黄太郎先輩の旅立ちと奇跡 | 黄太郎の家

黄太郎の家

2014年5月、念願のログハウスに住み始めました!
インコ5羽(セキセイ2羽・オカメ1羽・モモイロ1羽・ヨウム1羽)を飼っています。
妄想インコ劇場、趣味のパン作りや懸賞、家のことなどを書いています。

今朝のブログに取り急ぎご報告した通り、我が家で一番年長の黄太郎が旅立ちました。

 

詳しい事はアメンバー限定にしようかとも思いましたが、ここで書かせて頂きます。

↑隠したいわけではなく、現在闘病中だったりまだ最近お別れしたばかりの方が読んだら辛い気持ちになってしまうかなと思いましたが、お迎え当初から先輩の事はブログに書いているので最後まできちんと書かせて下さい。

 

もし、詳しい話は読みたくないという方は今日のブログはここで引き返して頂きたいと思います

 

アメブロを開いたら、2年前の9月に書いた記事というのが表示されたのでそちらをリブログします。

アラポテトの話でした(^_^;)今年は昨日発売でしたがまだ買いに行けていないので今週末食べられるように探しに行くつもりです。

 

 
↑懐かしの「逆コラボ大賞」のお題写真にも使った一枚。
 
過去を振り返りつつ・・・。
 
6月11日、急激に体調が悪くなった黄太郎を連れて市内の病院に駆け込んだ時、週末にもっと鳥に詳しい先生のいる病院へ行くまで待っててくれるだろうか・・・そんな事が頭をよぎりました。
 
それから何度も、「諦め」ではなく今まで沢山の子たちとのお別れを経験して体調が悪いと感じてから24時間以内、もっと短い子は1時間以内にお別れという事が多かったので「この写真が最後の1枚になるかもしれない」と思いながら撮った日もありました。
 
 
先生からは「数日〜長くて数ヶ月」と言われていました。
 
手術はしない、入院も強制給餌もさせない。
これは最初に考えていた事です。
 
入院と強制給餌については、それによって命が助かるならやったほうが良いと思いますが先輩はその時点でもう「緩和ケア」だったので、とにかく苦しませる事なくギリギリまで美味しくご飯が食べられる事、慣れている我が家で過ごさせてあげる事を一番大事な事と思っていました。
 
 
そこから毎日の投薬、体重測定、夜中も食べられるように部屋の電気はつけっぱなしという日々で、体重の乱高下が始まりました。(その事については前回の記事に書いてあります)
 
「これが最後の1枚になるかもしれないと思った」と書きましたが、実際は悪いながらも一定の体調を保っている先輩に、食べ終わってまた新しい粟の穂やシードが買える事が嬉しくて仕方なかったです。
毎朝、インコ部屋の扉を開ける時にどれだけ緊張した事か・・・すると平然とした顔でこちらを見ている先輩。
 
時々おじゅーくが「黄太郎先輩、頑張って〜!」と喋ります。
(これはバナナ係さんが自分の名前+頑張って〜!で仕事に行く日に応援して欲しくて教えた言葉を、おじゅーくが黄太郎の名前と組み合わせて言うようになりました)
 
 
今年の元旦、空次郎が突然旅立ちました。それはわずか1時間以内の出来事でした。
あの時も私の手の中で、今まであまり触らせてくれなかった空次郎の頭をカキカキしてあげながらその時が近いのを感じ、1度だけケージの床でバタバタと1周旋回したので急いで手に乗せました。
 
普段なら、起きてすぐにケージの掃除をして、落ち着いてから8時過ぎに投薬をしています。
でも今日はスムーズに家事が進み、7時50分頃に投薬をしようと薬を持って先輩の部屋に近づきました。
すると、保温電球の下の隙間で倒れていたので、「ついにこの時が来てしまったのか・・・」と思いました。
この時点で、もう旅立ってしまったと思ったのです。
 
でも、急いで開けて手に乗せるとしっかりとしたいつものクリクリの目で私を見ています。
立つ力がなく、手に乗せてもペタンとしていましたが、呼吸が荒くなる事もなく、静かにしていたので頭をカキカキしたり鼻を近づけて吸ったり(←)両手で包むようにしていました。
 
 
インコとのお別れを経験した事がある方ならわかると思いますが、先輩はまだ意識がある段階で足がもうお別れしたあとの形(両足がダランと後ろに伸びている状態)にかわってきました。
 
それでも私をしっかり見ていたので「黄太郎、ありがとう。黄太郎、大好きだよ」と声に出して伝えました。
この時点で涙が出てしまったので先輩が最後に見た私は泣いている顔だったかもしれません。笑顔を向けてあげられなくてごめんと思いましたが、伝えたかった事をきちんと伝える時間をくれてありがとうという気持ちのほうが大きいです。
 
手に乗せて10分近く経った頃、体からスーっと水分が抜けていくような感覚がありました。
いよいよなんだな、と思いながら顔を見ているとクリクリしていた目がゆっくり閉じていきました。

そして今、衝撃的事実が!!!
私が日記に書いていた元旦を振り返ってみたら…

空次郎と黄太郎の旅立った時間が全く同じ朝の8時4分だったのです!!!



↑これが空次郎について書いたページの一部です


まだ意味はわからないかもしれないけど、意識があるうちにおやつ係さんにも撫でさせ、旅立った直後にも触らせました。

 
今まで沢山のお別れをしてきた中で、辛かったのは苦しんでいる姿を見た子たちでした。
その次に、見ていない時に予想もしていないお別れだった時。
 
そんな中、先輩は3ヶ月という時間を私にくれて最後もゆっくり話をする時間までくれました。
 
3ヶ月、完治はしないとわかっていながらも毎日「こうしたらもっと良いかもしれない」という事が次々と湧いてきて、布団の中で「明日は○○を食べさせてみたいから早速買いに行って来よう」とか考えたりもしていました。
そのやってみたいと思う事が尽きる事はなく、全部試させてくれた先輩。
 
細胞検査をしていないので確定ではないというのは前にも書きましたが症状から考えてほぼ精巣腫瘍だとして看病してきました。
セキセイインコの寿命としては6年8ヶ月は早いです。でも、結婚して半年ちょっとでお迎えしてから一度はメガバクで危篤になりつつ元気になって引越しも一緒にして、先輩と過ごした時間は本当に濃かったです。
 
 
最期までスーパーポジティブインコだった先輩。
悲しくも、こんなに清々しいお別れが今までにあっただろうか?!と思うほどでした。
 
なのでまだ当日にもかかわらずこうして落ち着いた気持ちでブログを更新しています。
 
1つ前のブログにも書かせて頂きましたが、闘病中である事をブログに書いてから今まで本当に多くの方から励ましのコメントを頂き勇気づけられました。
ブログ開始当時からのお付き合いの方、最近知って見て下さるようになった方、全ての方にこの場をお借りしてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。
 
最後に、カビ番長、さっきメールしようとして途中でホーム画面に戻ったら自動的に下書きされてると思い込んでいた文章が全部消えていたのでスマホで打ち直すよりこっちのほうが早いと思いここにひっそりと書かせて下さい。
頂いた止まり木は先輩が快適に過ごせた一番の素敵アイテムでした。
月の萩屋さんにも是非、今後もあの素敵な止まり木を作って下さいと伝えて下さい。
頂いた止まり木、小さいほうはまだ未開封ですが使っていたほうはキレイに洗ってまた近い将来、おやつ係さんが成長してどこかで明らかにスーパーポジティブそうなインコに出会った時に使う予定です。
 
 
みんな、またね!