今日は、実家に行って見ました。実家は誰も住まなくなって6年経ちます。
震災後、中がどうなっているか心配で行ってきました。実家は仙台市若林区にあります。津波で1000人くらい亡くなった荒浜のある区ですが、実家はそんなに海には近くないので、水は来ていないとのことでした。
実家に行くのは6年振り。玄関の鍵を開けます。
玄関の床には、飾ってあったガラス工芸品の花瓶が落ちていて、粉々に
家に入ると、台所はレンジが台から落ち、食器の一部が落ちて壊れていましたが、食器棚の扉は閉まっていて、そんなにヒドイ状況ではありませんでした。
他の部屋も、本が落ちたりはしてますが、自体は特に損傷はなく、安心しました。
一緒に行ってくれた友達とガラスを片付けました。
仙台市の東側に「東部道路」という有料道路があるのですが、実家から5~6百メートルくらいかな。
一般道と立体交差するために高架ではなく、盛土して堤防みたいな上に道路があるのですが、今回の津波に対して堤防の役割を果たし、東部道路の東側は瓦礫の山ですが、西側は被害が殆どありませんでした
東側では、自衛隊の人々が瓦礫の整理をしていましたが、あまりの広大さに、いつになったら終わるのか見当がつきませんでした。
その後、一緒に行った友達の親の出身地の【山元町】へ
海沿いの町山元町は、さらにヒドイ状況でした。
友達の親戚の家があった海から百メートルくらいの場所は、瓦礫もありません。家の土台が津波が運んできた砂に埋もれています。一面砂だけです。家の瓦礫はもっと陸地に流されてしまったのでしょう。
その砂に埋もれた中で、一冊のノートを見つけました。中学生の数学のノートでした。名前はわかりませんでしたが女の子の字でした。この中学生の女の子は無事だったんでしょうか。
帰り道 道の両側には 自衛隊の手によって集められた瓦礫の大きな山が沢山できていました。また、田畑には、トラック、乗用車、耕運機、漁船、根こそぎ流された木や電信柱、家の瓦礫がまだまだ散乱していました。
本当に考えられないような光景でした。