愛と献身 そして犠牲 | 高橋大輔選手と共に momokikuのブログ

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フィギュアスケートの高橋大輔さんを無条件に応援しております。

こんばんは。

 

ずっとFOIの感想続きを書こうとしているのですが、毎日何かしら新しい情報がアップされるので落ち着いて書くことが出来ずにいます。

昔だったらお茶の子だったのにねえ。

 

あ、今の人は”お茶の子さいさい”なんて言葉使いませんね。

 

それどころか先日Twitterで「わーい!」が昭和レトロなワードにあたると知って、私もとうとう「温かく見守ってあげましょう」と言われる側になってしまったのだとプチショックを受けたばかりです。

 

でもね、我々の世代とてそんな風に年上の方々を茶化してきた覚えもあるのです。

 

あー「茶化す」って言葉ももしかして死語かしら?私ったらいちいち墓穴を掘ってるわ。あ、「墓穴」もダメかなあ

 

「ヤバい」は大丈夫ですよね??ね?

 

 

と、その辺、いちいち娘に確認するのも何なので知らず滲み出る昭和感は気にしないことにしています。

 

まあ一応大ちゃんはその辺気にせずとも話が通じると信じて勝手に仲間にできるのがちと嬉しい~(* ̄▽ ̄)フフフッ♪

 

特にスケートに関しては驚くほど前の選手もよくご存じだしね。嘘偽りなく小学生のころからスケートに夢中で、真剣にテレビ観戦してたってことがわかるんです。だからナカーマと思ってます。

 

本当にスケートが好きな人はちょっと会話してるだけでわかりますよ。出てくる選手の名前の数が半端ないし、特徴もよく覚えてるし、語る言葉に愛を感じます。何十年前の演技に駄目だしするのもやっぱり愛よね♥

好きなことを語る人のそばにいるとその対象が何であれ幸せになれる私です。

 

スケーターにとっては熱心なファンの存在が時に重く感じられるかもしれないけれど、その周りに長年スケートファンとして温かく見守ってる人がもっともっと沢山いて、そして演技を記憶に留め長く語り継いでいる事を知ってほしいなあ

 

などと余計なお世話を焼きたくなる昨今。

歳なんて気にしない!昭和なファンこそバンザイ\(~o~)/なのです。

 

そういう意味でも地元岡山のRMKイブニングニュースさんが過去の報道を動画配信してくださってることにはものすごく感謝しております。

 

 

 

 

まだ大ちゃんが中学生だったころから熱心に応援してくださっていたのですね。そして当時から大ちゃん大好きなちびっ子たちのなんと多い事。

ほんの数分のニュースからもリンクの中での大ちゃんがどんな存在だったかが改めて浮き彫りになります。見た目はちょっとあれだけどwこうして見ると歴史は嘘をつきません。

 

 

私にとっても初見の貴重映像ばかりで、思わず笑ってしまうような微笑ましい姿が沢山。

 

やっぱり昔から大ちゃんは大ちゃんだなあ。そしてますます「良い男」度合いが増して、最高を更新しつづけてるのが凄すぎます。

まだご存じない方もいらっしゃるかもしれないので、もっともっと沢山の方に視聴していただき、永久保存版としていつまでも残しておいてほしいです。RSK様よろしくお願い申し上げます。

 

 

私が初めて大ちゃんを観てからもう20年も経とうとしてるんですね。その間に時代が変わり、当時は当たり前に思っていた常識が通用しなくなり、使う言葉も生活も全てがらりと変化してしまっても、ここだけは変わらないなあと思う事柄があります。

 

Friendsじゃなくて恐縮ですがこれは前から私が訴えたかったことの一つなんで、思い切って書いておきます。

個人を批判するものではないけれど、女性視点について常日頃感じていたことの一つなんです。

 

 

 

さて20年前に比べたらもちろん世の中良くなったことが大半です。

その最たるものがハラスメント。いや今だってもちろんあるんですけど雲泥の差です。今じゃあなんであんなことがまかり通っていたのか不思議なくらいですよ。私も大なり小なり嫌な思いをしてきた世代です。

 

ただし言葉遣いが丁寧になっただけでその奥に女性蔑視が潜んでいるのではないか?と会社のメールからでも感じてしまうことはあります。

 

相手が男性なら絶対にこんな馬鹿にするようなこと言わないよねって腹立つことはいまだにあるし、体質ってそう変わるものじゃありません。

 

 

まあそれでもネットの普及で昔ほど隠れて悪事を働きにくい状態にはなってるのかなとは思うし、この世の中一本道ではなく多くの価値観から成り立っているのだと知ることは出来ました。なにしろ当時は会社または組織、あるいは家庭に滅私奉公することだけが美徳とされていたんですから。

 

でも一方で変わってないのもそこで、オブラートには包まれたものの、弱者が強者に貢物を差し出すことが当然とされている”社会常識”から私たちは完全に抜け出せてはいないと実感することが多々あります。

 

しかも強者が貢物を要求してるのではなく、劣っているものが譲って当然だと弱者自身が思い込んでいる節があり、進んで自らを差し出すべきで、いやそうではない!私たちにも権利がある!と反抗する他者を白い目で見る傾向があるのではないでしょうか?

 

よく男女格差などと言いますが他ならぬ女性自身が同じ女性に対して厳しい要求をし、「その程度我慢して当然!私は出来た!」「本当に愛し、尊敬しているのなら相手のために譲歩しなさい」というマウントを取っているのを現実でもネット上でも見かけるのです。

昔から嫁姑の確執と言われますが、その立場でなくても女性こそが女性の社会進出を阻み、無意識に相手の成長を阻害し、弱い立場に甘んじるべきと拘束する元凶ではないのかと

 

そんな文面に出くわすたびに「温かく見守りましょう」という気分には到底なれなくなります。それこそ何世代も前の幽霊に出くわした気分。

 

私はこの20年あまりほぼ女性だけの空間にいるんですけど、不思議なことに女性Onlyになるとそういう嫌がらせみたいなことはほとんど起こらないんですよ。相手の苦しみに対する共感性が高く、互いに愚痴をこぼしあいつつも和気あいあいと暮らしています。

 

ところがその間に男性が絡むと決まって足の引っ張り合いが起こるんです。

 

恋愛感情が全くない仕事の場において嫉妬なんて発動しないと思ったら大間違い。男性は本能的にメスを争うライバル心があるんでしょうけど、女性同士ももっと奥深く、表面化しないところで妙な競争意識があるんでしょうね。そしてその心理を利用して、言葉巧みにほんのわずかな報酬をちらつかせて競い合わせようとしてきます。

 

本能的に闘争心が薄い女性の

 

より多く奪う

 

のではなく

 

より多く捧げたほうが勝ち!

 

という自己犠牲に基づいた心理を操ってくるんです。

 

 

だから「よい奥さん」という言葉はなんとなくいやらしいと感じます。なんだか「よい社畜」と言われているような・・・

 

 

誰かにとって良い奥さんであることが果たして幸せか?そこに何の意味があるのか?

 

世間から見て良い奥さんであるという称号を得たら満足感が生まれるのかなとか。

 

 

いやあ、実はいままで全然考えてみたことも無かったんですよ。他人から見た私の姿なんてどうでも良かったし、家族から見て私がいい母親だったりいい奥さんかも本当にどうでも良かったんでね。

 

そもそも誰かを支えるという視点が圧倒的に足りてない私ですが、でも客観的に見ればそれなりにやってることはあるはずで、誰かのために耐え忍んだり、我慢したという自覚がないだけで相当献身してはいるはずなんです。

 

でもその見返りはちゃんと受けているとも思ってます。確かに身を捧げたけれどそれは楽しいからやってきたことで、だからこそ愛と呼べるんじゃないかと。

 

決して犠牲は払っていない。と思い込んでいます。あくまでも尊厳を保つための強がりかもしれないけどね。

 

しかし、世の中献身以上の自己犠牲を求めるようになっているのは確か。

 

格差社会というのは必ずしも男性が上じゃなくても、「より多く捧げた方が勝ち」という心理を利用して強いものがより多くを奪い取り、弱者から搾取しようとする社会構造を意味してると思うのです。

 

自覚無くとも無意識にできるのならそれはそれでバランスが取れてるわけで、別に問題は起こりません。しかし実際は多く捧げすぎ、多くを奪いすぎる不均衡が生じます。そこに競争心理が働くからです。

 

 

パパダキスの衝撃的な告白。

 

私はフランス語は分かりませんし、一体彼女がどういうニュアンスで語ったかは翻訳を読んだだけではわからないので、深く掘り下げることはできません。

が、彼女は自分自身の欲求に向き合うことないまま、「大切なものを捧げてしまった」後悔があるんだろうなと感じました。

当時はその決断が彼女の当たり前だったし、たぶん最善だと思ったのかもしれないけれど、

 

 

でも本当はそんなことはない!自分は間違っていた

 

自覚すらできないまま、そうするように追い込まれていた

 

と、今だからこそ語れるようになったのは金メダリストになって弱者の立場から脱することが出来たからかもしれません。

 

 

今さらと多分多くの批難を浴びるのは覚悟の上で、いまだからこそ対等な人間として「犠牲」を明らかにできたのかも。

第二第三のガブリエラが生まれる事の無いように。

 

 

ですがそれは同時に、パパシゼを愛する世界中のファンにとっては大いなる裏切り行為であり、もう二度と彼らに「愛の夢」を見ることが出来なくなった悲しみまでは想像つかなかったのかもしれませんね。

素晴らしい芸術は演者を離れて、唯一の世界感を見る者に与えると言うのに、彼女は自らその作品を打ち壊してしまった。

 

少なくとも私はそう感じました。だからショックだった。でもそれ以上にメダルと引き換えにされた小さな命の重みを彼女が一生引きずって生きていくことの残酷さに息も止まる想いだったのです。

 

そこまで追い込んだのは誰だろうか?

 

 

アメーバのお勧めに表示されるブログをうっかり見てしまい後悔することは結構あります。はっきり言ってスケートに関してはロクなものじゃないことが多いです。

別に自分の推しの男性よりも周囲の女性をバッシングする記事は別にスケーターファンに限ったことじゃありません。

 

 

「推しを差し置いてしゃしゃり出る」

「厚かましい」

「推しを利用して目立とうとする売名行為」

「お金目当て」

 

だからあいつが嫌いなの。そしてそんな私の心理を理解してほしい。

 

でも評価してる人たちの心理もやっぱりその逆を評価してるに過ぎないのでは?と思うことがしばしば

 

「何事も相手を立て自分では決めない」

「並ぶときは一歩下がって前に出ない」

「○○ちゃんに比べたら私なんかとひたすらへりくだる」

「金銭を貢ぐ」

 

だからあの子なら許す。でも意に沿わなければ叩く準備は出来てるからね!

 

 

 

私は別にフェミニストではなく、男女平等を声高に語るつもりはないけれど、それが男女だろうと男男だろうと女女だろうと一緒にいられてハッピーならそれでいいと思ってます。でも本当の幸せは互いの献身がもたらすものであって、一方の犠牲の上には成り立たない。

 

恋愛感情抜きの、仕事の関係だって同じです。自分が前に出るべき時と後方から援護射撃する時、どっちも名手になるよう努力しています。

でも恐ろしく不均衡な上下関係がしばしば物事を大きく動かし社会評価を受けてきたには違いなく、数字の結果を見せつけられたらぐうの音もでないんですけどね。

 

だけどそれが真の幸福からは程遠いということだけは、いくら時代が変わっても昔から全然変わらないって知ってるつもり。

差し出せばやっぱり減りますよ、何かがね。

 

 

だからいい加減、私たち女性の立場から発信したっていいんですよね。

 

女性こそ!女性は女性の犠牲を求めるな!と

 

言いたいことを言い、やりたいことを実現した女性をバッシングせず、それこそ献身的に柔らかく受け止めてもっと高く高く飛ばしてやりましょうよ。

 

それが困難を克服し、新しい時代を切り開くひとつのカギになる気がしています。