こんばんは。
コッソリ本日2本目です。
バンケのインスタいっぱいupされてますね。
草太くんのインスタより
ダイスのインスタより
他、多くのスケーターさんから
PJさんのインスタより
はい。ゆづ要素は以上。
後は私の独り言なのでどうぞこのままお帰りください。
今日12月14日は娘の誕生日です。
息子の誕生日のことは「あなたは私の一部」という記事にしましたが、その中で私は不妊症だった事を記しています…
息子は緊急帝王切開だったけど病院によっては1人目が帝王切開でも2人目は自然分娩で出産出来ると聞き、息子を産んだあとわざわざ1年開けました。
(でも結局は出産予定の病院では1人目が帝王切開なら2人目も帝王切開と言われ従う事になってしまったのですが)
4年半出来なかった末に息子を授かったので、もう1人は出来たらラッキーくらいの気持ちでいました。
でもビックリするほどすぐに授かり、1人目のあの不妊の日々は何だったのかと拍子抜けする感じでした。
出産は実家の近くの息子を産んだ病院でと思ってたのですが、それまでは自宅からひと駅の病院に通院してました。
9ヶ月まで通ってましたが何も問題ないと言われてたのに、臨月に入る前に出産予定のが病院に検診に行ったら「赤ちゃんがお腹の中で育ってない」と、予定日はクリスマスイブだったのを繰り上げ12月14日に帝王切開で出産することになりました。
2350gの低体重児で産まれた娘。
幸い異常はどこにもありませんでしたが、手のひらに乗ってしまうような小さな小さなその体。
涙が止まりませんでした。
こんなにも小さくて、それでも必死に生きている。
小さく産まれたのにどんどん大きくなり生後4ヶ月の時には他の赤ちゃんと変わらないくらい、いえ泣き声だけ聞くと他の赤ちゃんよりも元気すぎるくらいに育ちました。
そんな時にある事が起こりました。
当時、上の息子は2歳のやんちゃ盛り。
ベビーベットにおもちゃでも投げ入れられたら大変とベッドは立ちベッドにしました。
生後4ヶ月。寝返りもまだうたず、大人しく寝てたので手前の柵をはずしたまま洗濯物をしまいにその場を離れてしまった。
ほんの1~2分。
「ぎゃーーー!」という火のついたような泣き声が聞こえて慌ててベッドを置いてある和室に行きました。
見ると…
畳の上にうずくまって泣いてる娘。
ベッドから1m下の畳に落ちたのです。
その時は何が起きたのか分からず、頭が真っ白になったまま駆け寄りました。
今でもその時の事を思い出すと、まるでスローモーションのように中々娘に辿りつけない。
しばらくして泣き止んだけど頭を触ったら変に柔らかい部分がある。
当時の自宅から車で20分位の小児脳外科で有名な病院に行ったら
頭蓋骨骨折
目の前が真白になりました。
体重は少なかったけど健康に産まれてきてくれたのに
私の不注意で大怪我をさせてしまった。
悔やんでも悔やみきれない。
ごめんね
ごめんね
何度も何度も娘を抱きしめ謝りました。
もしこの子に何かあったら、私の一生をかけても償いきれない。
私は母親として失格だ。
どうしてあの時、柵をせずにその場を離れてしまったのか。
さっきまで出来なかった寝返りも急に出来るようになる事もある。
何故あの時
何故私は…
毎日後悔して泣いていました。
医師には「急性期は過ぎているので現段階で出来ることはありません。まだ大泉門が閉じてないのでそのうち骨折した箇所も自然に付くでしょう」と言われました。
その後は観察していても特に変わったことも無く
いえ
ただひとつ
乳児期の頃は殆ど笑わない子でした。
何かをいつも睨みつけているような
もしかしたら、これは後遺症なのかとも思いましたが、成長するに連れよく笑うようになった娘をみると大丈夫のようです。
何かをいつも睨みつけているような
強い意志を持った瞳
今ではいじめられてる友だちを庇う勇気を持ち
いじめられても決して負けない
やり始めた事は最後までやり通す
強い意志を持った娘に
16歳の誕生日に焼き肉をお腹いっぱい食べてバースデーケーキを頬張るくらい元気に育ちました。
お誕生日おめでとう。
こんな私の所に生まれてきてくれて
こんな母親の元で健康で優しい娘に育ってくれた。
(気が強くて短気だけど)
お誕生日ありがとう。
こんな独り言を最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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