「救急外来でのあり方」 | 新 poohのじたばた

新 poohのじたばた

一年間家庭の事情でお休みしていましたが、解決致しましたので再開するにあたりタイトルに新 を付け加えました。

無理なく更新致します。
コメントの返信が遅くなったり忘れていたりとするかと思いますが
ご了承下さい。

自己注はそれでもとわずかな望みを胸に続けていた。


少しずつ体調も良くなって一年が過ぎた。


なんだかこのまま治りそうな勢いで気持ちも穏やかになっていた。


順調に二年が過ぎた。


自己注射やっててよかったぁ~


嬉しく思った。



そんな矢先・・そんな期待を打ち消されてしまった。



病気はどこまで私を追い詰めるのであろうか・・・



16年2月19日の夜の出来事であった。


背中が痛い。


徐々にゆっくりではあるが、右下肢のしびれも増してきた。


救急外来に電話。


救急外来には神経内科doctorがいるとは限らず、もちろん当時「多発性硬化症」などと言う病気など


知られてはいなく、このまま放置するとまた動けなる事を理解してくれるまでかなりの時間がかかった。


神経内科にようやくつながり即入院となったときにはもう、自分で歩く事さえかなり困難な状況だった



これがきっかけに、神経内科のDr病院用の携帯電話につながるように番号を教えていただいた。


こういうことは良くある事らしく、現在では改善されオンコールのdoctorが4人いて交代で宿直として


待機してくれているようになった。それでも救急外来からは直ぐにはつなげてくれないのが現状で、


そういうときには直に連絡をするように頼まれていますと救急に伝えるようにと順序が組まれた。


いろんなことを考えさせられる入院となった。


症状はリハビリもかねて入院時のようには改善はℍしなかったが自分で歩けるようになったため


退院となった。


対処が遅かったためにその分入院の期間が長くなってしまったのは言うまでもない。゚・:,。゚・:,。


★゚・:,。゚・:,。☆続く゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆