3.11帰宅困難から逃れた
3.11で帰宅困難から逃れた経験談です。______________________発生時は仕事外出中ちょうど乗り換えでJR新宿駅のホーム地下連絡通路を歩いてました。めまいかと思い大きな揺れになったときはヤバイと思い長く続いてる間、崩れたらどっちに逃げようかと周囲を見ていました。おさまり、とりあえず地上を見るためにホームへ登り、高層ビルを見て一安心。すぐに携帯で検索したがもう繋がり悪い。しばらく架線が大きく揺れていました。10分くらい経っても放送は「地震のため見合わせています」としか言わない。。。さて、どうしよう、、どうなる、、と考えた。。。電車は数時間もしくは今日中に復旧しないだろうもう仕事どころではないな埼玉に帰る方法を考えないとヤバイかも徒歩15分にオフィスもあるが用はない。とりあえず池袋まで歩こうと思った。西口に出てバスも見てこようと思ったが、出たら人であふれかえっていた。余震でハルクの歩道上の鉄棒がおっこちてカーンカーンカンカンと鳴り響いたヽ(゚◇゚ )ノ池袋へ向かった。途中、高田馬場駅のロータリーも見に行ったら人であふれかえっていた。池袋へまで歩く人はいないようだった。ホテルも探そうと考えたので、まずメトロポリタンへ入ったら、多くの人が座り込んでいて、ホテルの人が椅子を出したりしてた。ロビーにテレビがあり、前に人があふれていてよく見れなかった。きっと駅前も人が溢れていると思い、カプセルホテル見つけ、空いてたので入った。風呂に入ってゆっくりすることは出来た。TVを見てたが13インチくらいで小さいためかインパクトなく、「津波の死者が現在数人」とばかり聞こえた。翌朝は何事もなかったように帰れたが、新聞の津波写真がインパクトあった。家の周りで瓦が落ちてるのが何件かあった。家内は2段重ねのスピーカーが落ちたくらいで安心した。_________________________ポイント私がなぜ最初に歩きだせたかと言えば、日ごろから心がけている行動力でしょう。誰でも考えられることだけど、すぐに動くことは難しいし、周囲に合わせようとしてしまう。非常時こそ、考えてすぐに行動できなければならないと強く思う。(携帯も、JRの放送も、TVも、周囲の様子もあてにはならない。)現在は、帰宅困難者と都心混雑を防ぐため、多くの施設や企業で一夜すごせるように備蓄もしている。コンビニやチェーンレストランは配給することにもなっている。しかし、首都大地震きたらそんなレベルの話ではなく、どうするかを考えておこう。 例:環状7号より内側は道路通行規制となる。