懲りもせずに | 福間香奈さんを応援するブログ!

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女流棋士の福間(旧姓里見)香奈さんを応援しています。その他将棋や自分の日常のことなど。

目標達成理論の続きです。

この前書いたニューソート系の願望達成理論がうまくいかないということを、書いている人がいらっしゃいました。http://biz-journal.jp/2014/11/post_7471.html

 

やはり、表と裏というか行動と思考という2段の両面が大事とのこと。ニューソート系のセミナーも行動無視って訳では無いと思いますが。。目標達成技術という意味で、いろいろ探していたら、原田隆司さんの活動がいまはベストではないかと思えてきました。http://harada-educate.jp/

 

ただ、そういうのを生かせるかどうかは結局は本人次第。手ごろな価格の本をいくつも書かれているので、自分で確認してみてください。決して、私は廻し者でも宣伝がしたい訳ではありません。原田氏は中学校の先生をしていた時代に御自身でいろいろ学びながら実践を通して方法論を築き上げた点、学校と生徒を何とか良くしたいという思いを起点に実績を出している点などに、共感します。(すごいなぁと尊敬できる。)

 

その中で、目標と目的は違うというメッセージは改めて勉強になりました。目的が有って目標が有る。自分の掲げた目標が心に響くかどうか、と同じことなのだろうけれども、目標が自分の人生の目的に適っているかどうかということが大切なのかもしれません。

 

私のハン検3級って目標は、目的意識が薄いかも。でも、韓国語って面白いし、韓国文化(K-POPとドラマ中心ですが)ももっと知りたいって、入り方って有ると思うんだけど。語学に限らず学ぶことはそれ自体で楽しいし、いい年こいて必死に単語を暗記したり(その方法がベストかどうかは別として)するのに、自己陶酔してしまったり。。結果が全てで努力することが目的化してしまったら駄目だって言われますが、仕事だったらそうでしょうが、趣味の世界はそれでもいいのかも。

 

プロならば努力するのは当たり前で結果が全て、とも言われますが、さらには勝つのは当たり前で、プロセスが大事って言われ方もする。努力<結果であり結果<プロセス。そうすると努力<プロセスなのか??

 

そもそも自分はこれまで、どんな目標を達成してきたかとか考えると、結構さびしい感じです。

・TOEIC:最高930点---これが一番嬉しいかな。会社の自己啓発目標シートに900取るって宣言したし。

・中国語:3級---延べ日数で一年以上、中国に滞在経験が有るからなぁ。しかも今は無理。

・簿記3級---30代の時に取りました。2級は惜しい所で不合格。そのリベンジを掲げてもう10年以上に。

・工博---仕事の一環だったので、目標だったのか何だったのか。もちろん嬉しかったしホッとした。

(これを書くのはどうかな?と迷いましたが、たぶん一番意味が有るので書きました)

・Taeyeonちゃんに会う---サイン会とか行きたいなぁ。(私の人生の目的とかと関係有るのかなぁ?)

 

この前の続きで、死んだらどうなるのだろうか?ってのは、すごく知りたい。ここ1年くらいの間に矢作直樹氏の「人は死なない」に始まり、スウェデンボルグやシルバーバーチといった霊界ものの本などに触れてきた。死んだら終わりで跡形もないってのは、意味が感じられないので、死後の世界は有ると思う。もちろん証拠はない。有ると思うか無いと思うか、どっちを取るか賭けであるというようなことを言ったのは、「人間は考える葦である」で有名なパスカル。で、この世的に死んでも、魂は続くとして、これが永遠に消滅しないものとすると、なんか疲れないのかなぁって思う。目標達成理論でもないけど、ここまでって期限が決められているからこそ頑張れるみたいな気がする。そもそも皆が永遠に徳を積み上げるよう努力を続けるのであれば、それって誰が何のために、そうするのだろうか?もし、この瞬間に神が無となれと言って、すべてが無い状態になったらどうなるのか?(これって死んだら終わりよりも、もっとひどい最悪の考え方かも(宗教的には))あと分からないのは輪廻転生。有るのか?無いのか?

 

小学生くらいの時に、おじいちゃんに死ぬのは怖いか?と聞いたら、全然怖くないねぇ、ただ残った人が悲しむのはかわいそうだなぁと達観しておりました。何で怖くないのかと子供心にすごく印象に残ってます。

 

私は、快楽主義者でもないけど、それに近い所もあるし、定年になったら(65までだと10年以上有るけど)、旅行に行ったり遊びまくってやるんだくらいの楽しみを期待しているし、そもそも毎日、暗い時も有るけど、根は楽観主義なので、死ぬことを真剣に考えているわけではないけど、50過ぎたし、人生の下り坂の意味を考えたり、それこそ自分の人生の目的は何なんだ?定年までにやりたいこと、やるべきことは何なんだみたいなことを考えるのに、やっぱり死生観は大事だと思うのです。あと、まだ元気で健在ですが年老いてきた両親が居るので、親孝行は大事かと。車で1時間くらいの近くに住んでいるので、たまに顔を出して会うことで親孝行だって思ったりしてるんだけど、いくつになっても、やっぱり親は親だなぁって思わされることの方が多いってのが実感。

 

少し前に会社の飲み会で、後輩から休みの日は何しているんですか?と聞かれたから、半分冗談で(それがいけないのかもしれないけど)、聖書を読むことかなと答えたら、信じてもらえなかった。手許には新約聖書しかないんだけど、何が史実で何がフィクションか分からない感じもするけれど、何回も読んでると、適切な言葉かどうか躊躇しますが、面白いんですね。

 

では、そろそろ明日の会社の事をかんがえつつ、テレビを見ながら横になって適当に寝ます。잘 자요!