2019年が始まりました。

この拙いブログをご覧になってくださっている方、本年もよろしくお願い致します。

 

 

新しい年になると思うのは、2009年、1999年、1989年の自分はどんなことを考えて生きていたのかということ。

過去の事実は変わらない。良くも悪くもそれらは自分に蓄積されている。

私のように人並みに生きてこなかった人間でも、10年前、20年前、30年前とは考え方や人としての知識量が多少なりとも変化している。

充実した人生を送ってきた人の比ではないだろうが、私でさえそうなっている。

 

月日は百代の過客にして、行かふ年もまた旅人なり」と中学時代に習ったが、人は日々変化している。

(『奥の細道』 http://www.bashouan.com/Database/Kikou/Okunohosomichi_01.htm

1週間、1か月単位でみて、自分の中身は何一つ変わっていないと思っても、10年、20年単位になると、明らかに変化している。

その変化は進化か後退か分からないが、進化していると考えるようにしている。

 

もちろん変わらない点も色々ある。

そのひとつに、その時々によって意識の程度に差はあるが、物心ついた頃から希死念慮があるということ。

初めて自覚したのは小学3年の時。その時の自分の様子は今でも覚えている。部屋の壁に体を押し付けるように硬直して寝たふりをしていた。

その意識が強くなったのは20歳になる直前からで、その頃と今とでそういう部分は変わっていない。

自分は異常なのかと何千回と考えたが、いまだに答えは出ていない。

 

 

2年程前にあるところで見つけた言葉を紹介します。

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今日という一日が終わり、明日という一日が始まる。
あなた方と私たちの流れは違うものである。
あなた方は一日を通し、生まれ変わる。
そして、日々進化していく。
生と死の過程は日々おこなわれるものである。
今日という一日が始まり、あなた方はその先へ進んで行く。
その先に、あなたの魂が、そしてあなたとともにあなたの魂から生まれた多くのものが存在し、同じものを見つめていくのだと理解しなさい。
それらのものの、協力を求めるのだ。
友愛、それは自身の魂によるものこそ、真の友愛である。
あなた方は、自らの魂の側面であるものたちと友情を築くのだ。
その先にあるものを、曇りなき眼で見定めなさい。

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『グッドバイからはじめよう』 佐野元春(1983年)

 

ちょうど波のようにさよならが来ました
言葉は もう何もいらない ただ見送るだけ
遠く離れる者 ここに残る者
僕が決めても かまわないなら 何も言わないけれど


どうして あなたは そんなに 手を振るのだろう
僕の手は ポケットの中なのに

ちょうど波のように さよならが来ました
言葉は もう何もいらない ただ見送るだけ


どうして あなたは 遠くに 去って行くのだろう
僕の手は ポケットの中なのに

ちょうど波のように さよならが来ました
あなたは よくこう言っていた
終わりは はじまり
終わりは はじまり