先日放映した中卒、高校中退の生徒VS林修講師
という番組を本日ビデオで視聴。

教育というのは出来ない生徒を伸ばす事のほうが、
出来る生徒を教えるよりも何倍も
教育者としての力量を問われる。

学力の低い生徒を教えるには、難しい事を
いかに易しい言葉で教え諭す事が出来るか、
理解させられるかという点で、使う言葉でさえ
厳選しなくてはならない。

難しい事を易しく教えられる先生というのが、
本当の意味での教育者なのだと
私の根底にはいつもこの思いがある。



この生徒達に林講師は
いきなりセンター試験、国語の問題を
解かせる事からスタート。


案の定、皆、文章を読む事さえ難儀で、
正直何が書いてあるのかさっぱりわからない、
興味さえないという生徒達。


林講師はそんな生徒達にこう切り出した。




たとえば、(特殊な髪型の生徒に対して)
この人はこういう風にして
「オレのことわかってくれ」っていうタイプ。

オレは(彼の拘りが)
わかんないからといってはねつけはしない。
彼なりの考えがあるんだろうな?
こだわりがあるんだろうなと思って
なんとか理解しようとする。


現代文も同じ。
わかんないけどわかってやろうとする気持ちを
持っているかどうか?

現代文という科目は
そういう気持ちがあるかどうかを見る科目。

一人の人間がこのような文章を書いたという事は
事実なんです。

そして、出題者という人は
分かりにくい文章をわかる人です。


受験生はこの作者が言おうとしている事を我慢して
受け止める気があるだろうか?

それを見ている試験なんです。

そしてこのような事を教える事で
生活をしているのが私の仕事。

世の中には様々な仕事でなりたっているワケで、
全員が東大にいって学者になったら
この国は終わってしまうと思っている。

それぞれの仕事で頑張っている人がいるから
世の中が上手く行く。

しかし自分がやらないからと言って、
一生懸命頑張っている人を否定するのもどうか?

文章がわかるかわからないかというのは、
どこまで向き合ってその人を受け止めて
あげられるかどうかというのが現代文。





現代文という科目をここまで噛み砕いて
説明出来る林講師は、サスガだと思う。


さらに、現在社会で働いている生徒にこう語りかける。



 
社会において必要な能力は「解決」と「創造」。

この二つの為に頭を使う訓練をする
所が学校という場所。

この能力は学歴はなくてもいいけど、
考える能力は沢山もっていなくちゃ駄目。

考えて物事を解決したり、
考えて物事を創りだす能力は絶対にどんな人でも
高くする必要がある。

じゃあそれを高める為にどうする?

過去の人に頼ろうか?

勉強しない人は責めないけど、
オレ本読まない奴は嫌い。

本というのは一人の人間が知恵を絞って
命がけで刻んだ事をもらうという事。

自分の財産にしていいんじゃないかな。
本の作者って君達の仲間だよ。
歴史の本読んでほしいな。

負ける奴って意外と共通。

敗因は三つ。①情報不足 ②慢心 ③思い込み


自分が悩んでいる事を
100年前に答えを出してくれている人が
いたりするわけだ。


根本の考える道具になるものを
実は学校っていっぱい教えてくれたところ。

でもそうゆうふうに役に立つって教えてないから、
点数でやられちゃうから
みんな拒否してしまうじゃないかな・・・。




学校でこのような教え方の出来る教師は
いったいどの位いるのだろうか?

現代文の理解力をただただ、
点数に置き換える教師のなんと多い事だろうか?

学校を卒業してからこそ
勉強をこのように活かしていくかという事を
教えられる教師は
どの位いるのだろうかと思いながら・・・。


そして、次は林講師の人生論。  


 
俺はさ、大学でて銀行入って
「合わないな」ってすぐ辞めたの。

そのあと1800万位借金かかえて。

「オレなら出来るさ」と思って
「なんとでもなるさ」と思っていたけど
それは、大間違いだった。

自分が出来る事なんて限られている。
ただ、人を教える仕事って自信があったから
この仕事に専念すれば
なんとかなると思ってはいた。

でもあんまり言いたくないけど、
俺、東大の法学部出てんの。

オレの仲間って官僚とかね、
すげえ世間で活躍しているわけ。

それに比べて俺は
ちっちゃい塾とかで仕事しているって
なんかミジメな思いがして嫌だった。

オレもあいつらと同じように
ド派手に会社つくってやってみたけど、
そんなの駄目なんだよ。

「やりたいこと」と「やるべきこと」を分けて
「これだったら勝てる」っていうものがないと。

教える仕事で失敗したら
この世にいなかったかもしれない。

でもここへもどってくればなんとかなったからね。


「いっぱい負けたからだって。
二十代にいっぱい負けていっぱい借金してその中で
可能性を消していってここしかないな、
と思ったからなんだって。」


「努力は裏切らない」という言葉は不正確なんだよ。

『正しい場所で、正しい方向で
十分な量なされた努力は裏切らない。』
というべきなんだな。

好きな事は趣味でやればいい。

仕事っていうのはお金をもらってやることで
お金を払う人に責任をとらなければならない。

仕事が好きか嫌いかなんてどうでもいい。
お金をはらう人にとって責任を取り
それがちゃんと出来る事にプライドが持てるか?
そこだけでいいと思う。

好きな事はお金を払ってやる。

仕事はお金をもらう事だから
自分がやるべき事をやる事なんだよ。




林講師の人生論は圧巻であった。


名門、東海中高から現役で東大法学部卒。

世間で言えばまさに
エリート街道まっしぐらだった林講師。

銀行に入ったものの、
この銀行は潰れると察知してしまってからは
早々に退職し、その後は自分の可能性を
色々試してみたが
それらはすべて裏目に出て駄目であった事。


同じ東大法学部の同級生達は
社会的地位も高い所で活躍しているのに、自分は何もかも
社会での可能性を否定された時期があった。

それを包み隠さず語った事で、学力という武器を持たない
中卒、高校中退の生徒達の心に
彼の人生論は深く喰い込だ。




『いっぱい負けたからだって。
二十代にいっぱい負けて山ほど借金して
その中で可能性を消していってここしかないな、と思ったから
この道で頑張ろうと思ったからの今なんだって。』




林修講師のこの言葉は私の心の琴線に触れ
涙が頬を伝った。


スグルは十代の学校時代から負け続けたが、
負け続けたからこそ
自分の本当の夢がなんであるかを悟り、
自分の心と深く対峙したからこそ
逆境から這い上がれたのだと
今更ながらに思う。


林修講師がカリスマ講師と呼ばれる所以。

それは彼が高度な東大合格する為の
スキルを持っているからだけではない。


彼は自分の負け続けた時の経験を
自信を持って語れる人柄だからこそなのだ。


そこから這い上がった経験から
本来の勉強とは社会に出て
どのように武器にすべきかという
人生論を語れる人だからこそ

人は彼をカリスマ講師と呼ぶ。


私はその事に深く納得したのだった・・・・。
                          (つづく)





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※今週は仕事が激務でほとんど仮死状態 で・し・た・・涙涙