私は、一歳になる前に、父を事故でなくしています。


ですので、父親がいないのが、当たり前のように生きてきました。


写真では見たことがあるけれど、声や動きは全く知りません。



けれど、1つだけ私の心の中に、ずっとずっと消えないことがあります。



それは、母の泣く姿。



私の子供の頃の記憶は、ほぼ、それです。



父のお骨をひろう場面も、なぜか鮮明に覚えています。




母の泣く姿を何度か見て、私は、母を悲しませてはいけない。


母を、困らせてはいけない。


母に、甘えてはいけない。


私は、1人で力強く。そして、母をしあわせにするために生きるんだ。


と、今思えば決めてたように思います。




それが、今となっては、自分で自分を苦しめる原因の1つになってたのかな。
と、思うこともあります。



それでも、あの時は、子供なりの一生懸命な愛だったんです。




当時は、団地に住んでいて、従姉妹と向かい同士の住まいでした。

従姉妹は、同い年の女の子と、2つ上の女の子の姉妹でした。


母は、仕事をしていたので、帰ると、おばさんが、

「一緒におやつ食べよう!」

と、誘ってくれました。



みんなが優しくしてくれて、従姉妹とも仲良しでしたが、子供ながらに、何だか言いきれない寂しさが襲ってくることも多々ありました。



従姉妹のお家にいることが、苦しくなることもありました。



なんとなく、従姉妹たちは、しあわせなのか家族で、私は、可哀想な子供。


そんなふうに、思っていたんだと思います。





だから、1人でいるほうが楽でした。



1人でいるほうが、辛くない。



でもね、寂しいものは寂しいんです。



それでも、平気な顔でいるのは得意で、あの時のことを思い出すと、ものすごく気を張って頑張っていたんだなぁ、、、


と、感じます。




でもね、友達関係は、ダメでしたね。


いや。
みんなと仲は良かったです。



一見、友達が多い子だったし、人の悪口を言わない子ランキングに、1位に輝いたこともあります。




でもね、、、



当時の私は、嘘つきでした。



お父さんのことで、嘘も方便にもなるような、自分を守る嘘と、


人に一目置かれたいというような、自分で自分を苦しめる、自分をすごくみせたい嘘。




笑っちゃうくらい、なんでそんなことを嘘つくの??

と思うような嘘つきな子供でした。




だから、自分のことは好きではなかったし、子供ながらに、自分のポジションみたいなものを妙に気にしたり、内心、人を見下していたり、、、



ちょっと可哀想に感じてしまうくらい、やな奴でした。




それでも、外面の良さは身につけていたので、あまり人には気づかれませんでしたが、、、




ある時、嘘がバレて友達関係が崩れる出来事がおきました。




それでも、嘘つきをやめることは、なかなかできず、なんか、苦しかったなぁ。。。




今日は、そんなちょっと暗いお話でした。




この、嘘つき癖。

なかなかやめるの、大変でした。


いいことなんて、1つもないのにね。




では、また^_^