スグルの医学科は夏休み到来 晴れ


しかし彼のスカイプでの声は少し憂欝を孕んでいた。


「いや~。後輩が思うように動いてくれなくってさ・・・・。」

と愚痴る彼。

「この夏休みは恒例の行事が目白押しなワケ。

それに向けて、また先輩の医師の先生方に
寄付のお願いに伺うわけよ。
でもさ。
医師先輩方っていうのは得てして、皆多忙だから、
簡単に連絡がつかない。
それを後輩に頼んでるんだけどなかなかナ・・・・。
自分で動いた方が早い事はわかってんだけど
それじゃ、後輩の今後の為にならないしナ・・・。」



(そうでしょう~!わかるよ、その気持ち❤
他人を動かす事って難しいのよ。
あなたも母の苦労がわかったでしょ!
他人を変える事は出来ない。
けれど
自分を変える事は出来る!
は人間関係の基本よ音譜

 
と内心ちょっとほくそ笑む。笑う


かつて私は自称、教育ママ。


教育ママの難しさはまさにこの点にあると
私はおぼろげながら気付いていた。


成功した教育ママとは?と問われれば、
子供が良い大学や良い就職先へ行かせた人だと
世の人は言う。


しかし、実際、良い大学へ行く為に勉強して努力したのは、
子供自身で
その部分において母は何一つ手助けできない。

子供と言えども他人で、

その他人の達成感で
自分の存在価値が決まる
という点が
教育ママの最も危うく脆い点であろう。

そして、その達成感は
自分では何ひとつコントロールが出来ない
という点に
教育ママ達の苛立ちは日々、募る。


なにせ他人の達成感で自分の存在価値が決まるのであるから、
競馬の騎手のように精神的には常に子供のお尻を鞭で叩いて
競争に勝たなくてはならないのだから。


子供はなぜ、勉強しなくてはならないのか?

今問われれば、それは将来、
子供自身の世界観を広げるからと正論を言う事は容易い。


しかし、現状と言えば
小学校から続く義務教育の中での勉強はあまりおもしろくなく、
負担でしかないと多くの人が考える。

そして大抵の人は勉強が嫌だと思っている。


それは目の前に示される勉強の目的が、
学歴であったり、よい就職であったりと
自分自身が求めるものではなくて、
他人の評価に由来するような目的ばかり
であったから
ではなかろうか。


過去にスグルは受験勉強は空しいと言っていた事があった。

≪受験勉強の空しさ≫

 今の日本においての勉強とは、他人から良い評価を得る為に
勉強は手段
となっているからだ。


しかし本来の勉強というのは、
自分の前にある世界を知る為のものであるはず。




スグルは先日まで、ずっと週一回、地域実習として
保育園と幼稚園が一緒になった子供園で実習していた。

スグルが最後に受け持ったのは一歳児ヒヨコ

スグルが座っているとそこに、絵本を持ってきて
彼の足の上にチョコンと座って
読めとサインをだすのだという。

車をみて「ブーブ。」というので
スグルが「これは車だよ。車。」
と教えると、何回目かには
ブーブから車と言えるようになった。


 「子供って凄いな~。
こんなに小さくても向学心旺盛だもんな~。」


そして、スグルはこう続けた。

小さい時は何もかもが興味津々で、
学ぶ事が生活の一部になっている。

勉強なんて意識はまるでなく、
息を吸うように、食事をするのと同じように
学ぶことにおいてもなんの抵抗もないように見える。

しかし、それが小学校に上がった瞬間から、
親のほうが意識が変わってしまい
勉強、勉強と言いだして、学ぶ事をまさに漢字のごとく
勉めて強いるようになってしまう。

だから、子供は勉強嫌いになってしまうんじゃないのかな・・・・。


目の前の知の世界というのは無限に広がっていて、
学校の勉強というのは
唯一答えが分かっている部分を学ぶ事。

それは学校の学年が上がるに従って
確実に大きく、数も増えて行き、沢山の未知を知る事となる。

その結果得られるものこそが、
世界観という、世の中の現象を知る理解となり
その理解が、
その後、自分自身の進む道を見つけ出すための
道しるべとなる。


勉強の原点を見つめれば、
本来であれば子供がこのような道筋を辿るのが理想。


だから、この夏休み、
教育ママは子育て中にイライラしたら是非、自覚してほしい。

「私は子供を何一つ動かす事は出来ないのだ。」
と。

同時に子供が一番心を痛めるのは、
母の悲しむ姿、つらそうな表情、怒った顔、悩む様子なのだ。


子供の能力を伸ばしたいと思う教育ママならば、
子供を貶さないで欲しい。

たとえ、子供であれ、人間というものは
自分の欠点を自分が一番よく知っているものなのだ。

それは無意識に自覚していて、言われなくてもわかっている。

それなのに、生まれた時から世話をしてくれ、
肉体的にも精神的にも一番密着し、
「何があっても自分を守ってくれる人」
であるはずの母から、
キツイ言葉で指摘されたのでは、子供の立つ瀬がなくなる。


それに反して、
子供自身が意外と気付いていないのが自分の長所や美点なのだ。

本能的にわかっていたとしても、誰かに指摘してもらわなければ
本人の自信に繋がらない。

子供達の良いところ、今は見えなくても
潜在的な能力を見つけ出して指摘する事
どれだけ必要かわからない。


とにかく褒めてあげられる事を一つでも探す事が大人の仕事だ。

特に母に褒められるという事は
子供にとって、母が想像する以上の感激なのだ。

母がにっこりほほ笑んで
「よくやったね。」「よくできたね。」と言ってくれることが
どれほど子供にとって最高の名誉であるかはかりしれない。


子供達にとって

母は『特別な存在』なのだという事を忘れないでほしい。



スグルは仲良し園に実習に行く事はもうない。

彼曰く

「地域実習、楽しかったな~。
子供にもめちゃくちゃモテタシな~。でも・・・。」



(でも・・?)


「オレの最高のモテ期、全部、子供園で使い果たしたな・・・。涙!泣く」   



スグルの夏もモテ期の再来もまだまだこれから・・・・。
                           (ふぁいとはぁと









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