私達は、不妊の検査で旦那の無精子症が発覚して、大きな病院で旦那のクラインフェルター症候群という診断され、可能性低いながらもすがる思いでMD-TESEという手術をうけ精子ゼロ細胞すらないと言われどん底に落とされた気持ちでした。もう何もかもが真っ暗で涙が止まらない毎日でした。あーもう旦那の子は産めない、、、、そんな時旦那が言いました『あなたのお腹を貸してください。』そう、旦那はAIDという道を私にお願いしたのです。これを決めた旦那の気持ちを考えると胸が苦しいです。でも私達は、家族、子供が欲しかった。そしてAIDの道に進みました。AIDはとても精神的に苦しい治療です。成功率の低さ、心の痛み、すべて耐えて挑む治療です。旦那もそんな治療をする私を見るのは辛いものがありました。何回もひとりで泣いたり、旦那の前で泣いてしまったり、今思い出しても苦しかった治療でした。子供がほしい、それだけを願いがんばってきた治療。精神的肉体的に体が悲鳴をあげてしまったあの日、治療に限界を感じました。子供の事を考えると半分ルーツが分からない。自らそこまでして、自分の遺伝子を受け継いだ子供が欲しいのか?とも思い、治療をやめる決断をしました。それは私が出産を諦める決断をする事。28歳だった私、産める体がその決断をなかなか受け入れられない、でももう無理だ、どうしようもない。妊婦さん見ると涙が止まらない毎日。心が、体が許さない。そんな揺れる心と戦いながらある日、みんなの前で決断をした。泣いてしまった。でもみんなが今までずっと支えてきてくれてなんとか前を。友達は私のために泣いてくれた、それだけでいいのです。だから私は辛い道を歩き前を向き歩いてきたのです。そこで辿り着いた道、血のつながりなんて関係ない、無理やりつくる命より待ってくれている命があるはず!ずっと見てた特別養子縁組のBabyポケットさんにメールをしてみて、面接をしてもらい1人の男の子とのご縁を結んでいただきました。