Dr. Mの診療録 その8:春菜ちゃん | 松林 秀彦 (生殖医療専門医)のブログ

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生殖医療に関する正しい知識を提供します。主に英語の論文をわかりやすく日本語で紹介します。

 妊娠中の女性で最も頻度が高い疾患は、切迫流早産である。妊娠21週までが流産領域、妊娠22週から36週までが早産領域であるので、切迫流産は前者、切迫早産は後者の時期に赤ちゃんが生まれてしまいそうになる状態である。ほとんどの産婦人科では数名から十数名の妊婦さんがこの病気で入院しているのが実情である。その中でも記憶に残る患者さんは、妊娠5ヶ月頃に入院を開始した20代前半の、とても明るく元気な方である。丁度私の年齢も近かった頃だ。患者さんは、お腹の張り(子宮が収縮して固くなる)が強く、点滴で子宮収縮を抑える薬の投与を必要とした。毎日回診にいくとだいたい会話は決まっていて、「お腹張りますか?」「今日は調子いいよ」という感じである。切迫早産の場合、途中で退院できる方もいらっしゃるが、大抵は満期になるまで入院生活となる。この患者さんも10ヶ月に入る頃まで入院し、そろそろ退院かなと思っていたが、血圧が高くなり、引き続き妊娠高血圧症候群(妊娠中毒症)で入院することとなった。妊娠高血圧症候群の治療は安静と食事療法が基本であるが、患者さんは血圧を下げる薬(降圧剤)も必要とした。お産は産科的な理由で帝王切開になった。赤ちゃんの名前は「春菜」と名付けられた。「どうして、春菜なの?」と訊くと「だって私、入院中お腹の赤ちゃんに毎日ずっと「張るな」「はるな」って言ってたから」。5ヶ月に及ぶ長かった入院生活にようやく終止符を打つことができた。退院後1ヶ月検診では、まだ若干血圧が高かったが、降圧剤は減量しつつあった。入院中担当していた看護師さんと私で計画し、長かった入院生活のお疲れさま会をやろうということになった。近くのフレンチレストランを予約し、患者さんご夫婦と春菜ちゃんも一緒に5人で食事をした。私は事前にシェフと打合せをして、塩分とカロリーを制限したコース、けれども味は落とさないもの、をオーダーした。食事会も終了が近づいた時、私は「この料理は、病気に優しい特別な料理です。これからも、食事療法に気をつけ春菜ちゃんを元気に育てて下さい」と言った。患者さんは「ありがとう」と涙ぐんでいた。