行き抜いて、息抜いて、生き抜いて。~生きる答えが見つかる117のメッセージ



 

日本では 古来 天照大神が

天孫降臨をしようとしている

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に

三種の神器とその教えを授けました。

 

これが 

 

勇気草薙剣 =父性素盞嗚尊

『一歩踏み出す勇気』、

『自分という殻を破る勇気』

『しがらみ(時間)を捨てる勇気』

 

受容八咫鏡 =母性】 天照大神

アタマの解釈(マイルール)を越え

「あるがままの現実」を受容する

 

直観八坂瓊曲玉 = 】月読尊

素直な心、子供心、直観と創造(生命)の源

 

 

 

また このようなサイクルとして表現することもできます

 

【一つめの子宮】勾玉 (胎児として 母親の子宮に宿る) 

 

 

↓ 産道を通って 誕生

 

 

【二つめの子宮】 時間的子宮・善悪の子宮 

 

我々は子宮から出て

外に生まれ出てきたと思っていますが、

この人間社会もまた 二つ目の子宮(時間)の中です

 

エデンの園でいう

善と悪の知恵の木(子宮)」です

 

子どもの頃は まだ無垢さがありますが

 

この二つめの子宮(時間)の世界に

閉じ込められると 

 

「~したい」と

純粋な自分を生きるよりも

 

「怒られてはいけない」

「嫌われてはいけない」

「失敗してはいけない」

「~しなければいけない」と

他人や社会の要求に応える

深刻な人生になっていきます

 

この 二つめの子宮は

高天原から追放されたスサノヲ(ルシファー)の願った

「自由意志(自我と時間)」の実験の場と言えます。

 

スサノヲ(ルシファー)は

高天原(神)との絆を断ち切り、

愛に基づいていないマカバ・フィールドを創造しました

 

(スサノヲの創造1日目)

(スサノヲの創造2日目)

(スサノヲの創造3日目〉

(スサノヲの創造4日目)

 

(スサノヲ(龍)の2つ目が現れる。相対の完成)

 

 

この2つ目の「時間的子宮」「善悪の子宮」で

身につけた観念の鎧を脱いで、

分離ゲームを終わらせるのが  です。 

 

(あくまで方便ですが)

剣で ヤマタノオロチ(時間と善悪の観念)を断ち切っていくと

「あるがままの姿」が浮かび上がってきます

 

 

↓ 「通過儀礼」という産道を通って 再び誕生

 

 

【三つめの子宮】 鏡 (時間のない大いなる子宮へ)

 

鏡は 常に「あるがまま(今)」を映します。

 

「なりたい自分」を築くのではなく

「本来の自分」に気づく ことで

時間のない子宮へ帰還します。

 

自由意志や時間は幻想で

「いま」しかなかったことがわかります

 

善と悪の知恵〈解釈〉の子宮(ああでもないこうでもない)」から

永遠の命につながる「生命の子宮(あるがまま)」への帰還です

 

 

 

神社の【参道】と、

赤ちゃんの生まれる【産道】が

同じ「さんどう」ですが、

神社の参道は、お産の時の産道を現します。

 

お宮は子宮で、

参拝するアナタ(社会的自分)が精子です

だから、神社の事を、お宮と言い

お宮参りとは、母(故郷)の元に帰る事です

 

参道 を抜けると 何がありますか?

 

そう

 

」です。

 

鏡というのは

 【三つめの子宮(本来の自分)】 への扉であり

 

神社というのは

新しく生まれ変わる場所であると同時に

本来の自分に帰る場所でもあると言えます。

 

参道(産道)を通り

鳥居から出ると

母体から産まれたばかりの


穢れのない 本来の自分として

生まれ変わっているわけです。

 

 

ただ「カガミ」から「ガ(我)」を取ると

「カミ(神)」になる、なんてよく言われますが、

 

実は 私がいるという感覚がある以上  

ガ(我)はなくなりません。

 

魂を磨いて「ガ(我)」を取ったら、「カミ(神)」に近づける、というのはスピ界に蔓延しているイリュージョンです。「何かになろう」「我を消そう」としている主体が「ガ(我)」だからです。

 

ただ「ガ(我=)」という分離意識が消えたときに

はじめて 「カミ(空白=)」が 最初からあったことを思い出します

 


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行き抜いて、息抜いて、生き抜いて。~生きる答えが見つかる117のメッセージ