~あおに教えられた事 その①~
あおがお空へ還る3日前…
夜中に点滴のブザーが鳴り続け、看護師さんに止めてもらって、
直してもらっても、再び「閉塞」でブザーが鳴り続ける
今にして思うと、点滴が体の中に入らない程、
あおは弱っていたのだろうなぁと思います
母は「あおちゃん、痛いの、看護師さんに言って、取ってもらおう」と
ロピオン(痛み止め)を入れてもらう事を考えていたけど…
あおは「イヤだ」と頑なに拒否していました
8/29(日曜日)母は祖母と付き添い交代をしていました
母が病院に戻ると、右下の唇を思いっきり噛んで、
かなりの傷になっていました
母はあおの唇にワセリンを塗り続け、良くなってきてたのに、
お空へ行く前日に再び、右下唇を噛んでしまい、同じように傷になる
今にして思えば、すごくお腹が痛くて、あまりの痛みに、
唇を噛んでいたのではないかな…
あおはお空に還る何日か前から、
何回も横に向いて寝ては、両手を組んでいる姿が見られました
あおがお空に還る2日前…
吐き気がすごくあるのに、出ても胃液少し…それか唾液しか出てこない…
お腹の痛みもあり、あおはとても苦しそう…
担当医K先生
「夜眠れないと、体力を消耗してしまうので、
痛み止め「ロピオン」や眠り薬「アタP」を積極的に使っても良いですよ。」
2日間、母子共に眠れてないから、今日こそはと思うのに、
上記↑の薬を入れても、長くて1時間しか眠れなかった…
9月3日の3:00~眠っているのか分からないけど、
あおの様子がおかしい…
首を右にカクンと揺らしては「あ゛あ゛」と言う
朝の内は、今すぐに家族を呼ばなくてはいけない程ではなかったけど…
お昼前、処置の為に母が部屋から出ている間に、
あおの心拍数がかなり落ちて、看護師さんに呼ばれて母が部屋に戻った時に
主治医T先生が「お母さん、もうもたないかもしれない…」と言われ、
母は「えっ、えっ」と、突然の事に動揺するばかり…
急いで父に連絡すると、すでに家を出発していて、
後30分位で着く所までは来ているとの事…
そして、仕事中の祖母に連絡して、
せいを小学校早退させて、急いで病院へ来るように伝える。
主治医T先生は、あおの処置をしながら、
「お父さんは…お父さん、後どの位で来られる」と必死で言われていました
沢山の医療スタッフの方々が、あおの部屋にいて、
あおの為に必死で動いて下さってて、
母はあおの右手を握らせてもらった。
そして、部屋の入り口から、誰かが入ってくる度、
お父さんの姿を探し続けては、落胆する事を母は何回も繰り返した
父が部屋に来て少ししてから、
あおは自力で心臓を動かすようになりました…
お空へ還る日のお昼、あおは誰もいない所を指差し
母が「あおちゃん、誰かいるの」と聞いても
何も答えてはくれなかったけど…。
きっと、天国にいる、父方のおじいちゃん・おばあちゃん達が、
あおが迷わないように、
お迎えに来てくれていたのかもしれませんね…。
あおはよくDVDを見ていたので、
副看護師長Oさんの許可を頂いて付けると、
せいが1人じめして見ては、爆笑してました
あおも、きっとDVDも大好きだから、
音を聴いて、せいの笑い声を聞いて、楽しんでくれたかなぁ…
あおは眠るようにウトウトしながら、よく母の方に両手を出して、
まるで"だっこ"をして欲しがっているように感じ…
担当医K先生の許可をもらってから、横抱きだけど、
あおがお空に還る前に、1度だけ、
母はあおを抱っこする事が出来ました
ずっとあおと一緒にいたくて、
「あおちゃん、大好き」
「ガンバレ」
「どんな形でも、ずっと一緒だよ」
と言い続けていた母だけど、
夕方にあおの心拍が落ち始め
1回だけ、担当医K先生が心臓のお薬を入れて、
心拍が戻りましたが…
担当医K先生
「後はあおちゃんの力に任せましょう」
「もうこれ以上は、薬を入れても同じ事を繰り返し、
あおちゃんも可哀想なので、このまま見守ります」
という担当医K先生の言葉を聞いて、
母もやっと「あおちゃん、もういいよ」と言えました。
そして、母の言葉を聞いてから、あおは苦しまず、
眠るように、お空へ還っていきました
家族皆、あおがお空に還って、
担当医K先生の診察後の言葉を聞いて、大号泣
あおがお空に還ってから、部屋の中で、いつものように、
ベビーバスを持ってきてもらって、お風呂に入れてもらいました
あおの最後のお風呂なので、
お父さんにも入れてもらいました
あおの最後の部屋持ちとなったいつも冷静な看護師Oさんと、
いつも明るく前向きなプライマリーナースのAさんと、
いつも母が落ち込んでいる時に、優しく話を聞いてくれたり、
絵がとても上手な2児の母でもあるKさんが、一緒に部屋にいました。
看護師さん達と、あおのお風呂の思い出話をして…
「あおちゃんは、頑固でお風呂に入れるまで、大変だったね」
「お風呂に入りたがらないのに、なかなか出たがらないんだよね…」
その後、あおのお気に入りのアンパンマンのお洋服・
保育所の運動会で着た母とお揃いのTシャツ・
父が誕生日プレゼントに選んだズボンを、
あおの最後に、着せてもらいました
あおは看護師さん達に、キレイに可愛く、お化粧してもらってて、
本当に本当に可愛かった…
主治医T先生、担当医K先生、研修医F先生、プライマリーナースAさん、
父、母、せい、祖父、祖母で、最後に面談室で、お話しました。
あおの闘病内容を話し、大事な大事な「通行証」を頂き、
両親が感じている事を先生方に伝える機会があって…
母「もっと、再発予防について、
(自分で)調べておけば良かったと思いました。
退院出来て、保育所にまた行かせてあげられると、
そちらの事ばかり、考えていたので…」
父「新しい治療の事でも、よく動いて頂いて、本当に感謝しています。
ありがとうございました」
プライマリーナースAさんは、あおが名前を呼んでいた看護師さんなので、
「プライマリーのかいがありました」と少し涙ぐんで言われてました
後程、担当医K先生と、母は個人的に話せる機会がありました。
最後のあおの採血結果を見て、
かなり苦しく、しんどかったんだなぁと改めて感じて、
「可哀想に…」と思いました。
そして、担当医K先生に、感謝の気持ちを伝え、
もし、あおと同じように、神経芽細胞腫の再発で苦しんでいる子供達がいたら、
あおが出来なかった、新しい治療を生かして、
提案してくれるとおっしゃってました
↑を後で父に伝えると、父も嬉しそうでした
担当医K先生
主治医T先生
研修医F先生
外科で手術してもらった男性医師のK先生
そして、プライマリーナースのAさんを始め、
沢山の小児科看護師さんがあおの見送りに来てくれました
子ども医療センターで、3年目のIさんも見送りに来てくれて、
涙もろい看護師さんなので、今日も涙してくれてました
本当に色々あった入院生活
でも、小児科医療スタッフの方々に恵まれ、主に診て下さる先生が、
担当医K先生だった事、本当に良かったです
あおも、担当医K先生と、楽しそうにして、遊んでました
最後の約1ヶ月間は、担当医K先生が部屋に入られて、
母と話す度に、「はなしたらいけん」と怒りまくり
泣き叫んでいましたが…
普段、あおは「○○○○せんせい」と名前を呼び、
先生と玩具で遊んでもらったり、シール貼りをしてもらったり…
担当医K先生の名札には、
あおが貼ったシールでいっぱいになっていました
沢山の小児科医療スタッフの方々に見送られて、
父・母・あおは、病院を後にしました
せいは、祖父母と一緒に帰りました
あおがお空へ還る3日前…
夜中に点滴のブザーが鳴り続け、看護師さんに止めてもらって、
直してもらっても、再び「閉塞」でブザーが鳴り続ける
今にして思うと、点滴が体の中に入らない程、
あおは弱っていたのだろうなぁと思います
母は「あおちゃん、痛いの、看護師さんに言って、取ってもらおう」と
ロピオン(痛み止め)を入れてもらう事を考えていたけど…
あおは「イヤだ」と頑なに拒否していました
8/29(日曜日)母は祖母と付き添い交代をしていました
母が病院に戻ると、右下の唇を思いっきり噛んで、
かなりの傷になっていました
母はあおの唇にワセリンを塗り続け、良くなってきてたのに、
お空へ行く前日に再び、右下唇を噛んでしまい、同じように傷になる
今にして思えば、すごくお腹が痛くて、あまりの痛みに、
唇を噛んでいたのではないかな…
あおはお空に還る何日か前から、
何回も横に向いて寝ては、両手を組んでいる姿が見られました
あおがお空に還る2日前…
吐き気がすごくあるのに、出ても胃液少し…それか唾液しか出てこない…
お腹の痛みもあり、あおはとても苦しそう…
担当医K先生
「夜眠れないと、体力を消耗してしまうので、
痛み止め「ロピオン」や眠り薬「アタP」を積極的に使っても良いですよ。」
2日間、母子共に眠れてないから、今日こそはと思うのに、
上記↑の薬を入れても、長くて1時間しか眠れなかった…
9月3日の3:00~眠っているのか分からないけど、
あおの様子がおかしい…
首を右にカクンと揺らしては「あ゛あ゛」と言う
朝の内は、今すぐに家族を呼ばなくてはいけない程ではなかったけど…
お昼前、処置の為に母が部屋から出ている間に、
あおの心拍数がかなり落ちて、看護師さんに呼ばれて母が部屋に戻った時に
主治医T先生が「お母さん、もうもたないかもしれない…」と言われ、
母は「えっ、えっ」と、突然の事に動揺するばかり…
急いで父に連絡すると、すでに家を出発していて、
後30分位で着く所までは来ているとの事…
そして、仕事中の祖母に連絡して、
せいを小学校早退させて、急いで病院へ来るように伝える。
主治医T先生は、あおの処置をしながら、
「お父さんは…お父さん、後どの位で来られる」と必死で言われていました
沢山の医療スタッフの方々が、あおの部屋にいて、
あおの為に必死で動いて下さってて、
母はあおの右手を握らせてもらった。
そして、部屋の入り口から、誰かが入ってくる度、
お父さんの姿を探し続けては、落胆する事を母は何回も繰り返した
父が部屋に来て少ししてから、
あおは自力で心臓を動かすようになりました…
お空へ還る日のお昼、あおは誰もいない所を指差し
母が「あおちゃん、誰かいるの」と聞いても
何も答えてはくれなかったけど…。
きっと、天国にいる、父方のおじいちゃん・おばあちゃん達が、
あおが迷わないように、
お迎えに来てくれていたのかもしれませんね…。
あおはよくDVDを見ていたので、
副看護師長Oさんの許可を頂いて付けると、
せいが1人じめして見ては、爆笑してました
あおも、きっとDVDも大好きだから、
音を聴いて、せいの笑い声を聞いて、楽しんでくれたかなぁ…
あおは眠るようにウトウトしながら、よく母の方に両手を出して、
まるで"だっこ"をして欲しがっているように感じ…
担当医K先生の許可をもらってから、横抱きだけど、
あおがお空に還る前に、1度だけ、
母はあおを抱っこする事が出来ました
ずっとあおと一緒にいたくて、
「あおちゃん、大好き」
「ガンバレ」
「どんな形でも、ずっと一緒だよ」
と言い続けていた母だけど、
夕方にあおの心拍が落ち始め
1回だけ、担当医K先生が心臓のお薬を入れて、
心拍が戻りましたが…
担当医K先生
「後はあおちゃんの力に任せましょう」
「もうこれ以上は、薬を入れても同じ事を繰り返し、
あおちゃんも可哀想なので、このまま見守ります」
という担当医K先生の言葉を聞いて、
母もやっと「あおちゃん、もういいよ」と言えました。
そして、母の言葉を聞いてから、あおは苦しまず、
眠るように、お空へ還っていきました
家族皆、あおがお空に還って、
担当医K先生の診察後の言葉を聞いて、大号泣
あおがお空に還ってから、部屋の中で、いつものように、
ベビーバスを持ってきてもらって、お風呂に入れてもらいました
あおの最後のお風呂なので、
お父さんにも入れてもらいました
あおの最後の部屋持ちとなったいつも冷静な看護師Oさんと、
いつも明るく前向きなプライマリーナースのAさんと、
いつも母が落ち込んでいる時に、優しく話を聞いてくれたり、
絵がとても上手な2児の母でもあるKさんが、一緒に部屋にいました。
看護師さん達と、あおのお風呂の思い出話をして…
「あおちゃんは、頑固でお風呂に入れるまで、大変だったね」
「お風呂に入りたがらないのに、なかなか出たがらないんだよね…」
その後、あおのお気に入りのアンパンマンのお洋服・
保育所の運動会で着た母とお揃いのTシャツ・
父が誕生日プレゼントに選んだズボンを、
あおの最後に、着せてもらいました
あおは看護師さん達に、キレイに可愛く、お化粧してもらってて、
本当に本当に可愛かった…
主治医T先生、担当医K先生、研修医F先生、プライマリーナースAさん、
父、母、せい、祖父、祖母で、最後に面談室で、お話しました。
あおの闘病内容を話し、大事な大事な「通行証」を頂き、
両親が感じている事を先生方に伝える機会があって…
母「もっと、再発予防について、
(自分で)調べておけば良かったと思いました。
退院出来て、保育所にまた行かせてあげられると、
そちらの事ばかり、考えていたので…」
父「新しい治療の事でも、よく動いて頂いて、本当に感謝しています。
ありがとうございました」
プライマリーナースAさんは、あおが名前を呼んでいた看護師さんなので、
「プライマリーのかいがありました」と少し涙ぐんで言われてました
後程、担当医K先生と、母は個人的に話せる機会がありました。
最後のあおの採血結果を見て、
かなり苦しく、しんどかったんだなぁと改めて感じて、
「可哀想に…」と思いました。
そして、担当医K先生に、感謝の気持ちを伝え、
もし、あおと同じように、神経芽細胞腫の再発で苦しんでいる子供達がいたら、
あおが出来なかった、新しい治療を生かして、
提案してくれるとおっしゃってました
↑を後で父に伝えると、父も嬉しそうでした
担当医K先生
主治医T先生
研修医F先生
外科で手術してもらった男性医師のK先生
そして、プライマリーナースのAさんを始め、
沢山の小児科看護師さんがあおの見送りに来てくれました
子ども医療センターで、3年目のIさんも見送りに来てくれて、
涙もろい看護師さんなので、今日も涙してくれてました
本当に色々あった入院生活
でも、小児科医療スタッフの方々に恵まれ、主に診て下さる先生が、
担当医K先生だった事、本当に良かったです
あおも、担当医K先生と、楽しそうにして、遊んでました
最後の約1ヶ月間は、担当医K先生が部屋に入られて、
母と話す度に、「はなしたらいけん」と怒りまくり
泣き叫んでいましたが…
普段、あおは「○○○○せんせい」と名前を呼び、
先生と玩具で遊んでもらったり、シール貼りをしてもらったり…
担当医K先生の名札には、
あおが貼ったシールでいっぱいになっていました
沢山の小児科医療スタッフの方々に見送られて、
父・母・あおは、病院を後にしました
せいは、祖父母と一緒に帰りました