さー、今回の大目玉。

綴るのがかなりしんどくなりそうな仁アルバム感想第3弾。

Pinocchio。


まずは日本語訳を。


↓ ↓


動きを止めて凝視する君


好き勝手なことを言う君


気にすらしていないんでしょ


俺が操り人形だとでも思ったの だいたい?



走りたくても走れない時どうしろっていうの


全てが嫌になった時どう感じればいいていうの


押し付けられた枠を超えた考えを持ってもいいの?


俺の言うことを聞いてよ


俺は生身の男の子だよ


これはおとぎ話なんかじゃないんだ


魔法みたいな嘘があちこち飛び回っているけど


俺は真実を歌うよ そうすればあいつらも俺を解放してくれるだろう


俺は自分がピノキオのようだとは感じたくないんだ


俺は真実を歌うよ そうすればあいつらも俺を解放してくれるだろう



俺は自分がピノキオのようだとは感じたくないんだ



だから俺は糸を切り


心、身体、全てを解き放ち


俺を嫌っても、愛してくれても、残念に思っても、非難してもどうでもいい


俺は飛び立つんだ



走りたくても走れない時どうしろっていうの


全てが嫌になった時どう感じればいいていうの


押し付けられた枠を超えた考えを持ってもいいの?


俺の言うことを聞いてよ


俺は生身の男の子だよ


これはおとぎ話なんかじゃないんだ


魔法みたいな嘘があちこち飛び回っているけど


俺は真実を歌うよ そうすればあいつらも俺を解放してくれるだろう


俺は自分がピノキオのようだとは感じたくないんだ




俺は生身の男の子だよ


これはおとぎ話なんかじゃないんだ


魔法みたいな嘘があちこち飛び回っているけど


俺は真実を歌うよ そうすればあいつらも俺を解放してくれるだろう


俺は自分がピノキオのようだとは感じたくないんだ


俺は真実を歌うよ そうすればあいつらも俺を解放してくれるだろう


俺は自分がピノキオのようだとは感じたくないんだ


俺は生身の男の子だよ


これはおとぎ話なんかじゃないんだ


魔法みたいな嘘があちこち飛び回っているけど


俺は真実を歌うよ そうすればあいつらも俺を解放してくれるだろう


俺は自分がピノキオのようだとは感じたくないんだ


俺は真実を歌うよ そうすればあいつらも俺を解放してくれるだろう


俺は自分がピノキオのようだとは感じたくないんだ



↑ ↑ ↑


ミディアムテンポで静謐で美しい打ち込みのリズムが流れて、静かに、低い言葉で紡いでいく仁の歌声から始まる。

徐々にその声が切なる願いが高まって、


(俺の言いたいことわかって?)


という心の声が突き刺さるように感じます。



仁の声は、美しい。



その声が美しければ、美しいほど、



仁が伝えたい、届けたい想いが伝わって、痛くなります。



あの巨大な場所(事務所)の様々なことにがんじがらめに囲まれて、追い詰めて、逃れられないように鎖をつけて。

言うことをきかないと、さらに厳しい規制をさせられて。

それが仁にとって、仁の大切なあのコにとって、どれほどのつらい鎖なのか。

そう、まるで操り人形のように。



ピノキオ


ひとつの、


たった、ひとつの、真実を守りたい。



そのために、仁は、大きなウソをつかなければならない。



そして、そのウソはあちこちに一人歩きしてしまって、たくさんちらばっていく。



その度に、ピノキオのようになってしまう・・・。



ピノキオ


本当はウソなんかつきたくないでしょう。


こんな茶番劇、続けたくないでしょう。



だけど、


自分が止めてしまったら。

ウソをつくことを拒んでしまったら。



また、あのときのように、今度はその刃が仁にとって一番大切な相手に向かってしまう。


そして、自分がさらに傷つき、動けなくなってしまう。


そう、10年前のあのときのように。


走りたくても走れない、


何もできない、あのときのように・・・。



それだけは、


それだけは避けたいから。



だから、それ以降、仁はすべてを黙って受けることを受け入れてる。



だけど、受け入れるだけではない。


ただ黙って相手の言いなりになんてならない。


それが赤西仁。



力をつけ、蓄え、磨いて。



仁もあのコも互いにその時が来るまで、今はその準備期間。



まずは、仁はひとつの糸を切り離した。



あの巨大な箱から抜け出て飛び出した。



仁は、言葉ではなく、歌で、真実を伝える。



言葉は、いつもいいように切り取られ、切ったり貼ったり、勝手に繋げられて、世間には伝わらないことを身をもって知ってるから。



仁の座右の銘。


「だめだと思ったら、まだ半分」


2011年のジャニーズネットでのタッキーのサイト、滝チャンネルにてタッキーと対談した仁は、自分の座右の銘をそう答えた。

諦めかけてくじけそうになったら、「だめだと思ったら、まだ半分」だと。まだ半分しかやってない、やりきれ!と自分に叱咤していると。


その仁の発言に涙が出た。


これまでの数々の仁とあのコやメンバーを取り囲む障害が浮かんできて。



きっと、今もそうやって自分を奮い立たせているんだと思う。



「わかってくれる人がいたら、それでいい」


と昔から言ってきた仁。

その発言も、10年前、デビュー直後からしきりに言うようになった。


傲慢に聞こえるようなこの発言は、受け取る人によっては、なんなの!ってたくさんの人に思われてしまった。


だけど、私にはとっても悲しく聞こえてしまった。



それは、わかってくれる人がいたらそれでいい、俺は好きなようにやるからという意味ではないし、理解してくれる人だけついてきたらいいという意味でもない。


伝えたくても伝えてはいけない、

事実はこうじゃないんだよと言いたくても、特殊な仕事、芸能人、ましてやトップアイドルをやってる立場上言えない、

守りたいことがある、守りたい人がいる、貫きたい想いがある、諦めたくないことがある。

それを死守していた仁は、表立っては言えないけれど、それでも伝わってる人はいる。そういう人たちがいるから頑張れると言いたかったんだと。



その真実は決して世間的におおっぴらに認められるものではない。

だけど、自分の中にある、


「幼い二人の愛」



これだけは、どうしても、守りたかった仁。



そして、赤西仁という人間が、少なからずも在籍しているタレントや、芸能界のタレントの中でも、


実力、才能、容貌、認知度、人気の高さがすごいのも災いとなってしまった。



仁はこれからも真実を歌い続けることでしょう。



その歌は、


ときには柔らかい笑みを浮かべて相手を包み込むように、


ときには狂おしいくらいの相手を求めて焦がれるように、


ときには真実を訴えるように、その美しい瞳を伏せて、眉を寄せて、切なさを滲ませるように、



じん



じん



じん



この先、



残りの糸も断ち切って、



身も心もすべてが自由になったそのとき。



ピノキオは、人形から、生身の男の子になる。




ピノキオ


きっと、世間は、たくさんのファンも含め、


仁のことを嫌って、残念に思って、非難するかもしれません。



だけど、「いつかの未来」が叶ったそのときは、



仁やあのコを愛している私達を含め、たくさんの人たちもまた、彼らを愛してくれることだと思います。




jk


ピノキオはいつまでも人形のままではありません。


願いが叶って、「生身の男の子」になるんですもの。



それまで、私はずっと、仁の歌をウソの中に隠された真実を、しっかりと両手で、心で受け止めていきたいと思います。





・・・・これを記事にするのは苦労しました・・・あせる

気持ちが先立ってしまい、うまく言葉がまとめられなくて。


仲間にはいろいろ知らせてることもあるので、ぶっちゃけることもできるけど、ブログにはできないから、言える範囲で伝わるように書いてみました。


私も仁と同じで、「わかってくれる人がいたら、それでいい」主義なんで★


理解できない人には永遠に平行線だと思います。


でも、仁は年々、出しているアルバムに込められてるものがぶっちゃけてる内容が増えていってます。

彼は絶対にやると決めたらやる人だから。

「いつかの未来」への力も着実に蓄えていってると思います。



じん





ここのコメント欄は閉じますので、アメンバー様はまた次の記事にてコメントをお願いします。




追記・・・

タワレコの冊子で、仁がこの曲は実体験に基づいて作ったと発言していますよね。

こんな出来事、小説とか映画とかでしか起こらないんじゃ・・・とフィクションとして捉えようとする人たちが多いけれど、実際に起こっているのが現実。

しかも、普通の人たちが考えてる以上に、芸能界や政界、スポーツ界という特殊な世界ってすごいことをいろいろやっています。うちの母も政界に携わっている仕事をしていたので、いろいろ芸能界とか政界のありえないことを教えてもらってますし。

表には絶対出ないように、たくさんのウソを作ってるのが現状ですからね。


同じ業種の方へのメッセージとしてとも言っている仁ですが、きっと、去年起こったスマップ事件や、うちの田口の件についても裏事情あってのことだとわかってメッセージを託しているんだと思っています。


ひとりでも多くの人が、仁の伝えたい真意をくみ取ってもらえますように・・・。