どうやら近頃自分の中の感覚が大分変わってきたようで…。
ビフォアコロナの時とは、まるで、とまでは言わないけれど、3割くらいは自分自身がまるっと変化しているような気がしている。

4月7日の緊急事態宣言が出されてからというもの、それが解除されてからも、電車移動はほとんどしていない。
満員電車の苦痛は無くなり、身体が徐々に回復してきた。
酷い捻挫で痛めつけてから、もう治らないかもしれない、と思っていた右足首の可動域が増えた。
他の人と触れ合う時間は大幅に減ったものの、己と向き合う時間が増えた。

これはどうも、あの頃の感覚に近い。

毎日毎日演劇や好きなことに没頭し続けられた中高生の頃。
家族に守られ、家計の心配もなく、習い事や、芸術鑑賞、やりたいことを突き詰める為の豊かな時間が流れ、ただただ己を磨くことに集中出来ていた頃の感覚。

大学で東京に上京してきてからというもの、この慣れない街並みに、拠り所のない生活に、常に得も言われぬ不安に襲われていた。
その日その日を生きるのに精一杯で、周りからの目を気にし続け、他人の価値観に揺らぐ毎日。

誰かの為になれる自分でありたい。
それはどんな手段でも良いわけじゃなくて、自分にしか出来ない方法で、世の中に必要とされなければいけない。

生きることは、ぜんたいバランスが難しい。
けれど幸か不幸か、このコロナ禍において、何故か自分の求めていた豊かな時間が流れている。

アウトプットとインプットと休息のバランスが、ようやく調度良く整って気たのかもしれない、とも思う。

今は学ぶことがとても楽しい。

そんな豊かな時間に導いてくれた、これまでの様々な出会いに、感謝の気持ちが溢れる。


学んで学んで、創作や表現に昇華して、皆様に楽しんでいただくことで、精神的にも経済的にも生きる糧を得る。
そんな時間を作っていけるよう努めたい。


こんな思春期のやうな想いは己のうちに秘めておきなさいとも思うのだけど、そんなことを今更表に出すのも一つの試みかなと開き直りつつ、ここに残しておこうと思う。