年が明けてはじめての更新だよ。
今年は辰年だからね。
近くにある龍神伝説の残る池に
初詣を兼ねてお参りに行ってきたよ。
ここ桜ヶ池は、昔から池の底に龍神が棲んでいるといわれていて
池そのものがご神体なんだ。
伝わるお話はこうだよ。
平安時代の後期、比叡山に皇円(こうえん)というとても徳の高いお坊さんがいたんだ。
皇円は今生においては解脱することができないと考え、
お釈迦さまが亡くなってから56億7千万年後に現れこの世を救うとされる弥勒菩薩に会って教えを乞うために、
人よりはるかに長寿である龍になって生きながらえようとしたんだ。
龍として棲むのに相応しい池を探していたところ、皇円の弟子のひとり法然(後の浄土宗開祖)が旅の途中でこの池を見つけ、皇円に伝えたんだ。
皇円は臨終の際、池の水を掌の中に入れて入滅し、龍となってそのまま池の底に沈んで行ったらしい。
数年後この地を訪れた法然は、龍神になった皇円の安泰や五穀豊穣を祈って、ヒノキのおひつに赤飯をつめて池の真ん中に沈めたというよ。
この池の底には今も弥勒菩薩を待ち続ける龍(皇円)が棲んでいて
法然がかつてしたように、毎年秋分の日になると
地元の人々が赤飯をおひつに入れて池の底深くに沈めているんだ。
すると数日の内に空っぽになったおひつだけが浮かび上がって来るから
きっと龍がご飯を食べているんだ、っていわれてる。
その神事は850年以上、今も変わらず続けられているよ。
おひつ納めの神事が執り行われる時分になると
参拝者は底の抜けたひしゃくで
皇円や法然の大願である衆生救済、そして先祖供養の気持ちを込めて水向けをするんだ。
あおっちも以前参加したことがあるよ。
そして、池のほとりに佇む池宮神社に祀られているのは
瀬織津姫(せおりつひめ)、建御名方神(たけみなかた)など水に関わる神様。
瀬織津姫(せおりつひめ)は
災いや穢れ、人の罪までもを水で浄化して払ってくれる神様だから
水辺に祀られていることが多いみたい。
あ、これも記念に載せておかなくちゃ。
帰りに池の前のお土産屋さんで発見した名物のさくら棒。
昔は子供達を中心に大人気のおやつだったんだって。
このお店が開いているのにびっくりしていたちまさんだけど
(最後に開いているのを見たのは10年以上も前らしいよ)
今もこれが売られているってことに、さらにびっくりするやら嬉しいやら。
そしてね、この龍神が棲む桜ヶ池には
なんと、沈めたおひつが長野県の諏訪湖に浮かび上がった!という伝説があるんだ。
つまり、桜ヶ池と諏訪湖には地下でつながる龍の通り道があって
龍が行き来しているんじゃないかって。
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ってことで、やって来た諏訪湖。
(少し前のこと)
まずは諏訪大社本宮へ立ち寄らせてもらったよ。
桜ヶ池の池宮神社にも祀られていた建御名方神(たけみなかた)は
諏訪湖の水の神様でもあるからね。
あいにく動物さんは入れないところだから
あおっちは鳥居の外からお参りさせてもらったよ。
元々は花火を上げるために造られた人工島のようだけど
小さな神社が建てられていて諏訪大明神(=建御名方神)をお祀りしているんだって。
龍神が棲むのに相応しいような、とても神秘的な湖だね。
残念ながらあおっちはおひつを発見できなかったけど
ひとも動物も植物も、この世の全ての命を育む水の神様を
共に崇め感謝するっていう
古来から現在に至るまでの人々の心のつながりを感じたような気がしたよ。
もしかしたら底もつながっているかも・・・なんて思っちゃった。
ちまさんはお寺や神社の歴史的背景やその建築物
そして何よりそれを覆う空気が好きだから
お散歩がてら頻繁に出向いて、感謝したり祈願したりして、それをたまにここにも書いてる。
だけど、理不尽な出来事に遭遇したり、それを目の当たりにしたりすると
神も仏もいないんじゃないかって、思ってしまうこともあるんだって。
でもね、平安時代のとても徳の高いお坊さんでさえ
生きている間には到底人々は救えないからって
未来に現れる弥勒菩薩の教えを受けるために、自ら龍になって修業しながら池の底で待っているんだ。
簡単に人は救えないし
この世は苦であるということなんだね、きっと。
ため息をつくこともあるけれど
今年もこうして生きている時間を大切にして
時々ここに日記を書きに戻って来たいなぁと思っているよ。
ってことで、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
皆さまにとってもなるべく穏やかな年になりますように。
by あおい♀(・・・+ゆき♀)