいに。
 
「ほな、行くわ」
そうあたしが言う前に声を掛けられた。
 
あたしなんて。
大阪に出るのは都会に憧れるそれ。
街の雑踏にいる自分とか自由とか。
親の気持ちなんか考えてもないし、
その隙間すらなかったもの。
 
お父ちゃんにしてみれば、
勝手に行かんといてくれよ。
お前のタイミングで離れるなよ。
そう思っても不思議じゃない。
 
「荷物ありがとう」の一言や
「またすぐ帰ってくるで」とか。
気の利いた一言が言えたらいいんだろうけど。
その時はこんなにも記憶に残るような
繊細な時間である事は感じようも無かった。
 
ウキウキのあたしと、
無言のお父ちゃん。
 
結局。
 
「今晩から帰ってけーへんでw」
「そうやな」
追い討ちで気まずさを隠すように、
ふざけた笑顔で言ったのを覚えてる。
ごめんなぁと今では思う。
 
あれ以降。
お父ちゃんと駅まで歩いた事は一度も無い。
多分これからも無いと思う。
最初で最後の出来事。
だから絶対に忘れない事なの。
 
プロさん。
娘はね、絶対に覚えてるよ。
 
 

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