♪ILL be right here♪~♡あなたに言の葉の処方箋♡ -2ページ目

♪ILL be right here♪~♡あなたに言の葉の処方箋♡

~何気ない言葉の中には貴女に知ってもらいたいメッセージが沢山込められています。学校では教えられない和の伝言をここに綴ります♪~

進学・・就職・・転勤・・それぞれが新生活にむけて慌ただしい日々を送っていることでしょう!

 

先日、大学進学が決まり、新天地での健康を祈ろうと、ご祈願に訪れた女子数名飛び出すハート

 

ところがお一人だけあまり元気がない・・・。

 

ひょっとしたら思ったような進学先ではなかったのかな?・・っと、励ますようなお話をしました。

 

ところで貴女たちの進学先はどこなの?・っと質問したら・・・「はい・・東大です」だってびっくりマークびっくりマーク

 

元気がないのは単にお腹がすいたから・・・という始末・・・。

 

アホなおじさんが新東大生に説教をしたのか~~っと言ったら、皆一様に笑っていましたが、彼女たちは「いや!とても勉強になりました!またお話聴きにきたいです気づき」と仲良く帰っていきましたウインク

 

最近のお若い世代って、本当にしっかりとした方が多く、ちゃんと神社にお参りし、祈りと感謝を捧げる光景を多く見かけますルンルン

 

・・・反対にある一定の世代はといいますと・・・←こらこらダメよダメダメ←相変わらずギャグもアンティークガーンガーン

 

さて、中には「はあ~~僕はこれからどうした良いのでしょうか~~。特に何をしたいわけでもなく・・・刺激ない毎日でなんか鬱~~」と愚痴を言いに来る方も多い・・。

 

本ブログでも綴ったことがありますが、我が国には昔から「棚からぼた餅」という言葉があります。

 

これは読んで字のごとく「普段からちゃんと働いてお米をつくり、神棚(かみだな)にお供えをして感謝をしていれば、いざという時は、そのお供えを下ろして食べたら難を逃れる」という意味です。

 

皆様が「食べ物」と何気なく口にしている名詞も、元々「神様からの賜(たまわり)もの」で、「賜りもの」が「たべもの」へと音が変容した語なのですラブラブ

 

「何をしたら良いのかわかりません・・」と悩む方々に共通する点は「働く=傍(はた=自分の周りの人々)を、自身が学び手に職をつけることによって生活を楽にし合うライフスタイル」・・したがって「傍楽=働く」という日本独特の感性を学ばないまま成長しちゃった子がとても多い・・・。

 

田舎は嫌い!都会が一番!と漠然と考えているだけで、自分が存在に値する生活空間がどこにあり、それが地域や国家を形成する一つの尊いピースという存在意義は理解出来ていないのですから、もう1度原点に帰って教えてあげることは大人の努め!

 

一人一人がピースとなって国というパズルが完成し、それも皆が横の繋がりをもつ大きな「家族」であることから先人はこれを「国家」と呼称したのです気づき

 

では、それを証明する文化伝承ってどこにあるの?となるわけですが、それは皆様が地図やナビを使用する際に「方角」を口にしていることに答えがあります!

 

先人は、魂のことを霊(ひ)とも発音し、神様になられたご先祖の霊(ひ)は煙とともに空高い世界に舞昇っていくと考えました。

 

そこには生命の根源である「日」・・つまりお日さまがあまねく世界を平等に照らしております飛び出すハート飛び出すハート

 

この「平等に照らす」という自然現象に、先人は人の生き様もこうであるべきと、「日(霊)の本(もと)に暮らし、日(霊)のように平等に仲良く」という思いをこめて「日本」という国名にしました気づき気づき

 

したがってお日さまは国民すべてのライフスタイルの「ベース」となるわけですので、朝になればその象徴が昇ってくる方向を「日が差す」の意から「日が差=ひんがし」と発音し、これが現在の「東」となったのです。

 

次に傍楽(はたらく)時間も、常にその心を忘れなうようにとお日さまが照っている方向を皆で見ましょう!と、これを「皆見(みなみ)」と云い、これが「南」へと漢標記されるようになったのです(ただし!この学説は有力ながら諸説ございます)

 

如何でしょうか?幼少時から単に覚えるのではなく、その心をちゃんと教えてあげることの重要性が少しばかりでもご理解いただけたでしょうか?

 

どこに暮らして、どうしたいという生き方を否定はしません・・・。

 

しかし、そこには必ず故郷のために、家族のために、国内すべてに恩送りが出来るように頑張る!!という思いがなければ、国家というパズルはバラバラになってしまいますよね音符

 

出会いと別れの季節・・・そんな誓いをもって新年度も頑張って欲しいと思いますOK

 

dokoni

先日、居酒屋さんでお食事をしていた時のこと。

 

当社の若手君が注文用のタッチパネルをつつきながら「酒のさかな~~って言っても、刺身くらいなのかな~~?」っと独り言。

 

わたしは「うん?あなた・・酒のさかなって魚うお座うお座だと思っていたの?」と聞くと「はい!そうです!」と答えました。

 

酒のさかなが魚のことを意味するのは間違いではないのですが、もともと日本人は魚は「うお」と発音していましたニコニコ

 

では酒のさかなの「さかな」って何なのかといいますと、本来は「酒菜(さかな)」で、お魚はむろん、漬物や他の野菜全般をおつまみとしていたので、酒菜と言ったのですウインク

 

では「酒(さけ)」とはどんな意味をもって名付けられたのかということも季節柄お話してみますね!

 

「酒」とは「咲く」を語源としており、咲くとは「裂く」の意ですから、暖かい季節の到来とともにつぼみが「裂く」つまり開花するという意味へと繋がっていきました!

 

 

春といえば「桜ガーベラ」ですよね!

 

桜は奈良時代までは「さの神(山々から里人を見守るご先祖神)が宿る御神木」として、さの神さまが山から下りてきてそこに暮らす木なので「さ暮ら」と呼ばれましたガーベラガーベラ

 

さの神様が「よ~~~し!皆々様!そろそろ今年の農作業開始ですぞ!」というサインが「咲く」という現象として捉えられていたのですウインクウインク

 

先人は、皆でお酒を振る舞いながら、酒菜とともに先祖神が宿る木のふもとで「今年もご近所みんなで頑張りましょう!」という団結会を催します飛び出すハート

これがお花見本来の意(こころ)ですウインクウインク

 

寒い冬・・・家に閉じこもりがちな時間が多かった先人にとって、春の到来を告げるさの神さまの開花は、まさに心張り裂ける心境だったことから「咲く」と言ったのでしょうガーベラガーベラ

 

酒宴の終わりは、仕事始めの合図であり、また桜が散りゆく様は、さの神さまが山へと戻っていく光景とも重なりました・・。

 

これが「去る」という言葉を生み出しました・・・。

 

現在でも古来の葬祭式を司る私たちは「亡くなる」とは言いません。

 

必ず「隠れた身・・・つまり隠身(=神)去り給う」と奏上するのも、ちゃんと遠い昔のじじばばから声なき声として繋がっている由縁なのですネ照れ照れ

我が子といっても過言ではない・・泣泣当社の女性諸君のお誘いでお肉料理をいただきました~~飛び出すハート飛び出すハート

 

 

運ばれてくるお肉がなぜかパフェの容器に入っており、さらにジジイには意味不明な花火が立てられている・・・。

 

女子たちはこれに大興奮して、またまた意味不明な歌を歌いながら楽しそうに笑っていました。

 

まぁー口に運ぶ際には、ちゃんと感謝しておりましたので、とても良い子たちだな~~っと、ついつい甘やかして、ご馳走しちゃいました。

 

さてこのお食事・・・なんと2時間・・・よくしゃべるわ・・・食べるわ・・・元気いっぱい!!

 

次はカラオケに行く~~~っと、招き猫だってかな?一目散に消えていきました。

 

いやはや・・・やっと開放されたのですが、ここでふと思いついた!!

 

「そういえば日本人ってカラオケ好きだが、そもそも「歌」の意(こころ)って知っているのだろうか?」

 

横浜に暮らす○希ちゃんへ 私の大好物!ねんりん亭のお菓子わざわざ送ってくださいましてありがとうございました。

この場を借りてお礼申し上げます気づき気づき横浜にて開催されます新薬研究論文発表にて素晴らしい成果が出ますよう

遠い山中からお祈り申し上げておりますびっくりマーク

 

実は、みなさんが癒しを感じております数多くの「歌」って、元々は神職さんが神様に奏上する「祝詞(のりと)」なのです飛び出すハート

 

本ブログでは常よりお話しておりますが、日本人が日本の国柄を知るためには、どうしても神社の存在なしでは不可能だと思うのですが、戦後、とにかくなんでもかんでもそれまでの伝統に変なレッテル貼りがなされて、へんてこりんな宗教なんかと(法律上)横並びにされてしまった(誰に、なんのためにそうされちゃったのかの真相は分かりませんが・・)ことにより、本来の「言の葉」は教育されておりません、しかしながら、骨抜きのそれを「国語」として教えているのが現況なのです泣泣

 

ついつい愚痴言っちゃった~~ごめんなさいね。

 

さて、歌の語源とは、本来「訴(うた)」!

 

大自然が織り成す四季それぞれの気象現象を神さまのお陰(目には見えないからお陰と言うのですね!)と、感謝と畏怖を感じた皆さんの遠いご先祖さま方は、お祭りという行事において大自然に語りかけて、素直な感情を伝えたのです飛び出すハート

 

「大自然の大いなる恵みよって生かされているわたしたち!お陰様でお互い力を併せてその恵みを上手に利用しながら、生産品を加工し、生活を営んでおりますハートしかし、大自然は時として恐ろしい災害をもたらします。逆らうことも太刀打ちすることも出来ません・・・。だからせめてものお願いとして、災いは少しでも減少するよう恐れ多いことですが、ここに謹んでお願いもうしあげます」・・・・って感じハート

 

所謂「祝詞」と言われるこの言の葉は、「神様に心から訴える言葉」であり、それを下の立場から上の存在に奏上することから、「(神様に)訴え(申し)上げる」と言い、これが「訴え上げる」・・・そして「歌い上げる」という言葉へと変容したのですハート

 

カラオケ文化がなぜ日本で誕生したのかと考察した場合、そこには先人の切実な想いから始まったということを少しばかりでも覚えていただき、ストレス発散はもちろん良いのですが、そんな日常が今のままで本当に当たり前のように続いていくのかな?っと自然の災いのみならず、わたしたち自身が将来への不安を作り出してしまっていることもひょっとしたらあるのかもしれないなっと考えていただくきっかけになれば幸いに存じます!

 

 

 

 

特に意識的に観ている訳ではございませんが、時代劇などがテレビで流れていると、「名を何と申す?」という台詞を耳にすることがあります。

 

江戸時代、ホントにそんな言い方したかな~~って思うことがしばしば・・・。

 

実は、現在私たちが何気なく見聞きしている「名前」なる語・・・元来は「何前(なまえ)」と表記するのが正しい意味だったのですウインク

 

我が国では古来より名前を平気で他者に言ってはならないという習俗がありました。

 

これは、名前というものは大変尊く、両親が「こう成長して欲しい!健やかに育ってほしい!」という目に見えぬ想いが込められた、所謂「言霊(ことだま)=神社の祭りにて神々に申し上げる祈りの言葉」と同義であったためであります飛び出すハート

 

無論、初対面の相手に「あなた、何と申す?」と訊ねたことが「何=名」に変わったのでありますが、江戸時代に入れば、もっと簡単に接頭に「御」をつけて「御(名)前(おまえ)様は?」と聞くようになりました・・・故に「名を何と申す」という言い回しは重複しいていることが理解できます気づき気づき

これが現在の「名前」という語が誕生した経緯なのですネびっくりマーク

 

平安時代では、特に女子は男子に本名を告げることはほとんどなかったといいます。

 

これは先ほど述べた「言霊信仰」に由縁し、本名を告げる相手は自身がこの人と一生を添い遂げるお方・・・つまり結婚相手という風習からでしたラブラブラブラブ

 

では「何前?」と聞かれたらどう答えていたのかといいますと、言霊(本名)よりも浅~~く愛嬌のある・・今で言うペンネームみたいなもんかな?・・「浅名(あさな)」という通常に名乗る呼び名をそれぞれがもっていたのです飛び出すハート

 

この「浅名=愛嬌のある呼び名」の発音が変容したのが、現在の「あだ名」なのです飛び出すハート

 

それが今ではどうでしょう?曲解につぐ曲解で、あだ名=いじめとか、モラハラとか・・・あだ名で呼んではいけません!という風潮になってしまいました泣泣

 

「国語」という義務教育科目があって、なぜこうした「事実」を教えないのかな・・・・。教えたら何か不都合なことがあるのでしょうか?

 

我が子の名前に込めた親の思いは今も昔も変わりません・・・・がっ!今述べたように「自身の母国の語」したがって「国語」を無責任な教え方をして、それを教育と呼び、そこで成長した民を「国民」と言うのは、かなり無責任だと思いますし、ゆえにおかしな議論や論調が流布される温床となっているのではないのでしょうか?

 

でもね!おおくのお若い方々をみておりますと、浅名の文化はちゃんと遺伝しておりまして、アイドルさんも「○○って呼んでね!」っと、あだ名をちゃんと自己紹介できております飛び出すハート

教えなければわからないだろう・・・・なんて思っても文化の遺伝ってそんな軽いもんじゃぁない!望みをもって応援したいと思います←いやいやジジイの応援はいらんだろ!泣くうさぎ泣くうさぎ

 

 

ジジイになったからだろうか・・・。疲れ果てて就寝しても早朝にはしっかりと目が覚める・・・。容姿はどうでも良いのですが、脳の整形は出来ないかな~~なんて子供もみたいな妄想に浸りながらも、そんなわたしの歩行を支えてくれる自らの足の裏に感謝をし、毎日を過ごしております飛び出すハート

 

さて、過日、ある大学で英文学を専門とする女性教授とセッションを行いました!

 

英文学の味わい方を教授からご説明いただいた後、ではそれを日本人は如何に読み取って人生に活かすのかといった内容ですびっくりマーク

 

題材になったテキストは「ガーデンパーティー」という短編文学です飛び出すハート

 

 

作者はキャサリン・マンスフィールド。

 

あらすじはローラという少女が虚栄心の高い母親によって自宅で開催されたガーデンパーティーに最初はなんの疑問も感じていなかったシーンから始まります。

パーティーで騒いでいる裏路地の家では、男性が死んだという知らせが入ったり、貧しい人たちが苦しむ光景などが展開される中、それも富裕層の私たちには関係ないと平然とパーティーを楽しむ母親に、ローラの心理状態が徐々に変化していくという物語ですウインク

 

この短編文学は、多くの高校や大学で教材として取り扱われておりますので、読んだ方もいらっしゃるでしょう!”

 

・・・・しかしですな・・・・流石に英文学の先生・・ネイティブの発音ですので、聞き惚れてしまいましたネ~~・・・わたしが読んだら、荒井注の「THIS IS A PEN」レベルだもんえーん←もう荒井注を知っている世代が希少種だわ!

 

でね!この物語の味わい方は人それぞれだとは思うのです・・・。

 

富裕層と貧困層の差が、平等である命すら凌駕してしまっていいのか!・・なんて感じの感想が多かったですね~。

 

でもね!わたしの捉え方はもう少し踏み込んで、現代社会を取り巻くある種の「勘違いの正義」を比喩した物語ではないのかなと参加者にはお話しました。

 

先人はどんな聖人であっても、利己主義な心、欲望に走ってしまう愚かな心などは人である以上、ぬぐいさることは出来ないと考え、ならばそれを「祓う=追い払う」という神事で具現化し、日常生活にて実践しましょう!と考えました。

 

つまり、ローラのお母さんは「自己中心的な大人の象徴」であり、ローラは「虚栄心を自ら祓い退けようとする純真な子供の象徴」として描かれているのです。

 

お祓いという神事には「正義とは自身で悟り、自身に向け、自身で実行する」という意(こころ)が内在されております。

 

では、(最近は特にひどくなった気がする)我が国の「言論機関の正義」とは、果たして先人が残した神事の心が具現化されていると思われますでしょうか?

 

おそらく会場にいらっしゃる多くの方々は「これはちょっとやりすぎではないのかな?」「ここまで追い詰める必要性があるのかな?」「ここまで過去の出来事まで根掘り葉掘りしてこの方の将来を奪ってしまう必要があるのかな?」「そもそもそれは裁判所が決めることではないのかな?」と感じているのではなのかと思うのですが如何でしょうか?

 

なんでそんな疑問が沸くのかと言えば、答えは明瞭で、「彼らが自身に正義を向けなくなったこと。次にスキャンダルの判断を市民を扇動することで判断させ、実態はそれをもって莫大な広告収入を得るという本末転倒な性質に気づいていないこと」の2点だと考えております。

 

つまり、読み手のわたしたちは「情報」の裏にある「広告収入」という実態に気づかず、例えばテレビのコメンテーターが語るコメントも「何言ってんのこの人!内容が薄いーー!」などと本気で受け止めてしまっている「カラクリ」に気づいていないのです。

 

ローラのように正義とは自身に向けるという至極まっとうな判断力を思い出し、目の前に広がる数えきられないほどの「虚栄=情報」を落ち着いて判断した時、行き過ぎた正義・・・ではなく、間違った正義という病巣を治療することが可能となるのではないのでしょうか?

 

・・・・って感じのお話をしました!

 

大学生の女子が挙手して「確かに!今って政治が悪い!あれが悪い!これが悪い!っていう人ばかりですが、先生(一応わたくしのこと)のお話を拝聴して、先ずは家族や地域、国家を形成する自分自身が動くことが大事だと強く思いました!」と意見してくださいました。

 

私たち世代の感覚からさらに先人に近づいて、共存共栄の心を取り戻してほしい!

 

どこまでお役に立てるかはわかりませんがジジイも精一杯頑張りたいと思います!