もともとは一人暮らしをしていた母。
脳腫瘍を患い、手術後は、娘夫婦である私の家で生活することになりました。
私は会社と上司の配慮により、在宅勤務を行い、
母が通所リハビリに通う日に会社に出勤する、という生活をしていました。
退院した4月から、6月くらいまでは母の状態もよかったので、
このままの生活が続けられればと思っていました。
しかし、症候性てんかん(痙攣発作) はやはり複数回おきてしまい、
症候性てんかん(痙攣発作)がおきたら、体調が落ち着くまではリハビリには行けない、すなわち会社に行けない、という事態になりました。
その他、母の通院時にもお休みをいただきましたし、これ以上迷惑をかけられない、という気持ちが強くなり、退職を申し出ました。私の上司は、状況を慮って、会社に来られなくてもいいし、在宅勤務でもいいから続けたら?と言ってくださいました。
ですが、私が出勤しないことで他の方にご迷惑をお掛けしている部分がありますし、また、余命1年と考えると、最期の数か月はそばにいてあげたい、という気持ちもあり、2015年10月で退職したのでした。
退職記念には、部署の方からとてもステキなマイセンの真っ白なカップをいただきました。
私はあまりに素敵だったので喜々として、そのカップを母に見せたのですが、
母はカップを見るなり、そんなに貴方のことを大事にしていただいたのに、私のせいで退職することになって、会社に申し訳ない、と涙ぐんでいました
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いろんな方の闘病記があり、とても参考になります。母を含めて、同じ病気の方が一日でも長く健やかに生きられますように。そして、奇跡が起きて、膠芽腫(グリオブラストーマ)が完治しますように。