高度経済成長を乗り越え、貧しさがなくなった現代では、正直あまり考えずとも死の危険もなく生きて行けてしまう。
その代償として、笑顔・活力のないゾンビのような日本人になってしまった。活力なく自殺が増えている実情もある。

この近年で活力衰弱したのはなぜ?を考えなければならない時代になってきた。
当たり前だと思っている全てに“本当に?なぜ?”と「自考」することで突破できるのではないか?と筆者が提案する記事を紹介する。

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◆息苦しさが日本を縮めた

海外ニュースの担当になって8年。私は世界を見ながら、日本を見つめてきた。日本社会は、個人の個性や自由よりも組織や集団の論理を優先してきた。多様性は浸透せず、息苦しい。個性を押さえつける社会は、人々から笑顔と活力を奪う。経済や社会が閉塞している原因がここにある。東京オリンピック・パラリンピックの取材態勢は別として、日本に駐在する外国メディアのスタッフは減る傾向にある。「日本の魅力が落ちているからだ」(アメリカ系メディア)。日本がこのまま世界の中で縮んでいくのは、やるせない。

少子高齢化で国内市場が小さくなり、資源が限られた日本は、世界とうまく向き合わないと、今の生活水準を維持できなくなる。敗戦後、日本はアメリカの政治と経済に“支配”されてきた側面がある。中国は経済の勢いを増し、覇権を強めている。人口の多い中国やアメリカと「量」で競っても勝てない。アメリカや中国に都合よく呑み込まれないために、日本は世界にとってかけがえのない国になる必要がある。各国から信頼される自立した「質」の高い国だ。


◆日本人の切り札は「自考(じこう)」

日本の活路を見い出し、未来を切り拓くには、どうしたらいいのか。手立てはまだ残されている。実は単純だ。私たちそれぞれが、これまでにない、新しい生き方、やり方を自分の頭で考え、創り出すことだ。過去や歴史やこれまでの価値観に縛られず、権威に忖度せず、依存せず、自分の頭で自分が良いと信じるやり方を考え、創り、行動する。この行為を私は「自考(じこう)」と呼んでいる。「自考」で、人々は自分の個性と自由と居場所を取り戻し、楽しく生きる。他人の「自考」も受け入れる。その自由で楽しいパワーは、社会のあらゆる分野でイノベーションを起こすはずだ。停滞した経済が息を吹き返す契機にもなる。

2018年10月、ノーベル生理学・医学賞に選ばれた本庶佑・京都大学特別教授の言葉は強烈だ。「教科書に書いてあることを信じない。常に疑いを持って、本当はどうなってるんだ、という心を大切にする。つまり、自分の目でものを見る。そして納得する。そこまで諦めない」。過去に誰かがつくった教科書を信じず、自分が納得するまで諦めないでというメッセージ。自ら実践してきた「自考」を、研究者を目指す子どもたちに呼びかけた。


◆「自考」を育み、実践する人たち

(中略)
「大事なのは解けることではないし、説明が分かることでもない。頭を使うことです」と宮本さん。なぜ頭を使うことが大事なのか。「それはもう、自分の人生を自分らしく生きるためには必要じゃないですか。それ以外に自分らしく生きる方法はありません」。宮本さんは高校を中退。「自考」しながら自分の生き方を見い出してきた。「成功よりも、成長し続けたい」と今も言う。

(中略)


◆全員が「出る杭」になる日本に

もし、日本に「自考」が広がっていたら、新型コロナの国産ワクチンはもっと早くできたかもしれない。アップルやグーグルに匹敵する企業が日本に生まれていたかもしれない。原発事故は防げたかもしれない。日本は過去の成功体験から抜け出せずにきた。古びた過去と決別し、ゼロから自分で創る。私たちの考える力で、これまでの私たち自身と社会のありようを変えてみる。「自考」は日本人と日本にとって最強の“切り札”になると確信している。

大学や学校に行かず、迷い、立ち止まる若者と話す機会が最近、増えた。そこで「自考」を勧める。コロナ禍で当たり前の日常や信じていたものが崩れた今は「自考」の絶好の機会だ。本当は何がしたいのか。どう生きたいのか。ゼロから考える。あなたを苦しめていた過去、モノサシ、慣習と決別する。他人と比べるのはナンセンス。やりたいことを自由に見つければいい。自分を守り、自分のやり方と自分の居場所を創っていい。エゴとは違う。自分を守ることができれば、他の人も守れるからだ。そうした人が増えれば、日本は、笑顔と活力と知恵があふれる社会に生まれ変わる。そんな話をすると、若者の表情は崩れ、少し笑ってくれる。

その学校が合わないなら、別の居場所で待ってくれている人たちがいる。新しい道はいつでも見つけられる。会社の評価に一喜一憂し、生き様を変える必要はない。職場が苦しく、やりたいことができないなら、職場を変革するか、自分で起業すればいい。歳を重ね、夢がかなわなかったと諦めるのは寂しい。第二の人生こそ、これまでより輝きたい。政府のコロナ対応が不十分で住民を守れないなら、自治体は独自の知恵で行動すればいい。「自考」の時だ。

「自考」してみると、例えば、アベノミクスが推進した多額の財政出動や異次元の金融緩和が、考える力を奪う対症療法にすぎなかったと気付く。出る杭を叩いて可能性をつぶすより、全員が出る杭になるように育てる方が良いと思い付く。100人の生き方をたった3本のモノサシで測るのはやっぱり息苦しい。100人全員の100本のモノサシを創りたい。私たち全員が自分のやり方と居場所を見い出し、それぞれの持ち場で、自分と日本の未来を切り拓く源泉になる。自分のやり方を創っていいのだから、きっと楽しい挑戦になる。