平成の 源平ならぬ 父子合戦~第1回神戸マラソン完走記1 | 神社仏閣旅歩き そして時には食べ歩き

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還暦を過ぎて体にトラブルが出始めて、ランニングを楽しめなくなりました。近ごろはウォーキングに軸足を移して道内の神社仏閣を巡り、御朱印を拝受したり霊場巡礼を楽しんでいます。いつかは四国八十八ヶ所巡礼や熊野詣をすることが夢です。by おがまん@小笠原章仁

1.アクシデントを越えて


 大阪、神戸、京都。今年の10月から来年の3月にかけて次々と第1回大会が開催される、いわゆる三都マラソン。次々と大会の詳細が明らかになるにつれ、神戸マラソンに出たいと強く思うようになり、三都マラソンの中では神戸一本に的を絞ってエントリーすることにしました。


 結果は、3倍を超える抽選を突破しての当選です。抽選大会はこれまで、第1回東京マラソンは追加当選したものの、第2回から第5回までは4連敗中でした。けっして抽選運が良い方ではありませんが、大事なところでついに幸運を手にしました。Ogakunとの団体エントリーなので、昨年の北海道マラソン以来、2度目のフルマラソン父子対決の実現です。


 おりしも来年2月は銀婚式。マラソン遠征にはめったに同行しない奥さんも、神戸ならば行ってみたいといいます。そこで11月18日から22日まで、4泊5日という旅行計画を立て、大会エントリー前から早々とホテルも予約しました。航空券も奥さんの分はJALのマイル特典、私の方は同じ便のスーパー先得で片道9,800円という超特価航空券を押さえることができました。さらには船上カーボローディングパーティーも当選と、着々と準備が進んでいきました。


 練習の方も順調でした。腰痛のため出遅れてしまい、サロマは娘の入院のためDNSとなり、北海道マラソンも終盤に大失速をして完走した北海道マラソンの中ではワーストタイムを記録するなど、前半は結果が出ませんでした。でも6月から月間走行距離200km超えを5カ月連続し(これは自己最高記録です)、大会2週間前の6日には、終盤大きな失速もないまま30km走をできました。このレースに向けてどんどん調子が上がってきました。


 40代最後のレースとなった一昨年のしまだ大井川マラソン。そこでサブフォー(フルマラソンを4時間以内で走ること)を達成したのを最後に、2年間、4レース続けてサブフォーでは走れていません。2年ぶりの、そして50代最初のサブフォー、しかも3時間45分くらい狙えるんじゃないか、なんてことも考えていました。


 しかし好事魔多しとはよく言ったもの。30km走をした2、3日前から、奥さんの体調が悪くなり始めます。状態は日増しに悪くなり、とても旅行などできる状態ではなくなっていきます。


 こうなると、走る気にもなりません。それどころか、自分の神戸行きも微妙になってきました。1週前になっても症状の改善が見られないようならば、前夜祭の参加票をOgakunに速達で送り、ホテルなどもキャンセルしようと心に決めました。


 その後も症状は悪化し、11月11日、ついにかかりつけの病院に連れていきました。そこではすぐに日常生活を送るのは難しいと診断され、入院することが決まりました。


 こうなると、奥さんの神戸行きは不可能となりましたが、私1人で行くことは可能となりました。奥さん用に予約していたマイルの特典航空券をキャンセルし、ホテルの部屋はOgakunが予約した部屋をキャンセルさせて私が予約したツインの部屋を利用することとし、Ogakunが広島に戻ったあとはシングルユースに変更するなど、手配をすべて済ませました。留萌から新千歳空港までは自家用車で移動するつもりでしたが、ガソリン代と4泊の駐車料金を考えると、1人ならばバスと電車を利用するのと経費的にも時間的にも違いがあまりありません。特に帰りは冬の夜道となりますから、ハンドルを握りたくありません。こちらも予定を変更しました。


 大会2週前までの順調なトレーニングに反して、直前2週間はほとんど走れず、大会に向けた最終調整としては完全に失敗でした。奥さんが入院してからも、雪が降ったり気分が乗らなかったりでなかなか走れませんでした。サブフォーの自信もすっかり失ってしまいます。


 そんな時に思い出したのが、第1回東京マラソンの時にも登場した、「黄色い彼」


Road to SAROMAN BLUE


 そんな彼にLRS北海道のランシャツを着させて走らせようかと思い、ブログやフェイスブック、ツイッター、ジョグノートなどに書き込みました。するとその反響が思った以上に多く、「都市型マラソンこそは仮装の舞台!」と、仮装ランを宣言しました。


Road to SAROMAN BLUE-彼


 出発前日の11月17日。荷物を準備する私は、「黄色い彼」をスーツケースにしまいこみました。でも、気象条件などで「黄色い彼」を登場させられないことも考えられます。そんなことを考えて、いつもの勝負服もスーツケースに入れました。


 そして出発当日の朝を迎えたのです。


 バスの出発時刻は8時30分。でもその前に、この日は楽しみがひとつありました。


 ノーザンホースパークマラソンのゴールのときに取材を受け、そのコメントやLRS北海道のチーム紹介が、スポーツ報知(東日本版)で毎週金曜日に掲載されている「週刊ランナーズ」コーナーに載せていただいたことがあります。その時の縁で、記者の方との連絡は続いていたのですが、神戸マラソンで息子と父子対決をするという話をしたら興味を持っていただき、神戸マラソン直前の11月18日に取り上げると言ってくれました。私は北海道ロードレース終了後に直接取材を受け、Ogakunはその数日後に電話で取材を受け、この日を待っていました。


 朝、6時過ぎに目を覚まし、急いでコンビニに行き、朝食とスポーツ報知を2部買いました。帰宅して朝食を食べるよりも先に新聞を開きます。そんな私の目に飛び込んできたのは・・・。(つづく)