今日でちょうど東日本大震災から3年
もう3年、まだ3年。個人によって
その感じ方は様々だと思います。

昨年のこの日は、ちょうどドイツから
帰国した日で、一昨年は私の拙い言葉
色々綴っているわけですが・・・。

なんていうんでしょう。
沈黙は金、雄弁は銀、なんて言葉が
ありますが、下手に色々私の勝手な
想いを綴っても誰かを傷つけてしまうかも。

いつも安穏に過ごしてるのに、この日
だから、と色々綴っても嘘くさく感じて
しまわれると思います。でも、それでも
じゃぁ、最初からこの話はナシで!
とは、どうしてもかなくて・・・。

東日本大震災が発生したときのことは
今でもはっきり覚えています。
ちょうど先生のゼミ生さんが来る、
ということで珍しくTVをつけたまま
夕飯の準備をしていたところでした。

錯綜する情報に、大津波警報の文字。
でも、それがどんなことを意味するか
そのときは、まだよくわかっておらず。

それから次第に入ってくる被災者の数
津波の衝撃的な映像、そして福島原発。

ドイツに行って、日本人ということを
話すと1番に聞かれるのは地震のこと
そして原発のことでした。日本の地名で
Tokyoの次に知られているのはFukushima
だったと思います。それぐらい世界的
にも衝撃的だった東日本大震災。

私の愛読書、オレンジページは毎号
震災を忘れない、ということで東日本
大震災の特集ページがあるんですけどね。

それを読むたびに、前に進むことと
忘れることは違うんだな、って思います。

まこっちゃんはもちろん、東日本大震災
を知りません。でも、それは私がちゃんと
伝えていかないといけないことなんですよね。

何度も言うように、A県も近々大規模な地震
が来る、と言われており、東日本大震災以降、
耐震工事や災害時の避難経路の見直しなど、
様々な改革が行われています。また、地震が
発生した場合、何をおいても高台に避難する
ことなど、東日本大震災があったからこその
教訓は私をはじめ、多くの人の胸に刻み
込まれていると思います。そして、それを
活かさなければいけないと思うんです。

子どもが生まれて、尚更自分のことだけじゃ
ダメなんだな。って考えるようになりました。

毎日、当たり前に過ごしているようで
それはすごく奇跡のようなことで。

だからこそ、志半ばで亡くなった多くの
方々に対して自分はちゃんと一生懸命に
生きないといけないと本当に思っています。

私の拙い言葉で思っていることを精一杯
述べましたが、言葉足らずですいません。

最後に震災で亡くなられた方のご冥福を
お祈りすると共に、被災された方々に
心よりお見舞い申し上げます。
相変わらず拙い言葉で申し訳ありません。