先週に引き続き、林修講師の番組ビデオを視聴。

スタッフの質問。

今回、なぜ、この様な難しい授業を引き受けたんですか?

それに対しての林修講師の答え。




『ずっと予備校でやってきて、
そもそも予備校にくる子だけを相手にしてきた。
今の僕の世界というのは
実に小さな窓から世の中をみていて、
そこから見える子たちだけを相手にしてた。

しかしその窓には
絶対に姿を見せない表さない子達がいる事は
よくわかっていた。
最初からこの窓を叩こうとしない子達に
自分の言葉がどこまで通じるか?

もしかしたら、
「予備校の先生ってのはこういう事を言うんだ」
ってこっちの窓をあけようとしてくれる若者が
増えるかもしれないので
チャレンジしてみる意味は十分ある。』


『自分が人にみてもらっていない経験を
ずっとしてる子って
自分が人に見てもらえてない事に
凄く敏感なんですよ。


東大を目指すような彼らは
周囲の大人達に大事にされて、
ずっと拾ってもらってきている子達なんです。
そういう子達だから、
「あとちょっと欲しい」
って部分にほおりこめばいい。

だから僕の授業っていうのは
今まで彼らを見守ってきた大人と
僕との合作なんです。』




勉強が出来る子供と出来ない子供の違い。

それは親の遺伝よりも、
家庭環境の影響のほうが大きいと
私は思っている。

子供として見た時、
たぶん生まれ持った能力の可能性は
どの子供も同じ。

しかし、その能力を
どの時期にどう伸ばすかという力量は
傍らにいる大人の責任なのだと。

この番組ではないが、林修講師は


「(トップレベルの子供を作る要因とは)
一つ言えるのは、
3歳から5歳まで。

ここは決定的ですね。

どうゆう日本語を聞いて育ったか?
そこでどういうコミュニケーションをとったかですね。
それは決定的です。」

「親御さんは、
『どうしてあなたは勉強しないの?』
って言うんですけど、勉強しない子供を作ったのは、
100 %親の責任ですよ。
そういうコミュニケーションをとったんですよ。」

「勉強して分かることが楽しい、
子供が知的好奇心があるときに、
『次はどうなの?』と背中を押さなかったんですよ」

と述べている。


大学予備校の講師である林修講師が
幼児教育で言われる
「才能逓減の法則」を知っている事に私は驚く。


私が幼稚園教諭時代、園長先生に言われた事で
今でも心に深く残っている言葉がある。


「クラスの中で、目立たない子供っているでしょ?
自分からは積極的に
先生に近づいてこない子供や大人しい子。

でもね、実はこういう子供のほうが先生の事を
じっと深く見て観察しているものなの。
だから、目立たない子供や大人しい子供に
こそに目をかけ、
気を配らなければならないのよ。」




本来ならば、このような子供は
家庭環境に恵まれなくとも、
せめて義務教育の学校時代に
教師達が手を差し伸べれば、
なんとかなった子供達なのだ。

しかし、大抵このような子供は大人しかったり
目立たなかったりしてしまう為
クラスのお客様状態で見過ごされてしまいがち。

そしてずっとこのような状態で
学校生活を送ってきた子供達の結果が、
勉強嫌いであったり中卒や高校中退を
生み出す原因なのではないだろうか?



『君達は学校が面白くなかったって
書いている人が多かったけど、
学校は全部が面白いわけじゃない。

高校をやめちゃっている子が沢山いる。
その一方で高校をちゃんと
卒業証書をもらっている子がいる。

卒業証書はある意味では忍耐力の証明書。

学校生活というのは
そんなに面白い事ばかりではないわけだ。
オレなんか今47歳だけど、
面白い事一つあるとつまんない事三つ来るよ。

でも我慢しているうちに
いい事もあるし、いい事が起きない時もある。

でもそこで耐えた人に
「君はこれだけ耐えたね」
って証明になるのが
卒業証書なんです。

キミ達はもう一度
高校に戻ってやり直したいって
書いている人もいたけど
たとえ戻ったとしても
そんなに楽しくはないかもしれないよ。

でもつまらなかったとしても
卒業証書というのは
(耐えた事)を証明してくれる。

学校を続けた人には
世間の評価はそうゆうものになる事は
事実なんです。』



去年の12月に、秋田大学医学科において、
筆記は高得点だった女子受験生(18)が、
前後期とも面接で0点で不合格になった記事が
大きくとりあげられた。

体調不良から進学をあきらめ
高校1年にあたる年に、
高校卒業程度認定試験に合格していた。

私は学校へ行っていないのだから、
学校の成績評価の部分は
0点であったのかとも思ったが、
スグルに言わせると
他に何かゼロ点に評価されてしまう何かが
あったのではと言っていた事を思い出す。

学校へ行かないという事は
林修講師が言うような評価を
秋田大学の医学科では下したのではないか?

国公立医学科受験において、
大学によっては、
高校卒業程度認定試験合格者は
面接時、不利になるという噂も飛び交うが
この噂の根底にはこの様な考え方が
多少なりとも
試験官達にはあるのではないか・・?

という想いがふっと頭をよぎった。



『僕は受験生に一カ月前に
必ずする話がある。

あと一カ月だね。
べつにキミ達が頑張ろうが頑張るまいが
俺には関係ない。
ただ、これだけは言える。

この一カ月頑張れるか頑張れないかが
一生を決めるよ。

一カ月全力で頑張れた奴は
たとえ落ちてもいいの。
そこまでの準備がたりなければ
落ちるからね。

問題は受かったけど
最後の一月がんばれなかった。
まあまあ、受かったけど
俺はひと月も頑張る事が出来ない人間なのか?
っていう思いで生きていかなければならない。

そうなるかどうかは君らの自由だよ
って話を一カ月前に必ずするんです。

一カ月頑張れるって事は実は凄い事で、
一カ月頑張れる人は一年頑張れる。
一年頑張れる人は十年頑張れる。
十年頑張れる人は一生頑張れる。

受験勉強って受かった受からないって
低レベルの話に見えるかもしれないけど
受験って結構
人間力が試される場なんですよ。

これを十代のうちにやっておく事に
意味がある。
それは別に勉強でなくてもいい。
仕事でもいいけど
十代のうちに俺はひと月頑張れるぞって
自信をもって生きていくかどうか?


自分でそうゆう目標をみつけるのは大変でしょ。
みつかっているのならいいけど、
見つかっていないのなら
受験勉強に参加するのは悪くはない。』




かつてスグルは父親と
浪人は二浪までという約束で、
二浪目でも国公立医学科への桜は咲かず、
泣く泣くスベリドメの
国公立大学理学部数学科へ籍を置いた事があった。

しかし、この意に染まぬ授業を受けてみて、
どうして自分はもっと国公立医学科の試験に対して、
本気で頑張れなかったのか?
という想いがふつふつと湧いてきてしまい、
一週間もしないうちに、
休学届をだしてしまった。


林修講師の
「必ず一カ月前に言う事」を聞いていて
スグルが国公立医学科へ再受験した理由が
改めて
わかったような気がする。

スグルは親から与えてもらった
二年間というチャンスの浪人生活においてでさえ
全力を出し切れなかった。

国公立医学科への再受験は
自分自身への後悔のなにものでもなかったと
後日、彼は自分でも語っていたのだから・・・。

                      (つづく)



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※今週はまさに「滅私奉公」の一週間。

 「滅私奉公」の意味が初めてわかったわ・・・。涙涙


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