氾濫する情報と読者の思考 | 祇園精舎の鐘の音・・・
 「情報化社会」と言われる昨今、インターネットの発達により、いわゆる「ブログ」をもつ人が増えているという。そんな中、誰でも簡単に情報発信出来るが故に生じる問題も多い。その良い例が、「プライバシーの侵害」であろう。これまで著者の書いた事柄は、第三者の手によってチェックされ、ある程度の制限を受けていた訳だが、当然ネット上ではそのような制限を受けることはない。このように考えると、「誰もが著者になれる時代」の問題点の一つに、個人の尊厳が失われてしまうということが挙げられるだろう。
 ここで本文に則って考えると、ニーチェは昔、「誰もが読者になれる、ということは書くことばかりか考えることまで腐敗させる」と予想した。しかしニーチェの予想をはるかに超え「誰もが著者になれる」時代が到来しつつある今日、僕はやはり今度も「考えること」を腐敗させると思う。従来、情報発信者は情報を取捨選択し発信しなければならなかった。ところが、電子メディアが発達した現在ではその必要性はない。そうなると必然的に考える力(というよりも情報を淘汰する力)
が腐敗してしまうだろう。これが「誰もが著者になれる時代」の一番大きな問題点である。
 近年、一昔前よりもあらゆる著作物(ここには本のほかブログ等電子メディアも含む)に対して、重みやありがたみを感じることが少なくなったような気がする。それはやはり、著者によって情報を淘汰されているか、されていないかの違いなのだろうか。

作文でした。



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