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日本の戦国時代について

 

 

人気№1「明智光秀の出自」

110人が読んで、スキが4。視聴率4%のTV番組みたい。最低でも読んだ人の10%がいいねしないようでは、プロのライターにはなれません。

記事の内容は、「山岸系図が正しければ、明智光秀は、京都で奉公衆をしていた明智庶子家の子」。

 

人気№2「平手政秀の死」

澤彦(たくげん)和尚が詠んだ七言絶句は、何度読んでも泣ける。

 

人気№3「織田信長の尾張統一」

これは簡単すぎて面白くない。もっと詳しく書けよと言いたい。書いたのは、澤彦和尚の弟子の孫。

 

人気№4「織田喜六郎の死」

織田喜六郎は織田信長の弟。1人で馬に乗っていて、『信長公記』では誤射、他の本では「からかって射たらあたってしまった」という。織田信長は「1人でいる方が悪い」となぜか死んだ織田喜六郎を責める。

織田一族がどんどん死んでいき、織田信長だけが残ったので、織田信長が尾張を統一できたのであるが、織田一族の死は、織田信長による暗殺だと疑いたいものが多い。

 

人気№5「織田氏の出自」

井伊氏の出自は・・・三宅庄の庄司・三宅氏がいて、庄内に三宅神社を建てて祖先を祀った。そこに藤原氏が赴任してきたので、娘を結婚させ、井伊谷に住ませて「井伊」と名乗らせた。織田氏の出自は・・・織田庄の庄司・織田氏は、庄内の劔神社の宮司もしていた。庄司になったのが先であれば藤原氏で、宮司になったのが先であれば忌部氏。

 

人気№6「太田牛一の出自」

写本によっては、冒頭ではなく、『信長公記』を批判する話の前に置かれている。

 

人気№7「岐阜の由来」

織田信長が「平手政秀が「井ノ口」という名は良くなと言っていた」というと、澤彦和尚が、「井ノ口」の別名である「岐山」「岐阜」「岐陽」はどれも良い名だから、そのどれかにすれば良いと言った話。

 

人気№8「印文の由来」

澤彦和尚が「布武天下」と示すと、織田信長は「天下布武」に変えて印文にしたという話。

 

 

明日は「敬老の日」か・・・祖父の家へ行って、面白そうな本を探してきます。蔵書数は・・・1万冊はあると思う。1500円平均で1500万円・・・購入費もすごいけど、重さもすごくて、祖母が、「本で家が傾く」と嘆いてる。